■資料:空色の瞳・紅い頬 2008年05月10日20:57
国立新美術館にモジリアニ展を見に行った。
彫刻家になりたかったモジリアニ。
たくさんのカリアテッドのスケッチ画が並んでいた。
新聞紙に茶色の絵の具で形取られた絵が魅力的だった。
アウトラインで区切られたカリアテッドは、フォルムだけでなく、
皮膚感がみずみずしいと思った。
アフリカの原始彫刻に影響されたモジリアニ。
岸恵子が
「アフリカの貧しい地域に行けば行くほど
祭りや装飾の仮面が華々しい。しかし、作品だけが並べられると
華々しさが抜け落ちて、迫力感が迫ってくる。」
と話していた。
究極を突き詰めていくことで迫ってくるものは、
モジリアニの肖像画にも共通していると思う。
彼は人間の何を描きたかったのか…
作品を見ながら、人物のポートレート展の話を思い出した。
人物と向き合うことで伝わってくるたくさんの情報。
モジリアニは肖像画を描くことで、その人の人格の核にあるものを
色と形で表現したかったのかもしれない。
彼の死後、後追い自殺をした夫人の肖像画の肌は美しいと思った。
モジリアニの感性が素直に伝わってくる作品だと思う。
モジリアニはイタリア出身だ。
イタリアの男は、たとえ婆さんだとて女であると見ると、
血走る眼で女に声を掛ける貪欲さがあると私は感じるのだか゛
彼にもそんな一面があったのだろうか…
36歳で亡くなるまでの最後の三年間の作品は、油絵なのにタッチが
水彩画のように軽くなっている。
迷いから抜け出して、描きたいものを、
手が独りでに描き出してしまっているような
手慣れたまとまりのある巧さが作品に見られると思った。
モジリアニの作品を新宿のデパートで初めて見たときは、
存在感のある色と形の魅力に圧倒された。
初めて見たときのイメージが「点」であるならば、
今回の作品展は「線」のイメージである。
モジリアニの人生がどんな風につながっていたのかが見える展覧会だった。
作品の中には、ピカソ、キスリング、ブランクーシに
影響を受けたと感じられるものがいくつかあった。
彼が肖像画という表現手段を用いて、
自分独自の世界を確立するための
軌跡の一部をたどれるような展覧会だと思った。
迷いのない線で表情を捉えた顔と上半身、
たどたどしい線でさらりと描かれているものなど、
ポイントを押さえた人物画のスケッチがほとんどである。
結核という不治の病を抱えながら、
アルコールや薬物依存の生活の中で
本当にもがいていたのだろうかと疑うほどの
集中力が作品の中に感じられた。
ちなみに、Mと一緒に見に行ったのだが、
彼女はモジリアニといえば
彼女が子供の頃にプレハブに飾ってあった作品が
印象に残っているという。
せっかく展覧会を見に行ったのに、
行った意味があったのかどうか
はなはだ疑問ではある。
。。。。。。。。。。。
引用:Kさん:空色の瞳・紅い頬 2008年05月10日20:57