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河北東北: 三陸河北: 宮城: 過去検索 ネット河北新聞 ID=akiukazoku パス=eikou001 雲:予定 (拡大) |
今日は、森遊舎にてバイト。 珍しく、佐藤司さんと将義さんが来客。 将義さんは森遊舎を訪ねるのは、初めてだったようだ。意外だ。 明日は、森遊舎でバイト。のち空手へGO! |
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7月8日〜7月14日までの一応の予定。 ↑<CENTER>で センタリングです。 7/8 AM7:00〜バイト・ガーデン藤〜 7/9 AM7:00〜バイト・ガーデン藤〜 7/10 AM7:00〜バイト・ガーデン藤〜 7/11 AM7:00〜バイト・ガーデン藤〜 7/12 AM7:00〜バイト・ガーデン藤〜 7/13 AM10:00〜バイト・森遊舎〜 7/14 AM10:00〜バイト・森遊舎〜PM6:00〜空手〜 尚、仕事・用事が入ったら追記いたす。 |
06/07/06-2 迷惑メールなら お手数ですが ご連絡下さい 二度と連絡しません 会話も 電話も メールも HPも 返事が返ってこないひと 6:00am頃起きて7:30amに出て 9:00pm過ぎに帰ってきて 10:00pmに寝る 家でやることは? 俺が 精神科に行くべきなのか 今度は薬を飲んで なにが変わるのか? 1990/07 家族計画のため パイプカット 1991 1992 1993 1994/07 ストレス性胃炎の悪化で 胃手術 〜11年 ストレス解消のため? 飲酒 1996/03 郁朗死 1997/04 遊浅草 1998/06 修ちゃんのこと /08 現代美術間個展失敗 夢・不登校 /12 家出 1999/2〜7 石彫小品150点 /7.8.9 宗舟「大黒」 ストレスand飲酒で → 鬱 2000 2001 2002/04 生活改善のため高校通学 /12 DV悪化 2003/04 離婚 2004/04 高卒 2005/04 舞東京 /09 アルコール依存解決のため 断酒 2006/07 断酒は継続 鬱は変わりなし なにをしても変わらない パイプカットした プールを提言 便所汲みをやめた 外注仕事をやめた 出歩く(遊び?)のをやめた パソコンやるのを遠慮 胃を切った 注意や提言を控えた 映画鑑賞を提言 プールをやめた リーダーシップをやめた 家計経理をやめた ニワトリを飼うのを 動物を飼うのをやめた 連絡ノートをやめた 結婚をやめた セックスをやめた 子育てをやめた 飲酒をやめた 毎日の写真日記やめた 家族ページHPへの書き込み遠慮 電話もメールも遠慮 今度は話しかけるのをやめるべきなのか その次は見ることをやめ 次は思い出すことをやめろと言うのだろうか 恵子さんは なにをやっても やらなくても 文句を言うだけのひと…なのかもしれない なにもしたくない人と共同していれば なにも出来なくなるのは自然なこと? --- akiu keiko |
虹の部屋
梅雨明けを待ちわびている栗の花
最近、中島みゆきのことについて書いてある ホームページを読んでいる。 お気に入りに書いてある佐倉哲のホームページを見ていたら 中島みゆきにたどりついた。 今日の詞です。 ↓ (4)エゴイズム このような中島みゆきの、私に云わせれば、クリスチャンの原罪意識にも似たような、特異な罪意識を感じさせる人生観は、後年の『友情』という歌の中で、さらに鮮明な形であらわれている。 『友情』 悲しみばかり見えるから この目をつぶすナイフがほしい そしたら闇の中から 明日がみえるだろうか 限り知れない痛みの中で 友情だけが 見えるだろうか 企みばかり 響くから この耳ふさぐ海へ帰るよ 言葉を忘れた魚たち 笑えよ 私の言葉を 終わり知れない寒さの中で 友情さえも 失っている この世見据えて笑うほど 冷たい悟りもまだ持てず この世望んで 走るほど 心の荷物は軽くない 救われない魂は傷ついた自分のことじゃなく 救われない魂は 傷つけ返そうとしている自分だ 一番欲しいものはなんですか 命賭けても守るものはなんですか 時代という名の諦めが 心という名の橋を飲み込んでいくよ 道の彼方にみかけるものは すべて獲物か 泥棒ですか この世見据えて笑うほど 冷たい悟りもまだ持てず この世望んで 走るほど 心の荷物は軽くない 救われない魂は傷ついた自分のことじゃなく 救われない魂は 傷つけ返そうとしている自分だ 自由に歩いてゆくのならひとりがいい そのくせ今夜も ひとの戸口で眠る 頼れるものは どこにある 頼られるのが嫌いな 獣たち 背中にかくした ナイフの意味を 問わないことが友情だろうか この世見据えて笑うほど 冷たい悟りもまだ持てず この世望んで 走るほど 心の荷物は軽くない 救われない魂は傷ついた自分のことじゃなく 救われない魂は 傷つけ返そうとしている自分だ 聖書の話ばかりで恐縮であるが、冒頭の「悲しみばかりみえるから この目をつぶすナイフがほしい」というショッキングなフレーズは、「もしあなたの目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい」というイエスの言葉を連想させるし、またタイトルの『友情』は、イエスの「人がその友のために自分の命を捨てること。これよりも大きな愛はない」という言葉に関係ありそうに思える。この歌のモチーフは、イエスのそのような利他的教えを、個人主義を信じる現代人に問いかけたものといえるだろう。 第六連の「自由に歩いてゆくのならひとりがいい/そのくせ今夜も ひとの戸口で眠る/頼れるものは どこにある/頼られるのが嫌いな 獣たち」という箇所をみると、個人主義に対する痛烈な批判があることが分かる。「獣」という言葉は、他にも『おだやかな時代』の中で、「おだやかな時代 鳴かない獣が好まれる時代」というふうに使われていて、ここでも個人主義者を陰喩したものとみられる。ここで「鳴かない獣」とあるのは、おそらく文明の恩恵で「近代的衣をまとった獣」という意味なのだろう。外見は優しく、人間性豊かにみえても、その中味は獣と同じように、自分のことしか愛せない個人主義者という意味にうけとれる。 戦後の日本人は、アメリカ型合理主義を無批判に受け入れ、個人主義という価値観をさも素晴らしいものであるかのように聞かされてきた。今日、個人主義という価値観が大きなものとなった背景には、さまざまな要因がある。左右の全体主義に対する反省、プロテスタンティズムの精神、資本主義社会に合致したこと、多元的価値との共存、等々。しかしなによりも大きなその背景には唯物主義的な人生観がある。特にダーヴィニズムによって、人間を動物の一種とする考え方が支配的となり、それとともに人生の目的が此岸的な個人の欲望を絶対視する方向へと流れていった。現代人はこのような時代背景の中で、個人主義という美名の下、動物的な自己中心的欲望、すなわち「エゴイズム」を大事に守り育て、互いのエゴイズムを認めあうという意味での「寛容」と「やさしさ」を、あたかも「愛」であると錯覚している。したがってそこにはエゴイズムに対する深刻な罪意識はない。 貧しい現代社会の中で だれのために どんなことを 求めていくことが 幸せなのだろうと考えてしまう。 楊貴妃BBS ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■
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