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『 共棲の理由 』 06.04.25 火 ( 幻想対応 と 現実対応 ) 近代人の人間関係の在り方(アイデンティティー)の ややこしさがあると思う 知的(幻想的)に複雑化すればするほど バランスは むずかしくなる 『幻想は自由(無限・膨大)』であり 『現実は単純』だから だろうと思う 近代人工化社会の 殆どの部分は 『幻想』で 繋がれている 多くの他者とわたしとの間には 視覚と聴覚の関係しかない それなら『テレビ電話』で十分だろうと思う しかし その画面の向こうで 相手が助けを求めたとき 応え得るためには すぐ手の届く距離に 現実に 共棲している必要があるのかもしれない 応え合う気が ないのなら 共棲の必要も無い 幻想の場の交流にも 同じようなことが言えるのかもしれない 手土産ひとつ無いとき 身づくろいひとつ できないとき 汚れた自分を感じたとき 何も無い自分を思ったとき 他者を訪ねることを「ためらってしまう」 わたしの常識感覚 おおらかに生きるには 無神経すぎるわたしの自覚 『お土産はわたしよ♪』と 笑顔で はしゃいで見せる そういう人が 俺は大好き♪ そういうひとに なりたいと思うけど なかなか できないわたし でも 応えたいと思うわたし 訪ねてみたいわたし はしゃげないときは はしゃげない自分を 見せてもいいと思う 笑えないときは 笑えない自分を 見せてもいいと思う 「気を使わない交流」が 俺は好き 人間は みんな弱くて 脆く 危うい 傷つきやすい 裸んぼうの 毛の無い猿 いつも何かに怯え 風にふるえている 抱き合うことにさえ おびえてしまう臆病もある 化粧で 素顔を隠し合う人間 衣装で 裸を隠し合う人間 こころの扉に 鍵をかける人間 みんな弱いのに みんなさみしいのに 抱き合えない人間たち 信じあえない人間たち 傷つかない勇気 傷つけない注意力 完璧な人間なんか居ない 許し合える社会 それが 俺の ゆめなのかもしれない まだ生きている 生きてゆこうと思う もっと 強くなりたい から もっと やさしくなりたい から |