子供たち35.平等4.1990(08.05.14水) 2008年05月15日00:32
akiu 雲 子供たち35.平等4.1990-1(08.05.14水)
そう言えば 仕事した事 あったのね♪ 雲:08年05月15日 00時24分10秒
誰だって 無理をし過ぎりゃ まいっちゃう♪ 雲:08.05.15木00:15:23
子供たち35. … 平等4.1990-1 …
。。。。。。。。。。
子供が3人になってから 3人を 平等に扱おうと意識した。
・・・・・・・・
いま Yは27歳 Mは21歳 YMは20歳だ。
歳から言うと 兄 妹 弟 …の感じになりそうな
気がするのだが???
どうしても 兄 姉 弟 …の感じなのだ。
これは 子供の頃の関係が 影響しているような気がする。
。。。。。。。。。。
とにかく かあちゃんの産休が明けた この年1989年から…
またまた やたらと あわただしくなっていったような気もする。
年末頃には 何人かの制作依頼が決まり なんとか なったと思っていたが
「 ところで雲さんのプランはいつ出してくれるの…? 」…と言われた。
結局 いろいろ有って 俺も作る事になってしまった。
1990年… 年が明けてから 2mぐらいの木彫の一木制作を始めた。
昼は 子供たちが居て 危なかったから
たぶん ほとんど夜だけの制作だったと思う。
作業場(プレハブ)の中で ひとりでやっていた記憶がある。
1月から4月頃まで… 冬だったから
昼間は 上の自宅で 子供たちと過ごしていたことが 多かったのだろうと思う。
公園に設置したのは 夏ごろだったと思うが それまでは
木彫の原型が終わって あの時は 山形のS鋳造所に頼んだと思う。
その発注や運搬… 石の台座の発注に行ったりなんかしていた。
Sちゃんや Mちゃんが来たりしてたのは この年からだったと思う。
そう言えば このころは やたらジョージアの缶コーヒーを飲んでいて
空き缶の多さにMちゃんが驚いていたのを 思い出した。
そのあと1995年から それがワインのビンに変わったのだ。
…やっぱり 俺は ひとつ決めたら
それに【 嵌ってしまうタチ 】なんだと いまさらながらに思う。
… 夏には パイプカットした。
秋頃に みんな集まったところで 団地のクライアントに…
「 お前ら もう少し 食らいついてこいよ…
どうも お前ら見てると 仕事欲しいという貪欲さが感じられない。
こっちは 予算とって これからは彫刻をテーマにして
【 彫刻のある街づくり 】にしていくから
もっと本気になって どんどん食いついて来てもらわないと… 」
…と いうようなことを言われて はっぱをかけられた。
そこで 俺は…
「 だったら【 コンクール 】をやって
全国から 作品を公募してみたらどうですか? 」
…と また 余計な提案をしてしまった。
彼等は とにかく 思い立ったら 動きが速い…
早速 その道のコンサルタントのプロを連れてきて
今度は コンクールの段取り・コーディネイトの仕事が加わってしまった。
とにかく 俺は俺で 関わった仕事は ちゃんとやりたいと思っていたし
やっぱり 全体として いい仕事にしたいと思っていた。
しかし 仕事は そうそう中途半端では やれない。
このころには…もう 俺は 限界だと思えてきた。
なにしろ作家だけでも10人近くなっていたし
連絡や 打ち合わせだけでも わけわかんなくなりそうだった。
。。。。。。。。。。
そこで 今度は 誰かに手伝って(タッチ)もらおうと思った。
そこで 適任と思えたのが 美学校仲間のI籐くんだった。
しかし それまで 俺は 自分の作品制作のお金はもらっていたが…
企画コーディネートや 連絡通信費などの経費は もらっていなかった。
しかし 人数も居るし 半数は東京周辺の作家達だった。
電話代だけでも かなりなものになっていたのだ。
そこで… みんなに訳を話をして そうした経費を出し合って
I籐くんに いくらかの手間も出して まとめ役をやってもらう事にしたのだ。
それが…1990年の秋 コンクールの公募が始まる頃
…だったのではないかと思う。
彫刻(芸術)やってる連中は 現実感覚・社会感覚のズレている奴が多い。
非常識 独善的 お人好し 世間知らずだったり 傲慢だったり
とにかく癖の強い奴が多い。
俺の苦手な 排他的な競争心の強い奴なんかもいる。
そういう奴等の 世話をするのは 楽じゃない(笑)♪
とりあえず 俺は… そうして I籐くんに責任者を任せる事で
なんとか パニック状態から 心理的に楽になる事が できたような気がする。
しかし そのあとも コンクールへの応募や その制作
審査や 設置の段取りなどなど
次の年1991年の春まで パニック状況は続き
心理的には かなり くたくたになって いってたような気もする
制作しなければという緊張感と焦りだけが先行して
実際の 自分の作品の制作に なかなか集中できなくなっていった。
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参照