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2008年05月06日 00時16分17秒  思いだせ 暮らしの元気 リズム感♪

めも:mixi日記より
akiu 雲 子供たち000027.1986 M 誕生(08.05.03土)

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 子供たち27.  … 1986 M 誕生 …






。。。。。。。。。。。
子供たち( 過去記事 )もくじ
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1986年11月 長女Mが 生まれた。

Yは 5歳になっていた。 …俺は 33歳だった。

あの年は どんな年だったのだろう。

 

前の年1985年は 春から夏にかけて Yを保育所にやって

秋保温泉の公園のモニュメントを 作った。

それで入った収入で 個展をやる事にして 12月末に 会場の予約をしたので

次の年までの1年間 1986年は 本格的に制作を始めようと思っていた。

でも 結構 あいかわらず 脳天気に Yと遊んで暮らして居たような気もする。



そんなある日 妊娠したようだ…と ○子さんから聞いたのは…

たぶん…4月頃だったのだろうと思う。

そのあと 妊娠中毒症か何かで 流産の危険があるとの事で

○子さんが 入院した。

あの時は 安全を考えて市内でも名の通ったN産婦人科だった。

でも… あまり感じが良くなかったとの事で そのあと…

その後ずっとお世話になっている いまの

S森産婦人科に 変えたのだったと思う。



はっくんが 最初に うちに 訪ねてきたのは

たぶん 同じころ…か もう少し前だったと思う。

ああぁ… 思い出した! 大きなスイカを お土産に 抱えてきてたから

夏近くだった…。

( 奴は…名古屋の近く 岡崎にいたから 少し早めだったのだと思う。)

うちのプレハブに住んで 彫刻する事にして…

一旦 岡崎に戻って…トヨタの工場で働いて 当面の資金稼いでくると言って…

1〜2ヶ月してから 2トントラックいっぱいに 荷物積んで引っ越してきたのだ。



そのときも プレハブは 一応仕事場にしようとは思ってはいたが

まだ 物置状態だった。… 部屋も何も無かった。

そこで… はっくんが住めるように… 片付けて部屋を作ることにして

2人で 10畳分ぐらいに 骨組みを組んで 屋根裏に荷物を押し込んで

下の隅ッコに はっくんが自分の部屋(…4畳)を何とか確保した♪



おかげで…少し作業場らしい 空いたスペースができて…

そのあとは 俺もそこで 個展用の作品の制作が できるようになった。

ちなみに それまでは Yが居るので しごとは上の自宅で

となりにYを遊ばせながら やっていたのだ。

はっくんは 石彫なので 外に小さな小屋を作って そこで仕事を始めた。



最初の個展で 気が入っては いたものの…

仕事は さほど 充実していたとも思えない。

しかし 楽しくやっていたと思う。

できた事も… いま思えば それなりに面白い仕事だった。



○子さんは 夏休みから続けて 産休に入って家に居るようになって

Mが生まれる11月までは Yを看ながら 家でのんびりしていたと思う。

ああ…そういえば 美学校の後輩のK原さん♀が

夏に泊まっていって そのとき みんなで焚き火して

竹筒に巻きつけて焼く パンの作り方を教えてもらったんだった。



Mが生まれる前は そんな感じで 過ぎて行ってたのだと思う。




↓につづく
。。。。。。。。。。

2008年05月06日 00時10分28秒  パワフルに 活きてるときは 疲れない?♪

↑からのつづき
めも:mixi日記より
akiu 雲 子供たち000027.1986 M 誕生(08.05.03土)

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 子供たち27.  … 1986 M 誕生 …






。。。。。。。。。。。
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1986年11月 長女Mが 生まれた。

Yは 5歳になっていた。 …俺は 33歳だった。





↑からのつづき
。。。。。。。。。。


生まれたあとは 結構忙しかった♪

産後の日経ちが悪いと 母親の体に障ると聞いていたので…

○子さんに 1ヶ月ぐらいは 安静にして のんびりしてろと言って

昼間は 家事育児をして 夜みんな寝かせたあと 個展の作品を仕上げていった。



俺は こういう状況が 結構好きだ …(苦笑)♪

自分が【 ガンバッてる 】って思える事に すぐに酔い痴れるのだ(大笑)

あの時は ホント面白かった まだ布のオムツだったから…

毎日 おしめ洗いしてて… 干す時に 枚数を数えては

おお! 今日は 記録更新だぁ〜♪ …などと 喜んでいた。

かあちゃんと Yと 3食ちゃんと朝から晩まで 用意したり

あの時ばかりは 専業主夫っぽく真面目にやったと思う♪

残念だったのは… 赤ん坊のMに 母乳を飲ませるのだけは

母ちゃんに任せるほか無かった事…だったっちゃね(笑)♪



そんな感じで その年の暮れは かなり元気よく

パワフルモードで 年明けの個展まで 突っ走っていったような気がする。



。。。。。。。。。。


そうそう 産後の日経ちの あとか 生まれる前か忘れたが

作品のブロンズ鋳造を頼みに 原型を持って

あの頃は川越に居た 鋳造屋さんのH瀬さんトコまで はっくんとふたりで

一緒に 行ったような気がする。

はっくんが沖縄に 歩いて出かける前… だとすると???

???…Mが生まれたときに「 見に行かないのか? 」と言ったら

あのやろう…「 ひとの子供なんか見たって 面白くもなんともねぇべ! 」

…と 抜かしてたんだから 生まれるまでは まだ居た事になる。

とすると…たぶん H瀬さんちに行ったのは 11月の末頃だったのかもしれない。


そのあと はっ君は 沖縄に旅立ち(笑)…
★参照:はっくん←家族52〜61
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12月ぐらいからは おかあちゃんに家事・育児をタッチして

個展の制作のほうに専念したのかもしれないと思う。




年が明けて たぶん1月の第2週ぐらいだったと思う。

なんとか 個展をやることができた。

個展会場は 宮城県美術館の県民ギャラリーで 広かったので…

ちゃんと埋まるかどうか(笑)… 心配だったが

美学校仲間の 天才まーくん(?…アホのS木君とも言う…笑)に

友情出品を頼んでいたら 案の定 俺の作品を食ってしまう

大きくて迫力満点の 見事な作品を出してくれたので

なんとか 展覧会としての 格好がついた(恥…反省笑)♪



Mが生まれた年 1996年は そんな感じの一年だった。


。。。。。。。。。。

2008年05月05日 22時18分55秒  お日様に 輝く笑顔 春のきみ

めも:mixi日記より 
akiu 雲 「 詩集 片想い No.? 」… ナースS …

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 詩:ナースS   … クロカス …




 

。。。。。。。。。。
詩のページ・・・祈り
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・・・ クロカス ・・・       雲:08.05.05月 ←90.2.13火 24:31pm






 きみは ・・・ クロカスの輝き ・・・


クロカスが咲く 春の陽だまり

 ・・・あの北の野辺に見た

 ・・・タンポポの花園が

きみのすがたの 向こうがわに 映る


 きみは ・・・ クロカスの輝き ・・・


凍てついた土の中で ・・・どんなにか 春を・・・

 待ち焦がれていたのか 知るすべもなく

 ただ ぼくは 知る   ・・・いま・・・


 きみは ・・・ クロカスの輝き ・・・


「 あした 」を 想いすぎた ぼくが

失くしてしまった ・・・「 いま 」・・・を

まばゆいほどに・・・ 閉じたまぶたを 熱くする

何億年の ・・・ひとの夢想(ゆめ)・・・を

いま このときに・・・ 集めてしまう


・・・ひかり輝く 春の野の

喜びにさえ似て ・・・きみは いま



 愛を ゆめみる・・・ クロカスの輝き ・・・








 片隅に 春を運んで ひとり咲く

    ふるえしきみは

   いま クロカスの輝き




。。。。。。。。。。

2008年05月05日 19時56分07秒  忘れ得ぬ 花一輪に そそぐ愛

めも:mixi日記より 
akiu 雲 「 詩集 片想い No.? 」… ナースM …

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 詩:ナースM   … フリージアの かおり …




 

。。。。。。。。。。
詩のページ・・・祈り
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・・・ フリージアの かおり ・・・       雲:90.2.13火 24:31pm






 君は ・・・ フリージアの ・・・ かおり


・・・ あのころは

ちいさな部屋の 空色のコップ

フリージアの花が ひとり

きみの「 香り 」を残していた

大きすぎる街の片隅で・・・

ふるえながら 乾いていった ・・・小さなこころ・・・に

なみだ色の うるおいを残して

春の陽の中で・・・ 輝いてみえた

とおい異郷の ・・・「 幻の花 」



 君は ・・・ フリージアの ・・・ かおり



忘れかけていた・・・おさなごころの

あの ・・・虹色に輝く・・・ 砂粒のように

小さなこころに 陽溜まりを くれた

春まだ淡い・・・ 寒空に映る

流れる雲を・・・ みつめて咲いた



 君は ・・・ フリージアの ・・・ かおり



明日(あす)のない「 いま 」を 生きた

若者達の影に ともし火を照らす

失くしてしまった 青い空に ・・・果てしない希望(ゆめ)に

ほんのかすかな「 虹色 」を 映す




 君は  いま・・・ フリージアの ・・・ かおり







 ここちよき 朝(あした)の夢に 目覚めよと

    こころいざなふ きみは いま フリージアのかおり





。。。。。。。。。。

2008年05月05日 11時16分49秒  省みる 家族5人の 20年♪

めも:mixi日記より
akiu 雲 子供たち26.1988 YM 誕生(08.04.27日)

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 子供たち26.  … 1988 YM 誕生 …






。。。。。。。。。。。
子供たち( 過去記事 )もくじ
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1987年は めまぐるしい1年だった。

…1986年11月 Mが生まれて 2ヵ月後

翌年1月初めての個展をやって そのあと アトリエの

チェーンブロック(吊り上げよう滑車)付きの屋根だけ

N田鉄工所に作ってもらって 本格的に 5月までバクを作って納めて

6月もう一度個展をし そのあと合併反対運動に …

半年ほど 動き回り 11月〜12月 3週間…

Yを連れてインド・ネパール旅行に行って。

帰って来て すぐに 最初のぎっくり腰で… 動けなくなって

1年の終わりを 迎えたのだった。



年が明けて1988年1月12日 2男YMが産まれた。



1988年は 家族5人になった年だ。

あのころ… どんな暮らしだったんだろう。

前の年に続けて 4月頃の会場を予約し 個展の準備をしていた。

確か 木彫用の部屋を作ろうとしていたと思う。

制作も思うように進まず あせっていたところに

ある晩Yが 急に熱を出した。

様子がいつもと違うので 夜間救急に電話して症状を確認すると…

髄膜炎だった。 その結果 すぐに入院…。

まだMが1歳半 YMは生まれたばかりだったので

おかあちゃんが家で2人を看て 病院には 俺が付き添う事になった。

会場にキャンセルの連絡をして その年の個展は中止してしまった。



そのあと はっ君たちが

「 個展中止したんなら みんなでグループ展をしようよ… 」

…と 言ってきて

その準備の 話し合いで定期的に集まって 会合したりしていた。



Yが小学校1年生に なった年だ…。

かあちゃんは産休で 家にいた。

石を彫り始めたのも この年の夏ごろから だったと思う。

石を彫り グループ展用の作品作りを したりしていた。
 
後半は 少し のんびりした年だったのかもしれない。

ああぁ…そうそう 木の車のおもちゃ作りもしていた…♪


 ・・・・・・・・


次の年の 1989年は…

Yが8歳 M3歳 YM1歳 …俺が36歳になる年だった。

1月 YMが1歳になって かあちゃんが また勤め始めた。

Yは小学校 俺は MとYMと 家での暮らしと グループ展の準備。

 … そんな暮らしになった。

 
。。。。。。。。。。。

2008年05月05日 11時15分01秒  落ち着いて ちょっといっぷく しすぎかな♪

予定空白

2008年05月04日 12時34分29秒  求めない お天道様の 愛がいい♪

めも:mixi日記より
akiu 雲 子供たち26.1990片想い(08.05.04日)

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 子供たち26.  … 1990 片想い …






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子供たち( 過去記事 )もくじ
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俺の恋は いつも【 片想い 】ばかりだったと思う。



 ほろ苦い 思い出グラス 夢酒場

 しらふでも 溺れる恋の 酔い心地


今日 尻取り川柳で 前のつなぎが【 ほろ苦い 】だったので

上の[ 尻取り句と…そのコメント句 ]を書いた

最近 お酒の話題も ふつうに書けるようになってきた。

飲まない(飲めない)立場で どんな風に 酒や酔いを歌にするか

それが面白くなってきた 感じがする。



AAで 聞いていると【 酔い 】と言うものは

別に お酒(アルコール=ドラッグ)などに頼らなくても

勝手に できるものなのだと 思うようになってきた。

要は 脳内物質の 分泌バランスなのだろうと思う。

俺は きっと お酒ではなく【 酔い 】が好きなのだろうと思う。


 壊れない 永遠の恋 片想い


なにやっても すぐ はまってしまうし 寝食を忘れて

延々と 心身が くたくたに 疲れ果てるまで やめられなくなってゆく。

何か外的な条件で 方向を変えられない限り 止めるのが難しい。



1998年まで しゅうちゃんに片想いしていた。

きっかけは バレンタインデーだった。

前の年にやった【 あきう6人 】の仲間のOさんの縁で

3人の看護婦さんたちと知り合って

その中の2人が バレンタインに【 6人みんな… 】に

同じ義理チョコをくれたのだ。



Mちゃんは 一輪ずつの薔薇の花のチョコ

Sちゃんは でっかいアーモンドチョコを みんなで分けろって…。

6人それぞれ 好みが違っていて

写真屋の ToToさんはSSちゃんが 好みだと言っていたし

ガラス屋のAちゃんと はっくんはMちゃん

粘土のKくんと Oさんは 奥さんが居るので…

とりたてて 騒ぎもしてなかった。

俺は 天然っぽいSちゃんが お気に入りだった♪



そこへ… 義理とはいえ バレンタインに チョコだ♪

俺の人生で 数えるほどにも ありえない珍しい事…なのだ。

そのチョコをToToさんから受け取って 家に帰る途中…

突然 思いがけなく 詩のフレーズが 浮かんできた。

 … キミは フリージアの香り …

これは Aちゃんと はっくんと 話していて

彼らのMちゃんへの 結構 純真で 切ない 真剣な思いのことを

思っていて 浮かんできたのだ… つまり Mちゃんの印象だった。

うちに着いてすぐに 俺は そのフレーズを 詩にした。

そして 次に Sちゃんの印象も 詩にして書きとめた。



それを はっくんに見せたら 結構 感心してくれたので

ホワイトデーのお返しには この詩を ワープロで清書して 贈ったのだ。

 ・・・・・・・


その時から 本気で【 片想い 】が始まってしまった…わけ だっちゃね♪





 ラブレター 雲に託した 片想い


 胸のうち 風につぶやく もの想い


 大好きと 空に描いた 雲の愛


 片想い 川の流れに 描く愛 空の涙が そっと お返事♪





  ・・・だっちゃね♪



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2008年05月04日 01時20分41秒  そこそこに いい思い出が あればいい♪

めも:mixi日記より
akiu 雲 幼少年期11.○○森の家2.(08.05.03土←08.04.27日)

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 幼年期11.  … ○○森の家2. …





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森を抜けると 延々と 田んぼが広がっていた。

オヤジは 田んぼの中の道を突っ切って どんどんと北に進み

その向こうのほうに 農家の集落らしい【 いぐね 】(民家の防風林)が見えてきた。

集落の裏に回っていくと そこに 七北田川が 広がっていた。



河原まで降りていってスクーターを置いて コロを離してやった。

ほかに 人が居たかどうかは覚えていない。

コロは… なにしろ ずっと走らされてきたのだから

とりあえず 地面にべったりと寝そべって 舌を出してハアハアさせて休憩してる。

しかし あのオヤジは のんびりと 休憩しながら 景色を眺めたり

川の流れや 小鳥の声に 耳を澄まして 情緒的な時間を過ごす…

そんな奴なんかじゃない!

寝そべっているコロを 両手で抱えあげて… すたすたと川に向かってゆく。

ひざの上 辺り…のところまで 川に入っていったと思ったら…

そこから 思いっきり 向こうへ コロを ぶん投げた♪



なにしろ コリーは大型犬だから そう遠くまでは行かなかったが

とりあえず コロは 慌てて泳いで 岸に戻ってくるほか無かった。

戻ってくると… オヤジは またコロを抱えて 放り投げに行く。

そんな事を なんかいも繰り返していた。



親父が言っていた「 今日は 暑いから…コロを泳がせてやる。 」というのは

こういうことだったのか…と

俺は いつものように ただ あきれ返りながら

オヤジのうしろ姿を 眺めていた。



覚えているのは なぜか そこまでだ。

こうしてみると やはり 目で見た光景が浮かんでくる記憶が

思い出しやすいような気がする。

薄暗い 杉林の林道 …

トラックのわだちをたどるスクーター …

田んぼの広がりや 遠く見える[ いぐね ] …

隣で 走っているコロの顔などが 結構リアルに見えてきた。

しかし 帰りの記憶は全く無い…?

オヤジが コロを ぶん投げている後ろ姿のところまでで

その後の事は思い出せない…。



犬鍋にしても 兄貴の酒しても

裁ちばさみでの怪我にしても… そのあとの記憶は 残っていない。

そうしてみると やはり なにか強く印象付けられた記憶と…

そこまでの 経過みたいなものが

脳裏に焼きつくような気もする。



俺が 小学3年生だったとしたら 1963年ぐらいの事だ。

オヤジは1928年生まれだから…

この時 35歳ぐらいだったんだな…♪ …と思う。



子供のころのオヤジとの思い出は 少なかったはずだが

その分だけ 結構覚えている事も多いような気もしてきた。

ひとつづつ こうして書いてみると


少しは 具体的なことも思い出してくる。



それにしても オヤジが コロをぶん投げてる姿は 久々に思い出した。

そして まさに あいつらしい姿だと思えて 懐かしい感じがした。

俺から見たら さっきまで走ってきて 疲れきっているコロが

かわいそうな感じがしていたと思う…。



でも… 必死で岸に向かって泳ぎ返ってくるコロを

また抱きかかえて ぶん投げに行くオヤジは キット

訓練やら しつけなどの意識も何も無く…

単純に 子供みたいに 喜々として

そのことに【 夢中になっている 】だけのように見えた。



良かれ悪しかれ あいつは 68歳で死ぬまで…

そんなやつだったなぁ〜 …と いまさらながらに

…つくづく 思う♪  …だっちゃね♪



。。。。。。。。。。。

2008年05月03日 10時24分28秒  我がオヤジ 新しがりの 田舎もん♪

めも:mixi日記より
akiu 雲 幼少年期10.○○森の家(08.05.03土←08.04.27日)

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 幼年期10.  … ○○森の家 …





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いつごろ 引っ越したのか ほとんど覚えていないのかもしれない。



でも まあ… たぶん1958年の夏ごろには…

いまの実家に 移っていたのだろうとは思う。



一応 地名を匿名にしようと思って ○○森の家…と書いて

…はたと気付いたが 実家も【 …森の家… 】だった(笑)♪

実家は【 ○○森の家 】 いまは 【 ゆめの森の家 】

俺は 森で育ち… 森に引っ越してきた事になる???♪

現在の実家の辺りに行って…【… 森 …】と言われても

ピンと来るわけも無いが 俺の記憶の中の風景には

なるほどと思う雰囲気は まだ残っていた。



町に向かう側はともかくとしても 家の裏手は すぐ 雑木林になっていた。

そこから先は… 少なくとも 子供の視点にとっては…

どこまでも 遥かに 森が 続いていたのだ。

たぶん 一度だけ 森の中の 林道を抜けて 向こうまで行った事がある。

もちろん 親父に連れられて… スクーターに乗せられて…だった。



小学校の2〜3年ごろだったと思う。

テレビで「名犬ラッシー」という 賢いコリー犬を 主人公にした

アメリカの番組をやっていて…

その頃 コリー犬を飼うのが 流行っていた。

うちでも その番組のファンだった。

オヤジは 田舎育ちだったから 動物好き 自然好きだった。

しかし いま思うと 決して いま言われるような

動物好き 自然好きではなかったと思う。



もっと 粗野で 単純…いわゆる 子供っぽい

おもちゃ感覚のような感じだった。

なにしろ 先にも書いたように…

飼っている犬を 鍋にして 酒の肴にしてしまう野蛮な輩…なのだ(笑)♪

オヤジは 地方公務員で 幹部にまでなったし…

大学を出たと いつも ほざいていたが…

あいつが本を読んだり 書き物をしたり 勉強してる姿なんか見たことも無い。

家に帰ってくると たいがい晩酌しながら 巨人戦を見たり…

水戸黄門を見て… そのうち[ きどころ寝…うたたね? ]してしまう。

そんな感じだった。

理知的な知性…というものの 臭いは 全く無かった…。

しかし 野性的な感性… 勘や 判断力 行動性には

人並みはずれた物を持っていたようだ。それに 人柄も…良かった。

キット そうした部分で 組織の中で 成り上がっていけたのだろうと思う。

なにしろ あのころの 地方公務員だから あの脳天気なやつでも

なんとか うまいこと 問題なくやっていけたのだろう♪

運のいい しあわせな奴…だったと思う。



そして そういう奴は 珍しい物好き 新しいもの好きでもある。

そんな訳で とうぜんの如く うちではコリー犬を飼っていた。

名前は「 コロ 」…由来は?…知らない♪

そのコロを連れて… ある休みの日

オヤジが 散歩に行こうと言い出したのだ。

しかも スクーターで うちからはずっと離れた 仙台北東部の七北田川まで…

コロを 泳がせてやりに行く…というのだ。

 ・・・・・・・・

「 お前は 後ろに乗ってコロの紐を持ってろ! 」というわけだった。



そんな訳で 俺にとっては 全く未知のエリアだった 森の向こう…まで

オヤジのスクーターの後ろで ハアハア言いながら走らされている

コロの顔を見ながら… 散歩に出かけていったのだ。



森が全部 団地になってしまったいま 思い返してみても

七北田川までは 結構な距離がある。 造林の杉林部分だけでも

ずいぶん長く感じられたと思う。



たしかに…林というよりは


森と言ってもいいぐらい【 木がいっぱい 】だったとは思う(笑)♪




。。。。。。。。。。。

2008年05月02日 17時08分42秒  この暮らし つくのだろうか 免疫が♪

めも:mixi日記より
akiu 雲 アル中 問診日14.08/04/22.火 人に疲れる

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問診日14.08/04/22.火    … 人に疲れる …







問診日過去記事
/akiukumo/-arutyuu.monsin0001
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問診日14.08/04/22.火 


 ・・・・・・・・

医:「 さあ 最近の調子はどうですか? 」

患:「 この2週間少し こころが がさついている感じがしてます

    近所の知人達と 久しぶりに 少し長く話していたら

    だんだん 苛ついてくるの感じがしました。

    ひとと会って 話したりした後 疲れる感じがします。」

医:「 そう…! ひとと逢うのは 疲れるんですよぉ 〜 〜 ♪

    … ひどく 落ち込んだりはしないですか? 」

患:「 とりたてて それほど落ち込む感じではないです。

    こころが ざわついた感じと 苛つくか感じぐらいです。 」

医:「 まぁ 少しずつ 免疫をつけていくしかないでしょうね。

    じゃあ また お話聞かせにきてください。 」

患:「 ありがとうございました。 」


 ・・・・・・・・


。。。。。。。。。。


今日はもう 5月の2日だ…

4月22日の問診の記録を書いていなかったことにいま気付いた♪

おとといは 水曜日のAAに…と 仙台の会場まで行ってから

集会所が休みだから 休会だった事を思い出した。

軽油代無駄にした…と ガックリ(笑い)♪

気をつけなきゃと 反省して帰りながら

明日の木町例会も休み。あさっての旭丘はある。

…と 確信を持って 頭に叩き込んで… 昨日は1日家に居て

夜 アル中Bohさんのブログを見て 愕然!♪

例会… 休みじゃなかったみたい(笑)♪



最近 頭の記憶だけでは こんな感じの事が多い。

あっちこっちの情報が 混乱しているのだ。

しかも 近頃 こころが浮ついていて メモを取る事もしなくなっている。

どこか呆然として マニュアル的に 動いてしまっているのだ。

前に 宙に浮いた感じと書いたが まさに そのとおりなのだ。



相変わらず こんな調子。 やっぱり まだ 頭が おかしい?♪

ひとつひとつの確認が なかなか できない…。

生活全般が 壊れると言うのは 怖いものだと つくづく思う。



再形成と 崩壊と どっちに向かっているのかさえも 怪しい気がする。



誰かに 手伝ってもらいたいと思ったりもするが…

今後のことを考えれば やはり

ひとりでやってゆくパターンだけに絞って

慣れていったほうがいいとは思う。



医者が 人付き合いでの疲れに対して

「 少しずつ免疫をつけていくことですよ… 」

…と 言っていたが

【 少しずつ免疫をつけてゆく 】という言い方は 解りやすいと思った。

いまの自分を よく知ること。

そして いまは できない自分自身を【 受け入れて 】その自分を

【 問題を起こさないように 】

【 うまく操縦してゆく 】…事しか ないのだと思う。



。。。。。。。。。。

2008年05月02日 12時14分48秒  あの頃のふるさと いまは 大都会?

めも:mixi日記より
akiu 雲 幼少年期000009.庚申前の家(08.05.木←08.04.27日)

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 幼少年期9.  … 庚申前の家 …





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幼少年期( 過去記事 )もくじ
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仙台に引っ越して いまの実家に入る前…



たぶん 新築していた家が出来上がる前の

少しの間だったと思うが 近所に 借間を借りて住んでいた。

そこは 通学路の途中だったので その後もよく通っていたし

遊びまわるエリアだったし のちに新聞配達もしたので…

住んでいた頃の記憶と そのあとの記憶が

ごっちゃになってしまっているが

たしか 曲がり屋みたいに南東向きに「くの字」になった

大きな農家だった。

その 庭に面した納屋の一角を 改造したような借間だったと思う。

裏(北側)がバス通りで 東側は路地を はさんだ隣に

雑貨なども売っている豆腐屋さんがあった




この当たりは 前からの住宅が密集していて 路地も狭く

なんとなく マンガ「三丁目の夕日」っぽい感じがしていた。

実際1958〜9年頃 仙台郊外の 実家の周辺は

あのマンガの背景と同じような時代だったのだろう。

あの頃は 同じ時代でも 地域によって 時差がある。

あの頃 あの辺は 仙台の町外れ

近郊農村地域の中に 道沿いに町並みが伸び

住宅が張り付いたようなところで バス通りも じゃり道で

そこを 肥え桶を積んだ馬車が のんびりと 通ったりしていた。

舗装されたのは たぶん 東京オリンピックのあったあと…

小学校5年ぐらいの頃だったのではないかと思う。



ぼうーと歩いていて 馬や 牛の糞を

踏んづけたことも何度もあったし…

夏の台風など 大雨の時は 道路が川になったし

坂道はまるで 渓流や滝みたいになってたりして

いつも ワクワクして 長靴の中 泥水だらけにして

学校から帰ったような思い出がある。



子供たちの 袖口はこすった洟汁で

ビカビカ カピカピに固まっていた。

靴は 長靴みたいな 黒いゴム製の短靴。

シラミ退治で 頭からDDT撒かれ事もあったと思う。



ともかく やはり 東京オリンピック以前と そのあとで

仙台郊外の あのあたりの地域も 急速に変化していったが

それ以前は そんな具合で いま振り返って語られる戦後の日本

いわゆる… 敗戦後の日本の風景 そんな感じだったような気がする。



それが たぶん 40年前までの 日本の

【 ふつうの風景 】だったのだろうと思う。



もう ほとんど 忘れてしまったが

庚申前の家から少し入った 辺りに… 家と家の 壁の間の

狭い通路を行ったところに 鳩をいっぱい飼っている

お兄ちゃんがいて 見に行ったら立派な軍鶏が庭で遊んでいて

軒下に その軍鶏たちの寝床があり

そこに はしごが 架けてあった事に

なんとなく 感心したのを覚えている。



バス通りに面した 豆腐屋さんでは

ばら売りのキャラメルが 売っていて

のちに夕刊配達してた時 配達を終えた帰りに

5個ぐらい買って 家まで食べながら帰ることも 楽しみだった。




思い出すのは 新築の家に引っ越してからあとの事だ。

実際に 庚申前に住んでいた時の事は ほとんど覚えていないのかもしてない。

どんな暮らしだったのか 引っ越すまで どのくらい住んでいたのか

いつごろ 引っ越したのか まったく 思い出せない(笑)♪


とにかく 庚申前に居たのは…5歳になる誕生日の(5月)頃だったはずだ。




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2008年05月01日 16時30分13秒  あの頃の 瞳に還り 見る世界

めも:mixi日記より
akiu 雲 幼年期8.最初の思い出(08.04.27日)

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 幼年期8.  … 最初の思い出 …





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幼少年期( 過去記事 )もくじ
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幼い頃の記憶… 1番古そうな記憶は? 5歳 1958年ごろだろう…?

たぶん 宮城県北部…

鳴子温泉郷近くの川渡の家の頃だと思う。



県土木の出張所の建物に 6畳一間ぐらいの部屋が

廊下でつながっていて そこに住んでいたと思う。

隣にも部屋が合って I藤さんというオヤジの同僚の家族が住んでいた。



俺が2年保育の幼稚園に入った…1958年

そこから仙台に引っ越して来たのだから

その前あたりの記憶だと思う。



猫の記憶がある。

引越しのトラックで 出発する時 猫を一緒に 連れて行きたかった思いと

トラックの荷台と 猫の映像が…

小さい頃から かすかに 記憶に残っていた。



犬の思い出もある。

飼っていた思い出は ハッキリしないのだが…

あるとき 犬が居なくなったので オヤジに 訊いたこと…

オヤジが返事したかどうかは わからないが

親父たちが 事務所のストーブの上の鍋を囲んで 酒を飲んでいた事や

俺は なんとなく 犬がその【 鍋の具 】になったんだと…思った事など

途切れ途切れの 記憶だけが残っている。



たしか左手の中指にあるマメのような傷跡も…

ココで できたんだったと思う。

和風家屋だったので 柱があり

ある日 兄貴がその柱に 意味も無く

裁ちばさみをガンガン突き刺しているのを見て

「 やめろよ! 」と…手を出したら 左手中指のつめの根元に

はさみが 命中して できた傷なのだ。



もうひとつ思い出した。

たぶん古川の 親父の職場だったと思う。

俺と 兄貴が そこにいて周りに職員たちも オヤジも居る。

たぶん みんな 酒を飲んで居たと思う。

誰かが 湯飲みに注いだ日本酒を 小学校前の兄貴に…飲めと勧めて…

兄貴が グイっと飲んだ事だけはっきり覚えている♪

そのあと どうなったかなどは 全く覚えてはいないが…(笑)♪



1958年春に仙台に来るまで…の記憶は その程度しかない。



1953年に石巻の日和山に住んでいた時に生まれて…

その後 オヤジが古川に転勤して 川渡に行って

そこから 仙台に来たはず。

その間に 妹が生まれる時は オヤジの実家に住んでいたとも聞いたが…

ほとんど なにも覚えてはいない。



母の実家にも 長く居た事もあるのかもしれないが

いろんな思い出が いつ頃のことなのかは定かではない。



ハッキリした記憶が 残り始めているのは…やはり

仙台に落ちついてから…だろうと思う。



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2008年04月30日 23時36分53秒  引き出しの 隅に記憶の 宝物♪

めも:mixi日記より
akiu 雲 幼少年期7.記憶1.(08.04.30水←08/02/26火)


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 幼少年期7. … 記憶 1.…





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古い記憶… 幼い頃の記憶は ほとんど忘れかけている。

いま ふりかえると たいがいは 後から得た知識で

その頃は 見えていなかった【 時代背景 】の方が

より ハッキリと見えていたりする。



今になってみると あのころ 当たり前だったことが

まったく別物のように見えている。



とりあえず いまなら 北海道や 沖縄どころか

アルゼンチンやら アフリカのどこそこと言っても…

なんとなく そこの雰囲気を思い描く事ができる。



しかし 俺が そう感じられるように なってきたのは…

たぶん 北海道に行ったあと18歳過ぎてからのような気がする。



それまで 俺には この宮城県の外に出た事は

小中学校の 修学旅行だけしかなかった。

だから テレビなどで見ている他の世界(日本も含めて)にも…

たいして現実のリアリティを 感じてはいなかったような気がする。



いまでも なんとなく覚えているが 中学の時

柔道部の試合などで たまに出かける 仙台市内の他の中学校でさえ

まったく 違う世界のように感じられていたものだ。

家から4〜5キロほどの仙台駅前も 高校になるまでは…

ひとりで行く事は ほとんど無かったので かなり遠く感じられていた。



いま…子どもの頃の感覚に立って 思い返してみると

あの頃から そして その後の 自分の

【 内面世界の 風景や視点の 変遷 】が見えてきて面白い。



こうして ひとりで居る時 いまの俺は…

外の世界がどうなっているか… そういうことを つい考えてしまうが

子どもの頃は そうではなかったと思う。

仮に考えたとしても 自分が知ってる範囲だけの

ほんの小さな世界のことだけ だったのだろう。



そういうことが こころの落ち着きや 目の前の事への集中には

大きな影響があるのだろうと思う。



本来 自分と関わりのある現実は そう多くは無い。

よく考えてみれば 多くの事は 記憶の中から

いまの自分に 働きかけてくるだけなのだ。

そして いったん記憶となった現実の情報は

時間や空間から解放されて 平等で 自由なものになる。

そんな感じだから 多分

判断に迷うようになってゆくのだろうと思う。



記憶の片付け… いままでの思いを もう一度

ほこりを払って 見つめなおす作業

そうした落ち着きが 少しずつできてきたと思う。



せっかくだから 落ち着いて

記憶の引出しを ひとつづつ さっぱり片付けて

あのひ夢見て 描いたものを 確かめていこう。



そのうち 元気になれる キッカケも


なんかかんか 出てくるかもしれない…だっちゃね♪



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2008年04月29日 12時53分15秒  怖がらず こころの窓を 開けてゆく♪

めも:mixi日記より
akiu 雲 アル中50. 精神病院2. (08.04.28月)

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 アル中50.   … 精神病院2. …





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アル中…【 アルコール依存症 】は 精神科の 病気だ。



去年 精神病院に入院して 感じたのだが…

多くの人は 精神病院や 精神病 精神科などに

結構 抵抗感を 感じるもののような気がする。



酒は 合法的な 飲み物だ。

また 酒に酔って問題を起こしているのは 自分だけではない。

同じような 酒飲みは 周りに いくらでも居る。

なんで 精神病院なんかに 行かなきゃならないんだ!

本人が そんな風に思う場合が 多いようだ。


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しかし 周囲が問題視し始める頃は すでに 本人も

何とかしなければと 感じ始めている場合も多いような気がする。

それでも 病院を受診しにくいのは…

精神病院や 精神科… あるいは

【 アルコール依存症 】…アル中…という病気への

現状の一般社会…世間の 見方(=偏見)への

【 抵抗感 】によるものも大きいと思う。



しかし 不安がある場合は やはり ひとりで何とかしようとせずに

専門機関など… そうした病理の現実や実態をよく理解しているひとたちに

相談してみるべきだろうと思う。


ASKアスク
http://www.ask.or.jp/
Dr林:相談室
http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/psyqa.html


実際に…入院していろんな人の体験など聞いてみると

いまの日本の精神医療の現場は 医者や病院によって

極端に 対応や 考え方が まだまだ さまざまな状況のようだ。

きちんとした病院に行ければいいが 変なところに行くと

なにも改善できないまま 薬物投与だけされていたり

人権無視に近い扱いまで するところも 残念ながら 多いようだ。




【 アルコール依存症 】の回復のためには 病気への適切な理解と

その後の 長期的な対応が 不可欠だと思う。

そのためには 回復治療 経過観察などの相談役

…つまりパートナーとしての 医師や病院 自助グループなどは

やはり 慎重に しっかり選んだほうがいいと思う。



この病気の回復には なによりまず

自分自身(患者本人)の理解と納得 回復の意志と その継続が 必要だ。

そのためには それを支える 医師や 自助グループの仲間など

周辺環境の 助力は 不可欠なのだ。



残念な事に 俺自身も そういうふうに 思えるようになったのは

つい 最近になってからの事だ。



アル中さんたちは がんばりやさんが 多い。

自分ひとりで なんとかしようと あがいているうちに

状況を どんどん悪化させてしまうパターンが多い。



ひとりにならずに 同じ問題を抱えた人たちのところへ行って

相談したり 話し合い 学びあいながら

みんなで励ましあってゆく事が大切だと思う。


ASKアスク
http://www.ask.or.jp/
Dr林:相談室
http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/psyqa.html



↓につづく
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2008年04月29日 12時48分52秒  闇もある ひとのこころの 大宇宙♪

↑からのつづき
めも:mixi日記より
akiu 雲 アル中50. 精神病院2. (08.04.28月)

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 アル中50.   … 精神病院2. …





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↑からのつづき
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俺は【 うつ 】や【 引きこもり 】傾向が 強かったため 

いままで 診断してもらいに 何度も 精神科に 足を運んだ。



高校2年の時(17歳の頃?)2度目の不登校になって

学校で 精神科医のカウンセリングを受けて以来…

26歳の時 30代はじめのころ 30代後半 …

そして アルコールとうつの問題で いまの病院入れて4ヵ所。

いままで 延べ7回も 精神病院に受診している事になる。

しかし まともに 精神科的な 通院治療を 本格的に始めたのは…

去年の入院以降 この1年ぐらいだと…いまは 思える。



とにかく 精神科…的な 病気は つくづく わかりにくい病気だと思う。

どんな症状が 専門治療が必要な病的なもので

どこまでが 自分自身で何とかできる 個性や性格などなのか…

どこまでが 普通の悩み事や疲労感などで どこからが 病的身体症状なのか

シロウトには ホントにわかりにくいものだと思う。



結局 自分ひとりで…何とかしようとしているうちに

病状を悪化させてしまったり 酒や 睡眠薬など あるいは 他のさまざまな

【 依存症 】などに なってしまう患者も多いようだ。



【 精神疾患 】について 詳しい事を

口にできるほどの知識は 俺には 無いが…

最近 テレビなどで よく言われているように…

自分自身で【 辛さとか 落ち込みなどが 2週間以上続いている 】と感じたら

専門機関に 相談に行くのがいいのだろうと思う。



その場合… 全国組織の【 信頼できる 相談機関 】から たどって

キチンと情報を得ながら 問い合わせていって

自分の生活地域の近くでは どこの病院や 相談機関が いいかを


…しっかり確認して 相談するようにしたほうが いいだろうと思う。



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2008年04月29日 12時45分35秒  よく知れば こころの病い こわくない♪

めも:mixi日記より
akiu 雲 アル中49. 精神病院 (08.04.28月)



無理せずに こころ開いて 軽くする    雲:08年04月28日 20時43分10秒





 アル中49.   … 精神病院 1. …






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アル中…【 アルコール依存症 】は 精神科の 病気だ。



去年 精神病院に入院して 感じたのだが…

多くの人は 精神病院や 精神病 精神科などに

結構 抵抗感を 感じるもののような気がする。

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俺は 昔から なぜか【 精神病 】というものに あまり違和感がなかった。

偏見らしいものもない。…と いうか

他のあらゆる【 世間的な 価値観 】に対して

大雑把で いいかげんで

細かいことは気にならない 感じがする。



その理由は やはり 子どもの頃の環境 だったろうと思う。



親や 他のオトナに あれやこれと【 うるさく 】しつけられたり

怒られた覚えが ほとんど無いのだ。

なにか言われたとしたら あの当時の 大人たちの子どもへの接し方は

からかいや おちょくりなど…

いわゆる【 罪の無い…子供だまし 】みたいな

訳のわからないような言い方だった。



そして あの頃の子どもは ホントに子どもだった。

社会に出ているオトナたちと 子どもたちとの

情報や経験の差は 歴然としていたのだろうと思う。

なにしろ いまのように テレビもネットもなかったし

雑誌や 本が 溢れてるわけでもない。

子どもは オトナたちから 直接話を聞くよりほかには…

生活圏の外の世界の情報を知る術が ほとんど無かったのだ。



だから 周りに居るオトナたちに 染まり易かったのだろうとも思う。

 ・・・・・・・・

しかし うちは共稼ぎで 両親が家に居ない上に

二人とも脳天気な性格だったためか… 世間の価値観のようなものを

教えてもらったような気も… 押し付けられたようなきもしない。

そして 俺は他の子と遊ぶより ひとり遊び型だったために

自分ひとりで考える時間も 飽きるほど有ったわけだ。



小学校中学年頃から テレビやマンガを見るようになった。

俺にとっては …それが

広い社会…世界の【 教科書 】に なっていたのだろうと思う。

あのころのテレビは アメリカで受けた番組から

テレビ局が選んで流しているものが多かった…

つまり いまのような行き当たりばったりの 使い捨て番組は少なく

かなり質の高い番組が 多かったような気がする。

マンガはマンガで…今振り返ってみれば

マンガやアニメへと続く その後の日本の文化を創ってきた

そうそうたるマンガ家たちの創生期だった。



そういう意味では ラッキーな時代環境の中で

学び育つ事ができたような気がする。



俺の 夢っぽい理想主義や 民主主義意識 人権意識

博愛主義的な平等意識などは

きっと こうした環境条件の中で 自然に

植え付けられてしまったのだろうと思う。



【 極端な偏見 】が 少ないというのは あんがい 便利なものだ。

たいがいの事は たいした抵抗感も無く 受け容れていけるのだ。

うちの近くは 当時 いわゆる郊外の風致地区だったので

養護学校や 孤児院 修道院などが たくさんあった。

そして精神病院も すぐ近くにあったし

その隣の空き地で 遊んだりしていた。



たぶん そうした要因も重なって

俺は 取り立てて 精神病院に

違和感を感じる事が 無かったのかもしれない。

 ・・・・・・・・

そうした事だけでも 少しはラクな気がする。



この病気【 依存症 】は そんなふうに

自分の こころの内面と向き合って 折り合いをつけながら

回復努力してゆくしかない 繊細で やっかいな 病気なのだという事…



そういう部分が 当事者以外には

なかなか 理解しにくいところだろうと思う。



精神病院に 通院している事を 周囲の人に言えない人も多い。

その事ひとつでも こころの負担は 大きいのだと思う。




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2008年04月29日 12時44分57秒  日記帳 こころ模様の 万華鏡♪




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