子供たち71.1997年 子供たちの現実感(08.06.26木←08.06.23月)2008年06月26日11:33
akiu 雲 子供たち71.1997年 子供たちの現実感(08.06.26木←08.06.23月)
現実を 生きてるひとは どこにいる? 雲:08年06月26日 11時27分10秒
エラそうにしてるオトナは 見苦しい 雲:08年06月26日 11時16分52秒
子供たち71. … 1997年 子供たちの現実感 …
。。。。。。。。。。
1997年は Yが 浅草に 修行に行った年だ。 Mは小5 YMが小4
俺は… 44歳だった。
。。。。。。。。。。
【 神戸連続児童殺傷事件 】があったのはこの年だ。
14歳の中学3年生が 逮捕されたのは 6月28日だった…らしい。
少年は 下記のようなことを書いているという。
・・・・・・・・引用
今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、
せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。
それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、
義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない
<神戸児童連続殺傷事件1997年6月28日 (土)/b>より引用
http://page.freett.com/artemis/koube.htm#逮捕
・・・・・・・・引用ココまで
子供たちの【 こころの世界 】は 見えにくい…。
【 透明な存在 】… 誰にも 見えていない存在としての 実感 …
その背景には どんな【 現実 】が あったのだろう?
。。。。。。
>透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、
>義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない
。。。。。。
この【 義務教育 】という言葉の中には たぶん
【 自分(生徒)に課せられた義務 】というニュアンスが あるような気がする。
【 教育 = 学校 や 学習 】などを
教師や 両親や 社会が【 自分に 強制・強要している 義務 】だと
…感じられているのは 彼だけでは ないと思う。
たぶん そう感じないで済んだ子供たちのほうが 少ないだろうと思う。
現代の【 オトナたちや 社会 】は
教育 や 学校 あるいは 学習に対して
… 勘違いしている のだと思う。
本来 子供たちは【 学び 育つ 意欲の 塊 】のようなものだ。
その意欲を【 押さえつけ…牛耳って 】しまうから…
ややこしくなっているのだ…という事が
オトナたちは なぜ わからないんだろう。
環境の中に【 ちゃんとした人間の 見本 】さえいれば
ほっといても 自分で真似して 育っていのが 子供と思う。
子供たちは… 教科書や 資料ではなく
いつも【 目の前の 生身の人間 】を見ているのだ。
その人間が 人間を牛耳るような事を いつもやっていたら
【 ひとを牛耳ろうとする人間に 育つ 】のは あたりまえのことだ。
。。。。。。。。。。
俺の 子供のころは どうだったのだろう?
小学校の帰り道 ひとりで帰る日は いつも
いろんなことを 考えていたのを 覚えている。
考えている…だけではなく ひとりで 声に出して話していた。
いわゆる 独り言だった。
時々 自分の声に 気がついたので 覚えているのだと思う。
学校の事や 家の事というより 理屈っぽいこと
哲学的なことを 考えていた事が 多かったような気がする(笑)♪
世界や 人間や 動物や いのちや死などのことを
とりとめなく つぶやいていたと思う。
本は 読んだ事がなかった。
小3ごろ週刊マンガが 出版されたので マンガは見ていた。
宿題も あまりしなかった 放課後 学校を出たら
学校の事は すっかり忘れていたと思う。
あの頃は そんな感じでよかった♪
そんな俺の 記憶の中にも 現実感らしきものは 少ない感じがする。
だいたい 記憶そのものが 少ない 気もする???
あまり 思い出せないのだ。
あまり 印象深い事は なかったのかもしれない。
それは 逆に言えば【 平安な毎日 】が あったいう事なのかもしれない。
親は 特に 何も言わない感じだったし
先生に 怒られるような子でもなかった。
前に書いたように 時々 オトナたちに
ヘンな事で 食ってかかられるような事もあったが
中学までは ほぼ ストレスらしいストレスは なかったのだと思う。
無理して いい子にも 悪い子にも…
【 なる必要が なかった 】のだと思う。
ストレスは なかったが どこかさみしい感じはあった。
核家族で 両親が共稼ぎだったし オヤジは 仕事人間。
小学校の頃 母が病弱で 何度か入院したりしていた事も
さみしかった印象に つながっているのかもしれない とも思う。。
覚えているのは やはり 絵を描いて過ごしてた自分や
動物や 小鳥を飼っていた自分の 姿だろうと思う。
そうした事が 俺の現実感…の部分だった ような気がする。
自分の周りの世界に 人間がいないことも多ったと思う。
前にも書いたが【 いきもの 】との ふれ合いは ヨカッタと思う。
いまになって 振り返ってみると…
【 いきもの や 自然 】と 遊んでた事が
自分の いろんな【 感情や 感性 】を 育ててくれて いたんだなあ〜と
俺は 牛耳られる事なく ほったらかされて 育ったと思う。
しかも 人間に牛耳られなくて済む 自然環境が 周りにいっぱいあった。
・・・・・・・・
現代では それが 一番 しあわせな事なのかもしれない…とも思う。
でも たぶん 俺は…
やはり ちゃんとした【 ほんものの人間 】の
【 見本…お手本 】も 欲しかったんだろうと思う。
だから いまだに そうした【 ゆめみたいな人間 】に
憧れつづけて 生きているのかもしれない…。
。。。。。。。。。。
参照