2004年03月20日 12時50分18秒
虫の息 落ち葉が包む 夢の森
メモ:
反戦のココロ。 それは 命を奪うことを厭うココロ。
エルモアさまの書き込みで、 改めて反戦の心について考えさせていただきました。
これはあくまでも私の考えです。
不快感を覚えられる方もいらっしゃるかもしれません。
あらかじめ、お詫びしておきます。
反戦を叫ぶのに、資格は要りません。
もし、資格が必要だとしたら 一体誰が、その資格を与えてくれるのでしょう。
今はイラクが攻撃されています。
今度、イラクがアメリカに対してテロ活動を行うことがあれば
多くの反戦者の非難の目は、イラクに向くでしょう
今は、イラクばかりが見られています。
しかし、その他の地域でも戦争は頻繁に起こっています
そこでも、人々が血に倒れてゆくのでしょう
反戦のココロとは 平和を願うココロとは 理由ではなく
誰が誰に対して ということでもなく
ただひたすらに 命が奪われることを厭うココロではないのでしょうか
国を非難するのではなく 一つの争いに重きを置くのではなく
少しでも 戦火による悲しみを減らすために
少しでも 多くの命が救われるように
殺し合いに、憤りを覚えるココロではないでしょうか
世界で一番尊いものは 国でも 神でもありません
失ってしまえば二度と戻ってくることの無い 一人一人の 命です
2004年03月20日 12時50分18秒
メモ:タカ隊長へ
(例)ケツの穴閉じてケツ拭いて寝ないでいっぱい面白話書いてね♪
(本文)遅くなりました。ご注意ありがとうございました。
何もわかんないで・・実験して???とやってばっかしなもんで。
今後ともよろしくご指導のほどを・・敬具。
2004年03月20日 12時06分02秒
メモ:タカ隊長へ
(例)ケツの穴閉じてケツ拭いて寝ないでいっぱい面白話書いてね♪
(本文)遅くなりました。ご注意ありがとうございました。
何もわかんないで・・実験して???とやってばっかしなもんで。
今後ともよろしくご指導のほどを・・敬具。
2004年03月20日 12時04分19秒
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(例)ケツの穴開いて糞して寝てろ
隊長の戯言
メモ:
東ティモールが望むこと
本エッセイは、1996年度ノーベル平和賞の受賞者であるジョゼ・ラモス・ホルタ氏が、去る1997年1月に社会科学研究所が主催した講演会で行ったスピーチの抄訳です。(雑誌「世界」7月号より転載。帆足いずみ翻訳)
ジョゼ・ラモス・ホルタ
昨年10月、東ティモールのカトリック教会の長であるベロ司教と私が1996年のノーベル平和賞を受賞したという知らせを間きました。私はもちろんこれを、ベロ司教と東ティモールのカトリック教会、そして東ティモールの人々にとって、非常に喜ばしいことだと思いました。 しかし、ノーベル賞委員会がこの栄えある賞に私を選ぶなどとは、これまで考えたこともありませんでした。なぜなら、もし東ティモールから選ばれるのであれば、それは今ジャカルタの獄中にいる抵抗運動のリーダー、シャナナ・グスマォンであるべきだと信じているからです。
国際社会の偽善
ノーベル賞委員会が、ベロ司教と私の授賞決定を発表してから2、3週間の内に、世界中で、東ティモール問題ヘの認知度とそれに対する意識は劇的に変化しました。このことから、私はアメリカを初めて訪れた時のことを思い出しました。
私は1975年12月に東ティモールを出発しました。当時、東ティモール代表団のリーダーとして国連安保理でスピーチをすることになっていたのです。私が国連で訴えた際、12月11日か12日から22日までの10日間にわたって話し合いが行われ、その後、安保理は駐留軍を即刻、東ティモールから撤退させることをインドネシアに求める決議案を全会一致で採択しました。この1975年12月22日の決議384号は、東ティモール人民の自決権を認め、全ての国々に東ティモールの領土的保全を尊重することを求める内容をも含んでいました。
しかし、残念なことに、この国連における初めての体験を通して、私は国際社会の偽善を教訓として学ぶこととなってしまいました。決議384号を支持した国々、つまり、インドネシアに東ティモールから駐留軍を撤退させ、全ての国々に東ティモールの領土的保全を尊重するよう求めたその同じ国々が、一方でインドネシアに武器を供給し続け、それによってインドネシアは今日まで占領と戦争を続けることができたからです。
当時、東ティモールは冷戦下の国際政治の中で「脚注的」な存在にすぎなかったのです。私たちは、オーストラリア、日本、ベルギー、フランス、ポルトガルなど、どの国からも「東ティモールは現実的になり、インドネシア占領による安定を受け入れるべき」だと、つまり「武力による安定を受け入れるべき」だと、言われていました。
一連の国際法や国連憲章、安保理決議、国連総会決議、世界人権宣言、市民的および政治的権利に関する国際条約、そして経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約−これらはいずれも各国によって調印された、すばらしい文書でありますが、現実の各国間関係においてはさほど、重要視されていないようだ−これが国際関係における各国の、そして強国の態度であるということを、我々は知ったのです。
侵攻の大義名分
インドネシアによる東ティモール侵攻に関する議論の一つとして、「東ティモールは共産主義の飛び地になっていくであろう。あるいは、少なくともその可能性がある」という見解が、学者やジャーナリストたちから発せられていました。ベトナム戦争終結直後の冷戦構造の中にあっては、インドネシアは同国の島内に、新たに共産主義の飛び地ができることを許すことはできませんでした。
また、「東ティモールの独立が許されるとすれば、それは、インドネシア共和国の分割を促進することになろう」という議論も繰り返されました。
インドネシア政府は侵攻の理由についてさらに別の説明をしています。つまり、「東ティモールの人々の招きに応えて、東ティモールを侵攻した」というものです。
おそらく、東ティモールを代表する4つの党の人々がインドネシアを招く文書に調印し、フレテリン(東ティモール独立革命戦線)によるテロ支配に対する恐怖−これは共産主義組織を意味しているのでしょうが−から東ティモールを解放してくれるよう求めた、という説明です。
しかし、思い出してください。その2、3年後、旧ソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻した時も、旧ソ連邦政府は「アフガニスタンの人々の招きによってカブールに入った」と言っています。サダム・フセイン大統領がクウェ−ト侵攻を行った時も、「クウェートの人々に招かれたため」と言っていました。ベトナムがカンボジアに侵攻した時も、「カンボジアの人々を解放するため」と言われていました。
侵攻する際に正直だった人物は唯一、登小平だけです。ベトナムに軍を侵攻させた時、登小平は「ベトナムの人々に招かれたから」とは言っていません。「ベトナム人には教訓が必要だ」と言ったのです。結果的には、逆にベトナム軍が中国軍に一つの教訓を与えることになり、中国軍はベトナムからの撤退を余儀なくされましたが。
軍事侵攻を行う際、政府はいつでも「人々の親切な招きに応えて、進出するのだ」と言うものなのてす。
植民地支配の遺産としての国境
1975年12月7日、インドネシアによる東ティモール侵攻がありました。それから21年が経ちました。
インドネシアは東ティモールに対し、何らかの歴史的権利、正当な法的権利を有していたのでしょうか。インドネシア共和国は、いわゆるオランダ領東インドの産物であることをご存知でしょう。インドネシアの国境線は、オランダ政府が極東に引いた境界線と完全に一致しています。このため、インドネシアがこの境界線の外にある領土の権利を主張したことは一度もありませんでした。東ティモールの領土への権利を主張したことも、また、例えばマレーシアヘの権利を主張したことも、ありませんでした。民族的にはマレーシア人とスマトラの人々との間には、例えば、スマトラとジャワの人々との間よりも、格段に多くの共通点があるにもかかわらず、です。
植民地時代の境界線こそが、唯一、統合の要因となるのです。1800年代、ヨーロッパ人はベルリンの一室に集まり、アフリカを分割しました。ドイツはアフリカの一部分を要求し、英国は別の一部分、フランスもまた別の一部分というように。今日のアフリカの国境も、ベルリンでのヨーロッパ人による協議で決められた境界線に基づいています。これがアフリカとアフリカ人を分割したのです。この恐ろしく恣意的なアフリカの分割は、今日アフリカが抱えている問題の重要な原因の一つともなっています。しかし、ヨーロッパ人による不公正なアフリカ分割にもかかわらず、アフリカの国々は全て植民地時代の境界線を耐え忍んでいくという原則を固守しています。
ラテンアメリカ諸国のほとんどはスペインの植民地でした。その境界線は、スペインあるいはポルトガルが残したものです。アフリカでも、ラテンアメリカでも国境をめぐる議論は数多くあります。ベネズエラはガイアナのほぼ3分の2を要求し、ペルーとエクアドルの間では最近戦争がありました。
この脆弱でありながら極めて重要なルール、つまり、植民地時代の境界線を耐え忍ぶというルールを違反しようとするならば、このような争いは今後も続くでしょう。1975年インドネシアは、東ティモールを侵略することによって、まさにこれを違反したわけです。
国連の役割は?
世界の全ての国が警察官の役割を担い、内紛が起きるとすぐさま介入するというならば、一体誰がソマリアに、あるいは第二のソマリアに介入するべきなのでしょうか。あるいはレバノンに。今誰が、ザイールやブルンジ、ルワンダに介入すべきなのでしょうか。誰がエルサルバドルに介入すべきなのでしょうか。またはニカラグア、グアテマラに。そして誰がカンボジアに介入すべきなのでしょうか。カンボジアで紛争が続く中、なぜアセアン諸国はカンボジアに軍事的、政治的に介入すべきではないのでしょうか。
特定の一国あるいは二国が、他国の国内紛争へ一方的に介入する権利を与えられることは決してありません。
しかし国連には、ある地域の状況が、その地域の安全を脅かす問題となっている場合、安保理において協議を行い、そして安保理にその任務を遂行するよう要請できる機構があります。
しかし1975年8月22日から9月16日までの3週間、東ティモールでの内戦の際、インドネシア、そしてアセアン諸国やオーストラリアなどからも、国連の介入を求める要請は一切ありませんでした。これが現実なのです。
この21年間、国連の役割は何だったのでしょうか。国連は、その加盟国の意志の鏡です。米国をはじめ、どの国にとっても、自国の失敗を国連の責任として非難することは好都合なことです。
ボスニア間題はその一例です。ヨーロッパがボスニア紛争に対処する勇気や想像力を有していなかった時、そのスケープゴートにされたのは国連であり、バルカン半島担当の明石元特別代表でした。
ソマリア間題に対処できなかった時には、国連はソマリアに軍を介入させ攻撃を始めることによって、自ら紛争の一当事者となっていったのです。
これは誰の責任でしょうか。ブトロス・ブトロス・ガリ前事務総長の責任でしょうか。あるいは、国連加盟国の責任でしょうか。
東ティモールの場合、我々は国連が介入できなかったことに対し、クルト・ワルトハイム(元事務総長)、ハビエル・ペレス・デクエヤル(元事務総長)を、あるいはブトロス・ブトロス・ガリ(前事務総長)、そしてそのアドバイザーらを責めるべきなのでしょうか。それとも、アメリカ、フランス、英国、ロシア、中国、日本、オーストラリアなどの大国に、「なぜ国連はその任務を全うしないのか」と問いかけるべきなのでしょうか。
国家の国際的威信とは
先ほど、ニューヨークの国連への訪問は、同時に国際的な偽善を初めて知る教訓になったと話しました。しかし、そもそも国際関係は「偽善主義」と特徴づけられるものなのでしょうか、あるいはそうなることは避けられないのでしょうか。国家の利害と、人権や民主主義の間の矛盾や衝突は常に存在するものなのでしょうか。私は、どちらか一方を排除しなければならないとは思いません。
もし、ある国が正義、人権、民主主義などの原則をすべて放棄したならば、どうなるのでしょう。その国と他国との間で紛争があった場合に、このような原則を全て放棄しようとすれば、その国は国際関係や多国籍機関において、信頼や威信、名声を全て失うことになります。その国を誰も信用しなくなりますから。
日本とは異なり経済力を持たない小国が、いかに大きな国際的威信をもつことができるか、いくつかの例を挙げましょう。これは、その国が何のために戦うかによって決まります。
例えば、コスタリカは軍隊を保有しておらず、人口は300万〜400万人です。しかし、オスカル・アリアス元大統領はニカラグアのコントラ勢力に対処し、中米に和平をもたらした功績により、数年前、ノーベル平和賞を受賞しています。アメリカは、中米の紛争を終結させることができず、それどころがその紛争の一当事者となっていきました。国連安保理理事国もこの問題に対処せず、日本も全く関与していませんでした。そのような状況下で、同地域の和平実現への努力を一番初めに示したのは、コスタリカなのです。
また、パレスチナとイスラエル間の対話を初めて実現させたのは、ノルウェーでした。ノルウェーもまた入口400万人の小国です。さらにノルウェーはグアテマラ紛争の調停をも行っています。これは、ラテンアメリカ一長く、流血規模の大きな紛争であり、36年間の内戦で15万人の命が犠牲になりました。これを終結に向かわせたのもノルウェーだったのです。現在、スーダンの和平を目指し調停を行っているのも、ノルウェーです。
なぜ、日本やアメリカ、フランスなどの国々の姿はそこにないのでしょうか。なぜなら、多かれ少なかれ、これらの国々は紛争の一当事国であったり、紛争当事者のいずれかを裏で支援していたりして、不信感を持たれており、または経済的利益だけに固執していると見られているからです。
自決権とはなにか
紛争がある場合、全当事者は状況を真剣に見極め、その紛争の根源に対処することが賢明であると思います。例えば、スリランカでは紛争が約20年間も続いており、南アジア最悪レベルの紛争の一つとなっています。またバングラデシュでは、チッタゴンの人々を巻き込んだ紛争が続いています。
これらの問題の根源は何でしょうか。問題の根源の共通点の一つは人々の自決権でしょう。しかし、自決権とは何を意味するのでしょうか。これは単に分離独立を意味するのでしょうか。
チッタゴンで人が人によって殴られる時−。あるいはオーストラリアのアボリジニーの人々、ニュージーランドのマオリの人々、ナイジェリアのオゴニの人々、チェチェン共和国のチェチェン人−。自決権を求める時、彼らは分離独立を目指しているのでしょうか。いいえ。ほとんどの場合、自治権とは経済的権利、文化的権利、祖先からの土地の保有、自分達の言語や宗教の保持を意味しています。一言でいうと、一共和国、一国の中での真の自治を意味しています。政府が人々の要求に対して敏感であれば、−インドネシアの場合で言えば、インドネシア政府が西パプアニューギニアやイリアン・ジャヤの人々、アチェの人々、ダヤックの人々、カリマンタンの人々の要求に対して敏感であれば−、恐らく、インドネシアはいわゆる「インドネシアの崩壊」について懸念する必要はなかったでしょう。
東ティモールが望むこと
さて東ティモールの今後はどうなるのでしょうか。我々はどの国にも誇り、尊厳があることを認識しています。またこのような軍事行動を行う軍事政権、あるいはいかなる政府にとっても、それに失敗した場合、撤退することは極めて困難であることも、我々は認識しています。国家の威厳そのものがかかっているからではありません。東ティモールを侵略したのはインドネシア人やインドネシア共和国ではないからです。ジャカルタの一部の人々、つまり軍当局は東ティモールの文化や人々の精神力、決意を過小評価していたのです。侵略は3日間で完了すると考えられていましたが、これは軍事的にも政治的にも誤算でした。
私はこれを100万回も繰り返し言っていますが、我々の方は、インドネシア側と歩み寄る用意が十分に整っています。前提条件はありません。国連の機関あるいは第三国の調停を介して、双方が合意を見いだせる手段や方法を模索していく準備はあります。これらを介して我々はまず、人々に直接影響を及ぼしている問題−つまり、東ティモールに駐留する過剰な規模のインドネシア軍のことですが−に取り組むべきです。現地には2万から3万人の軍隊が駐留しています。もちろん、インドネシア側は、「それは嘘だ、真実ではない」と言うでしょうけれど。
またもしインドネシアが、同国が主張しているほど本当に東ティモールのことを愛しているのであれば、囚人を解放するべきです。平和的デモに参加したというだけの理由で、なぜ、多くの若者たちは背中や頭を撃たれたのでしょうか。なぜ今日、1000人以上の東ティモール人が投獄されているのでしょうか。
さらに、移住政策は廃止すべきです。東ティモールには10万人から20万人のインドネシア人が住んでいて、一番良い土地や仕事などを占有しています。そしてこれは、東ティモールが抱える不安定要因の一つになっています。移住政策を廃止し、東ティモールに駐留する文民の数を縮小し、NGO、国連専門機関、国連人権高等弁務官事務所などの国際的な監視団の導入を認めることによって、これを解決することは可能です。
インドネシアは東ティモール人に制限的自治を付与するべきです。つまり、同領土の人々が自分達の代表を選出して地方議会を設立することを認め、この議会は土地、経済開発、司法、移住など同地域の問題に限り権限をもつというものにすべきです。インドネシアが同国の国旗を全部東ティモールに掲げたとしても、問題はありません。文民や政府役人の一部を東ティモールに引き続き駐留させることも可能です。
東ティモールがインドネシアの27番目の州であるか、それともポルトガル管轄の領土であるかという議論を声高にすべきではない、というのが戦略なのです。この問題の議論や決断は全て凍結すべきです。これから5年後がどうなるか、6年、7年、10年後がどうなるか、誰にもわかりません。スハルト大統領はその頃には公の舞台を退いているかもしれません。スハルト大統領には病気を患うことなく、西暦2000年時点でも現役でいて欲しいと願っています。しかし、誰も老いからは逃れられません。インドネシアの新しい世代は1950年代、60年代、70年代の安全保障という考え方から解放されています。つまり、あらゆることを「誰もが共謀して政権を崩壊させようとしている」と見るという偏執病的な観点から解放されているのです。新世代のインドネシア人は韓国、フィリピン、タイなどの前例に倣い、異なる視点をもっています。また選挙によって選ばれた代表による議会、表現の自由、独立した司法組織を有しているのです。このようなインドネシアに対して、5、6年後の東ティモール人が何と言うか、誰にもわかりません。「インドネシア内に留まりたい」と言うかもしれません。逆に、インドネシアの方が「東ティモールが独立しても構わない」と言うかもしれません。実際、インドネシアでは東ティモールでの住民投票を求める声が上がっています。インドネシアでは時代の変化の兆候が見られています。
しかし、東ティモール人は同領土の政治的位置づけが決まるまでの長期間を待つことはできません。彼らにとってより差し迫った本当の問題は、日々の生活なのです。
ですから我々はインドネシア政府に訴えてるのです。自分たちのもの、と見なしている人々を解放してほしいと。囚人を釈放してほしい、シャナナ・グスマォンを釈放してほしい、軍隊の大半を撤退させてほしい、と。これによって東ティモール間題を解決することができるでしょう。
国際社会に望むこと
国連の新事務総長は、高潔さと豊富な経験とビジョンをもち、インドネシア、ポルトガル、そして我々を皆、自分と協力させることができる人物です。日本もインドネシアと対立することなしに、その政策を変換することができるはずです。第三国に協力を求めるということは、必ずしも、公的な声明を求め、その国に気まずい思いをさせるというわけではありません。個々の外交政策はそれが「何も行動をしない」と解釈されることがない限りは、機能するはずです。もしインドネシアが何らかのイニシアティブをとることがあれば、その時には、日本はインドネシアに対する主張を強化するべきです。そして国際社会もインドネシアに対する主張を強化するべきです。
なぜなら、スハルト政権は、「インドネシアで行ったことは全て誤りだった」と非難されるべきではないからです。インドネシアの経済成長はめざましく、識字率は上がり、貧困層も縮小しています。しかしながら、国家の生命は経済統計のみで示されるものではありません。それと同時に市民権、政治的な権利があるべきです。スハルト大統領はその遺産、また今後遺産になるものに欠落している点、つまり市民権と政治的権利に取り組むべきです。
日本や他の西欧諸国がインドネシアに変化を促すのであれば、それによって、インドネシアにおけるこうした国々の戦略的利益や経済的利益が保護される可能性は高くなるかもしれません。戦略的利益や経済的利益はより多くの武器を持ち込むことによって保護されたり、維持されるものではありません。80年代のイラン・イラク戦争の際、アメリカをはじめ、全ての西欧同盟国はイラクに武器を供与していました。「イラクはイラン人によるイスラム原理主義が拡大することを阻止し、緩衝地帯としての役割を担うであろう」というのが、これらの国々の挙げた大義名分でした。その2、3年後、イラン・イラク戦争の際にサダム・フセインに供与された武器はクウェートに対して使われました。
甚だしい人権侵害が行われていたり、政府の行動が世論や議会によって監視されていない国や政権、地域には武器を供給してはならないというルールを定めるべきです。独裁政権下では、政権は供与された武器を用いて、やりたい放題のことをします。ですから、インドネシアに武器を売るべきではないのです。特に、インドネシアのこの極めて重大な変化の時期においては。
東ティモールの独立と自由は実現する
私は大抵毎朝、BBCニュースにダイアルを合わせています。ある朝8時ちょうどにソビエト宇宙飛行士に関するニュースが始まりました。この飛行士はその2、3カ月前、宇宙に飛び立ち、宇宙滞在の記録を塗り変えた一人です。そして1991年2月、地球に戻る準備を整えていました。彼は強大なソビエト連邦の一部であるカザフスタンから宇宙に出発しました。彼にはソ連邦の国籍があり、また軍事的に最も恐れられていたその国のパスポートも持っていました。そして宇宙で孤独な数カ月を過ごし、地球に帰還予定の朝に、モスクワから「帰ってくるな」という知らせを受け取ったのです。「あなたの国はもはや、存在していない」と。これはSF小説ではありません。現実に起きたことなのです。あの宇宙飛行士が当時、どんなに孤独であったか、想像できますか。世界で、そして銀河系で一番孤独な人間であったでしょう。そして、モスクワは、その宇宙飛行士の現在の国籍がどうなるかを巡り、大混乱状態に陥りました。通常ならばカザフスタンに着陸するのですが、もはや別の国となってしまったので、簡単に着陸させることはできません。この宇宙飛行士については、最終的にモスクワは「帰ってもよい」と決定を下し、彼は地球に戻りました。
ここで私が言いたいのは一つだけです。つまり、国境線は撤回することはできない、と長年にわたって言われてきましたが、最近の世界の変化によって、もはやこれも流動的なものになっているということです。
ニューヨークにいる時私は大抵、中華料理店に行きます。好物だからではなく、一番安価なので。中国人のウエイターはとても好奇心が強く、即座に、「お客さんはどこの出身ですか」と間いてきます。お互いアクセントがあるため、コミュニケーションはとてもうまくいくのですが、「東ティモールです」と言うと、「エスキモーですか」と聞くのです。相手の間違いを正そうと、「エスキモーでなく、東ティモールです」と言うと、今度は「イスタンブールのことですか」と言い、「『ミッドナイトエクスプレス』を観ましたか」と、非常に興奮しながら聞くのです。それだけ東ティモールは知られていないということの証明でしょう。しかし、エリトリアが独立することを聞いたことがある人はいますか。バルト3国についてはどうでしょう。あるいは冷戦のさなかにベルリンの壁が崩壊するだろうと思っていた人は。
ですから、インドネシアでも民主主義が普及することは可能なのです。そして東ティモールに独立と自由が実現することも。そして、それが実現した日には、東京の外務省にいる聡明な方々、そしてオーストラリアの聡明な外務省の官僚の方々、そしてワシントンの極めて聡明な方々、大統領に助言してきた方々、つまり、ケネディ元大統領、カーター元大統領、レーガン元大統領などに常に「最良の」助言をしてきた方々に対して、東ティモールが独立することになれば、私は謝罪の書簡を送ります。というのは、我々は非常に礼儀を重んじ、「他人を失望させてはならない」と言われているからです。東ティモールは独立し、それによって多くの人を失望させるでしょう。ですから私はそういう人々に謝罪のメッセージを送らなくてはなりません。「貴方を失望させましたことをどうぞお許しください。我々はもはや自由なのです。我々は独立しました」と。
ありがとうございました。
●解説 ラモス・ホルタ氏は1949年、東ティモールのディリ生まれ。74年、フレテリン(東ティモール独立革命戦線)の設立に参加し、中央委員会委員(国際関係担当)を務めた。75年11月28日の独立宣言後の政権では外務大臣を務めた。インドネシア軍による侵攻直前に国際的支持をとりつけるため国外に出され、国連安保理で祖国への支援を訴えるなど、長い間ニューヨークでフレテリンの国連代表を務めた。88年、抵抗派勢力を結集した「東ティモール民族抵抗評議会(CNRM)」がシャナナ・グスマォンによって組織されると、フレテリンを離れ、その海外特別代表となった。その後、シャナナが逮捕されると、コニス・サンタナ東ティモール民族解放軍司令官とともに、一時同評議会共同議長を務めた。現在の正式な役職名は「東ティモール民族抵抗評議会特別代表」である。
92年に欧州議会でホルタ氏によって提案された「和平案」は、平和賞の受賞理由にも挙げられているが、これは東ティモール人の自決権行使を三段階によって達成しようとするもので、パレスティナ暫定自治方式を先取りしたものと評価されている。(「世界」編集部)
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