■資料:情報の伝達 2008年09月28日08:29
木曜日の夜11時過ぎ、珍しく携帯電話が鳴った。
誰だろうと確認もせず出てみると
S井君からだった。
職場の人からの電話連絡を待っていたので
もしかしたらと思い、出てみたのだが
勘違いだった。
「もしもし…」
「k子さん、俺です。S井です。」
夜中の電話である。
当然飲んでいるに違いない。
それも一年ぶりくらいかな…
どうして掛けてきたのだろう?と
不思議に思ったが、タイミングよく
携帯が音信不通状態になったので
また飲んでいるのかなと思い
切ってそれからは受けなかった。
次の日の夜、また電話が鳴った。
今度は出ずに、着信を確認したら
Y坊からだった。
こちらから再度掛けてみると
「 昨日S井君から電話があって、
雲さんが亡くなったと言ってきたんです。
本当ですか?」
そう言われても、私も確認のしようがない。
「 たぶん、ブログを更新しているから違うと思うよ。
でも、私も分からないから、Yに聞いてみる。」
と答えて電話を切った。
ちょうど風呂に入っていたらしいYは
「 はあ????? 」
と不思議そうな声をだしていたが、
「今日の昼にカレーを一緒に食べたよ。」
と電話で話していた。
折り返し、Y坊の留守電に返事を入れておいた。
ふーん、そうか、昨日のS井君の電話は
死亡確認の電話だったんだ。
S井君は、私の電話での声が小さかったことから
心情を察し、雲の死亡説をさらに
確信したらしくY坊に電話をしたらしい。
まあ、こういう情報の伝わり方も、
今後現実としてありかもしれないなあ…と思った。
そういう意味では、
よいシュミレーションになったと思う。
しかし、まったく、人騒がせな情報である。
まるで、自分だけが正しいと思いこむ
アルコール依存独特の
いかれた脳の働きがなせる技である。
周りがどんなに振り回されても
本人は振り回しているつもりもなく、
相手がどんな気持ちかを思ったり
自分がまちがったことを訂正することなんか
これっぽっちも考えない、関係ないように
私には思える。
自分だけの正しさにこだわり続けること
相手の思いや考えを受け容れられないことは
脳がいかれているから起きる現象なのだろうか。
バランス感覚の柔らかさや広さが大切なことは
誰にとっても当てはまることだけれど、
つい自分はできていると思ってしまう
この感覚が問題だ。
最近、「アルコール依存症の夫と共依存の妻」のブログを
shousukeさんのリンクから入って読む機会があった。
アルコール依存症を否認する夫と
その暴力から自分の身を守ろうとする妻との
哀しい格闘の記録である。
東北会病院で石川医師が講義で話していた
アルコール依存症者の典型的な変化が記されており
飲みつづける依存の怖さを再確認した。
そして、それに自分から付き合い続けている妻の
病的な共依存関係も読んでいてゾッとする思いだ。
人の心と体は切り離すことができない。
病み続けていくことから
どうしたら抜け出せるのか。
一人では命を絶つことでしか
抜けきれないのではないか…という絶望的な思いと
「誰か助けて」と求め続けている思いと、
助けようとする人達までもを巻き込んでしまう怖さと
まさに泥沼にはまり込む怖さを感じてしまう。
せめてもの回復手段はきっと
病気を理解することと、
どうしたら回復するのかの方法を意識しながら
毎日実践して、回復への方向を
目指す自立的な生き方をしていくことなのだろうと思う。
子供たちにも、機会があったら
「アルコール依存症の夫と共依存の妻」の
ブログを読んでほしいと願っている。
ブログの書き手のYさんが
依存症の夫の暴力(暴利欲)に耐えきれず
家を出で、寒さに震えながら
夫が酒に酔いつぶれて寝てしまうまでの間
きれいな星空を哀しい思いで眺めている
文章を読んだときは、思わず私の心も震えてしまった。
入り口のドアをぴしゃりと閉められ、
外に追い出されるときの哀しさ。
夜明け近くの底冷えのするH瀬図書館の駐車場で
車の中で震えながら過ごしたことを忘れない。
。。。。。。。。。。。
引用:情報の伝達 2008年09月28日08:29