連絡: もう一度 こころの声で 唄いたい   06.05.10 木
『 自分の生き方 』  ぐらい わかっていたい♪


▼返信ソース▼ ■■■■ ■■■■
返信:from■■さん  06.05.00(曜日)
▲end返信ソース ■■■■ ■■■■





過去ノート:
06/1月 1 2 3 4 2月 1 2 3 4 3月 1 2 3 4 4月 1 2 3 4 5月 1 2 3 4 6月 1 2 3 4
06/ 7月 1 2 3 4 8月 1 2 3 4 9月 1 2 3 4 10月 1 2 3 4 11月 1 2 3 4 12月 1 2 3 4
07/1月 1 2 3 4 2月 1 2 3 4 3月 1 2 3 4 4月 1 2 3 4 5月 1 2 3 4 6月 1 2 3 4 000
▼日記▼ ■■■■ ■■■■
雲  06.05.10(木曜日)

ひとりひとりに対して 気を使って付き合っていたら 疲れてしまう
なんでも言い合える付き合いに 憧れている

無為に生きている自分が 悲しくなる

夢を語り合い 現実を作ってゆける暮らしがいい

ゆとりを 作ってゆけない暮らし ストレスはどこから来るか?
社会とのつながり方に注意すべきだろうと思う

元気になれない『 しごとの仕方 』は良くないと思う

「仕方ない」のではない
「仕方…やりかた」の『 工夫 』が『 足りないだけ 』


↓は2005年3月8日の ノートパッドの記事です。


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▼過去記事▼ ■■■■ ■■■■
ノートパッド  05.03.08(曜日)  

㈰家: 『話し合いと記録の仕方』    会議録案3/8雲
abcdefghijklmnopqrstuvwxwz abcdefghijklmnopqrstuvwxwz
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 

㈪QA㈰3/8雲:『話し合いと記録の仕方について』

Q:『確認したい事』を「整理・資料化=記録」して「みんなに伝達」する「しごと」
  は 誰がやりますか?
A:虹:
  遊:
  舞:
  夢:

Q:虹3/8:昨日の質問に対して遊はどうしようとしているのですか。
A:雲3/8:遊の事は遊が 答えるべきです。

 Q:虹さんは俺(and他者)が質問している事に 答えていますか?
 A:虹:

 注: 
 ㈰恵子さんは「自分の求めている答え」以外は聴かない…ように見えます。
 ㈪遊は「わからないこと・できないこと」を丁寧に解いてゆく(学び工夫する)
  根気と注意力をもう少し育ててゆくべきだと思います。(恵子さんも同じ)
  (謙虚さ・落ち着き・注意力・抑制力…等)
 ㈫俺(英行…そして遊も)は 
 「想い」を「現実」に繋いでゆく「日常の訓練」のシステム
  をしっかりと作ってゆく必要があると思われます。
 (恵子さん舞・夢には少し有る…けれど 「他力本願」から
  「自力本願」への「自立努力」を忘れないようにすべきだと思います。)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

▲過去記事 ■■■■ ■■■■

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『 いまやっていること 』を 『 明日に活かす 』工夫

『 記録や行動 』の『 いつも すぐに 確認できる片付け方 』の工夫


1996年
春頃〜 10年間のうち(=家族=アトリエ雲)の『 IT化 』の流れの確認







1990年
1991年 
1992年 ?PC
1993年


1994年 アトリエ雲 start   粘土・木工

1995年                クレヨン画

1996年 PC               個展
1997年                 個展
1998年 ?HP「ゆめの森」        個展
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年 HP『 風の広場 』
2004年
2005年 HP『 雲の部屋 』『 アトリエ雲 』
2006年 HP「家族部屋」






2003年
10月〜 2年と7ヶ月間ネットHPで やってきたことの確認

199?年
   PC1:東芝ブック型:雲:昌人より(15万)→伊藤君(5万)

1996年
00月 PC2:macクラシック:恵子:門脇さんより(5万)

0000年
00月 PC3:win2000ブック型:恵子

00年
00月 HPゆめの森:雲

2001年
00年 PC4:win:XP:舞(中3?):俵屋くん(20万)


2002年

01月
02月
03月
04月 雲高2編入 舞高校入学
05月
06月
07月 PC5:win95 雲:斉(いつき)さんからもらう
08月
09月
10月
11月
12月

2003年

01月
02月
03月
04月 雲高3 夢中卒(粘土)
   お絵かき日記?
05月
06月
07月 遊帰郷
08月
09月
10月 インターネットHP開設  あねごん あやっち こぅさん
               じーじょさん(タカ隊長)
11月             こぅさん
12月 尻取り川柳       小梅さん 獏眠さん
 
2004年

01月 PC6:win2000:遊:じーじょさん(2万?)
02月
03月
04月 雲高卒  平和サイト 安藤君 戦争平和版 空楽さん
05月
06月
07月 尻取り川柳サイト約20箇所 はなこはは楊貴妃さん姐ちゃん照ちゃん
08月              可津美さん 白狼さん 
09月
10月
11月
12月

   PC7:win2000:遊:陽くん(1.5万)

2005年

01月
02月
03月
04月 舞高卒
05月
06月
07月
08月
09月 断酒
10月
11月 遊東京 総雲誕生
12月 PC8:win2000:雲:陽くん(4万)

2006年

01月
02月
03月
04月
05月
06月
07月
08月
09月
10月
11月
12月

















▲end返信ソース ■■■■ ■■■■


  もう一度 こころの声で 唄いたい   06.05.08 月
『 自分の生き方 』  ぐらい わかっていたい♪


▼返信ソース▼ ■■■■ ■■■■
Date: Tue, 9 May 2006 06:10:18 +0900 (JST)
From: akiuniji akiuniji@yahoo.co.jp  アドレスブックに追加アドレスブックに追加
To: akiukeiko@yahoo.co.jp
Subject: 返信

name=虹
furigana=05.09.火
contents=昨日はすみませんでした。
イラだつ原因をできるだけ
作らないような努力をしないようにと思いながら
やっていることはイラだたせることばかりですね。
毎日、毎週。
できないことのいいわけばかりでは
うんざりするのは当然です。
できないことばかりを指摘され続けて生きてきた
私の無力さをどうしたら変えられるか
朝おきると湧いてくる元気に励まされて
なんとかしようと思う今日です。
少しずつでもいいから
前進していこうと思っています。
▲end返信ソース ■■■■ ■■■■

届かない こころの声の アーカイブ   06.05.08 月
『 発信 』 声を出す習慣 ♪


▼連絡▼ ■■■■ ■■■■
雲  06.05.06土〜
▼ニュースソース▼ ■■■■ ■■■■
yahoo news   06.05.06(土曜日)
Yahoo!ニュース - 共同通信 - ネット配信全面解禁を検討 50万本のNHK番組 ネット配信全面解禁を検討 50万本のNHK番組

 【香港5日共同】竹中平蔵総務相は5日夕、訪問先の香港で同行記者団と懇談し、過去に放送されたNHK番組のインターネット配信を全面解禁する方向で検討すべきだとの考えを表明した。
 NHKが保有する過去の番組は約50万本あるが、竹中氏は「NHKが持っているコンテンツ(情報の内容)をもっと活用するのがNHKのため、国民のため、関連する産業のためだと思う」と強調した。
 さらに、総務省の指針で年間上限10億円程度としているNHK番組のネット配信の規模についても「足かせになっている。どのような形でクリアしたらいいか議論しないといけない」と述べ、改正に前向きな意向を示した。
(共同通信) - 5月5日21時56分更新
関連トピックス: Yahoo!トピックス マスコミ、出版 Yahoo!トピックス 番組情報
▲newsソース ■■■■ ■■■■
↑『 情報の活用システム 』の工夫が大切だろうと思う


『 情報格差 』


( 生涯学習と自立 )06.05.06土〜

「情報環境」の「汚染状況」という視点から 見てゆくことが大事だろうと思う
そして 『 情報格差 』の問題という視点も

生活力とは 環境適応力だろうし
環境適応力とは 環境状況への的確な『 認識・分析・判断・対応の力 』 だろう


『A 自然環境情報対応力 』 と 『B 人工環境情報対応力 』




近代以前の情報世界において 個人の現実はAへの依存度が高かっただろう 

しかし 急速な近代化によって
「一部の」いわゆる先進状況や それを利用し得る「少数の」人々の生活状況は 急速に変化してきた

その方向性の是非さえ 問われないまま 
この近代化の流れを このまま加速化していってもいいのだろうか

いわゆる一部の先進地域の「生活ノウハウ」=『B 人工環境情報対応力 』
それだけに終始していたら 世界はどうなってゆくか?
過去に人工化・都市化の進んだ地域の多くが現在砂漠化しているような現実?

日本の関東平野 大規模災害対策や 犯罪対策の視点から見て
そこに生きる 何千万人の命や生活への 安全保障の安心度は・・・
低下してゆくばかりのように見える

ヒートアイランド現象ひとつ見ても 明らかに人災だろう そして
文字通り『東京砂漠』化が 現実となっていってるのだろうと思う

隣国中国や金正日の狂気も 隣人の狂気も どちらも怖い そうしたストレス
その中で 病み疲れ みんなが 狂い始めてゆく
世界中に蔓延してゆく『 幻想ウィルス=疑心暗鬼 』の感染症

『 神も仏も無い世界 』

親子 隣人 通りすがりの人々が 襲い合い 傷つけ合い 殺し合う 世界

人間に出会うことが 怖くなってゆく世界

それが近代社会・・・のように 見えてくる


『 現実 』を 見失う『 脳内回路=幻想=思い込み 』の怖さ

自らの狂気を 認めない狂人が もっとも怖い

『 狂いかけた生物 』としての『 人類の自覚 』が問われている?

紙切れに描かれた幻想のやりとりに 溺れてゆく近代人
電磁信号で動かされ『 自動ロボット化 』してゆく個人たち

『 価値幻想 』というアヘン中毒の蔓延
現実の単純ささえ 見えなくなってしまった世界

天然自然の おおらかな原理への おおらかな感性が 失われてゆく

動物園で生まれ育った動物は 自然に還しても 生きてゆけないという

『A 自然環境情報対応力 』を 『 人工環境 』の中で育ててゆくのは
案外大変なことのような気がする


見えない敵に 怯える感性も
見えない神に 身をゆだねる感性も
・・・人間らしさ・・・

しかし それは現実ではないのかもしれない

『 情報化社会 』の 是非・功罪も 両刃の剣
注意して扱ってゆく必要が あるだろうと思う

まずは 天然自然の情報に対する命としての感性・・・
生き物・生物・動物としての人間の感性を

キチンと 育ててゆける 環境作りが大切ではないのだろうかと 俺は思う








▲end返信ソース ■■■■ ■■■■
▼家族へ▼ ■■■■ ■■■■
雲 06.05.08(月曜日)

『 情報格差 』


( 生涯学習と自立 )06.05.06土〜

ゆうべNHKで教育についてのディベートをやっていた

『 放っといても育つ子供たち 』 『 育ちたがっている子供たち 』
・・・を
『 自分に都合の良いように 育てたがる 大人たち 』

そうした構図が続く限り 教育は成功しないような気がする

『学ぶ意欲』『育つ意欲』
『学ぶ方向』『育つ方向』を 牛耳ろうとすれば 反発が育つ 
あるいは 意欲が潰れてゆく

人間の身勝手な解釈・・・世界観では済まない時代に なってきたのかもしれない

生きている うれしさと 痛み …その『 意味 ?』

自分を否定されるのは 誰だって うれしくはない
受け入れ合える感性を 育て合ってゆくことが 大切なように思う

子供たちが示す 天然の感性を牛耳って ゆがめるのではなく
楽しく 心地よく 自然に すくすくと 伸ばしてゆくことが 大切だと思う

人工化・・・反自然 人知に汚れた世界 実りない幻想世界
都市には 種まく土さえない
そこを ゆたかさの象徴と見てしまう勘違い?

貴族たちは 生産を忘れてゆく
土の匂い 汗の匂いさえ 失ってゆく 小奇麗な近代社会

なにを学んだらいいのかの原点が ずれてゆく

『 学力 』とは なにか?
『 知識 』とは なにか?
いまなお 文字も読めないまま 生活し 子を育てている人間たちは多勢いる

彼らに『 学力 』や『 知識 』は 無いのだろうか?

必要なものは それぞれの個人が 今生きているところで 生きてゆくための『 生活力 』
・・・つまり『 環境対応能力 』だろう

砂漠で ジャングルで ツンドラで 草原で 孤島で・・・
生き続けてきた人類

お金も 石油も 電気も 書類も 文字も
いまなお ほんの一部の人々にとっての「必要なもの」に過ぎないのかもしれない
・・・という見方も あってもいいの出羽内科医?♪


『 愛の無い世界 』

本当に必要なものを 本当に必要な人のところに 届けること
それが『 本当の仕事 』なのかもしれない

薬や 食料 道具や 技能 智恵・アイデア 土地や 財産
自分が 手にしたものが 有り余っていても 
足りないところに 快く無償で 届けようとしない
いつまでも もっともっとと 何百人何万人分も独占・占有しようとしつづけるひとびと・・・貴族たち

地球規模に拡がって より見えにくくなってしまった小作制度=封建
の中で ゆたかさをもてあそび 放蕩に明け暮れる
いわゆる先進地域のAC(アダルトチャイルド)市民たち

俺たちは そんな風に生きているのかもしれないと 俺は思う

あがいても あがいても 実感(現実感)のない暮らし・・・現代生活

息をすること 日を浴びること 雨風に打たれること
獲物を追うこと 捕り逃すこと 藪を探ること 傷つくこと
泥にまみれること 汗をかくこと 疲れて眠ること
産むこと 生きること 育つこと 病むこと 老いること 殺すこと 死ぬこと

なにもかもが 観念的に翻訳された 味気ない例え話のようになってゆく時代?

『 風が吹けば 桶屋がもうかる 』と聞いて・・・
桶屋は 巨大扇風機を 作ろうとする・・・そんな時代?

『 医学部 』を目指すのは 人の役に立てるから・・・なのか?
『自分が幸せになれそうだから』・・・なのか?

世界のトップレベルの『学力』を目指すのは 誰のため 何のため?

将来の夢は『先生』という アフガンの『山の学校』の子供たち
彼らに インターネットやパソコン(ソーラーパネルetc.も?)を届けたら・・・
20年後 どこに どんな世界が 育つのだろう?

自分の生まれ育った土地で 暮らし方を学び 生きてゆく子供たち
その子供達の 育て方?「教育」の方程式?

『学びつづける大人たち』が周りに居れば
子供達は 自然に『学ぶ姿勢』学んでゆくのではないだろうか
・・・と そんなふうに 俺には思える



現実を見失い『 世迷いごと 』に 終始している自分が かなしい
そんな 毎日から どっちに 一歩踏み出してゆくのか 堂々巡りの日々

『 生きてるだけで 良いんですよ 』と 精神科医は言うが・・・?

何もしていないと 面白くない・・・ような気がする ???








▲家族へ■■■■ ■■■■
 
▼日記▼ ■■■■ ■■■■
雲  06.05.08(月曜日)

誰に どんなことを言えばいいのか
独りで 何をすれば いいのか

いろんな事をしてきたはずだった

その結果の『 いま 』
子供3人 育った
恵子さんも 勝手にひとりで 生きてゆこうとしてる

俺が居る意味は 別に無い

居ても居なくても良い『 選択の自由 』が ある
居なくなれば 年間150万円ほどの出費も 無くなる

この世は 面白いのだろうか
これから先 生きて ゆっくりと死に向かってゆくだけなら・・・

見飽きてしまった世界
マンネリズム ?
嘘でも 演技でも 馬鹿騒ぎでも良い
面白く動きたかったのに
動かなくなってしまった自分

つまらない自分

みんな自分に夢中で 取り付く島も無い
共感できる話題も無い
共同できる課題も無い

みんな それぞれ ただ自分勝手の『 意味 』を 抱きしめて

毎日 どこかしこへと出かけ
家に居ても 背中向け合って ひとり

幻し好きの人間たち

幽霊のように 映画の中 テレビの中のように
無関係に ただ うごめいて 見えてるだけ・・・触れ合うことのできない世界

ひとりぼっちは 楽しいのだろうか
野良猫も ミミズも
誰に出会うことがなくても ひとりで死ぬまで 生きる者もいるのかもしれない

それは別に 不自然ではない

人に出会い ふれあい 生きてきた
でも いまは? みんな居なくなってゆくだけ

俺が居なくなっても 別に なんの問題も無い
もうすでに 俺が居ないのと大差ないように みんな生きている

嫌がられ うざったがられ 拒絶され 邪魔にされる
申し訳ないと思うし なにより つまらなすぎる

人間に会いたかった いっしょに何か創って行こうと夢見ていた

ひとりで なにが作れるのだろう
『 面白く 楽しい 家族 』さえ 創れなかった俺に


話も 実践も 相手次第 みんな自分の気に入ったものしか 欲しがらない

個人間の 感性回路 幻想回路 の 互換性

恵子さんを 選んだ訳でもない 切り捨てようとも思わなかった
『 来る者拒まず 去る者追わず 』
常識にも 合わせてきたつもり
「法の精神」を 理解し 守ろうと思ってきたつもり 
民主的であろうと 思い
人権を 大切にしようと 思ってきたつもり

差別しないように 思い込み 独善にならないように
裏切らないように 傷つけないように 嘘をつかないように
気をつけてきた つもり

一生懸命やってきたつもり
ずるしないように してきたつもり

つもり つもり つもり・・・自分では そのつもり だった
でも みんなは そうだとは 言わなかった
特に 恵子さんは

疲れてしまった 俺にはできないのかもしれない
死ぬまで 許されない かなしさ

邪魔にされるだけの暮らし

みんなに必要なものは 『金』?『自己満足の…夢?幻し?』

『現実』を 確かめようとさえ しなくなってゆくひとびと

どうせ なくなってしまう明日を 創ろうとする虚しさ
『 まぼろしの充足=自己満足 』で 良かったのなら?
子供たちよりも りかちゃん人形の方が よかったのではないか
山暮らしより 箱庭や盆栽 ベランダ菜園の方が 良かったのではないか
都市生活者感覚の憧れだけで 百姓にはなれないだろうと思う

経済に依存するなら 経済を学ぶべきだろうし
自然に頼るなら 自然と馴染み合うべきだろうと 思う

わからない できない と言い張るだけの者には
わかるはずも できるはずも無いのは あたりまえ

なにもしなくなってゆくだけの暮らしの 先にあるのは
当然のごとく なにもできなくなってゆくだけの あした


ひとといっしょに生きる暮らしを選んで 30年生きてきた結果
今度は また ひとりで生きてゆく暮らし…『 ふりだし 』から
人生に 未練はない 面白さは 人間との共感やじゃれあいの 安心

人間の居ない世界は 生きていてもつまらない と いまの俺は思う

世界を歩き回って 探し物をする気もないし
足元の世界に 人間の居ない明日への 種まきをしても 面白そうには思えない


30年の徒労 ここからどこに行くか?
どうせ また 同じようなものだと 思えるほどに
長く続いてきた 徒労感

生きていく意味は いまの俺には見えない

人殺しになるまえに 嘘つきになる前に 消えたいと思う
なにをしても 誰も よろこばない 
イラついて また 暴力(DV)や 暴挙(代償行為)を 起こす前に
人間や 生き物の居ない ところに 自分を隔離する
そのぐらいの『 人間らしさ 』ぐらい 失わずに死んでいきたいと思う










▲end返信ソース ■■■■ ■■■■





相聞歌 唄わぬ声は 届かない   06.05.06 土
『 発信 』 声を出す習慣 ♪


▼返信ソース▼ ■■■■ ■■■■
返信:from■■さん  06.05.00(曜日)
▲end返信ソース ■■■■ ■■■■





日々の技 こころみがきの 相聞歌   06.05.04 木
『 生産力 』 作る人 創る人 造る人 ♪


▼返信ソース▼ ■■■■ ■■■■
Date: Fri, 5 May 2006 06:43:25 +0900 (JST)
From: akiunora akiunora@yahoo.co.jp  アドレスブックに追加アドレスブックに追加
To: akiukeiko@yahoo.co.jp
Subject: 返信

name=虹
furigana=05.05(金)
contents=あなたも犯罪者読みました。
さしあたり、情報漏洩が一番身近な犯罪直結の例だと思いながら読みました。
学校でも、個人情報は持ち出さないように
校内で一括保管しています。
持ち出すときは、教頭に断っていくことになっているけれど
まだまだ内緒で持ち出さないと
仕事が進まない状況です。
法律が生活のベースになっているのに
どうして、近代の歴史と同じで、分からない状況になっているのでしょう。
目をそらす、情報の統制は、何のためになされているのか。
国民を個人として認めず、都合の良い道具として見ていく姿勢が
選挙の時の投票の発言にも伺われるように、
忙しさや目先に追われることばかりの状況に追い込んでいる、
追い込まれていることに
もっと気づく必要がある。
情報の統制を客観的に眺めていける姿勢を持ちたい。
そのためにも、座標となっている法律を当たり前のように
知っていることが必要だ。
憲法や教育基本法、民法の骨組みを理解したい。
▲end返信ソース ■■■■ ■■■■

06.05.04 木 ▼文章▼ ■■■■ ■■■■
返信:by▼雲▼ 06.05.05(金曜日)   ▼返信▼ ■■■■ ■■■■

『 ふれあいの道具・・・おもちゃ 』



( 五体五感・心身と世界との出会い )




なにを大切にしたらいいのか ・・・ 隣り合う孤独たち 
アパートの小さな部屋に 家族の死体と暮らす母親も
死んだ夫や妻の仏壇に 毎日食事を供える者たちも 
孫可愛がりの 爺婆も
なぜ? リアルタイムで 現実の中で
愛し合うことを しようとしないまま「思い残しの夢」を見ているのだろう





06.05.04.the fine   ・・・by虹

今日の思い:



>天気がよいゴールデンウイーク。
>静かな時間が過ぎていく。

感想and提言:雲
        cf.映画「毎日が日曜日」
暮らしの感性を もう一度取り戻してゆくことが大切だと思う
「出勤日(仕事)」と「休日」という勤め人感覚に染まらないようにしよう
百姓や救急・レスキュー等の感性⇒『 危機管理 』の感性に『休日』は無い

いつも臨戦体制・臨機応変・・・そして疲れることも・・・弛緩もしない
そうした 動き方を 身に付けてゆく意識が大切だろうと思う



>うちにいて、ゆっくり落ち着いていることで
>いろいろなことが考えられる。



>総雲におもちやを作ること。
>五感を刺激して発達させるために
>必要なこと。

「発達させる」→「・・・させる」という意識は気をつけたほうがいい
生き物は自分で自然に育ってゆくようにできている
いま わたしたちが気をつけてやるべき事は
人工世界の 偏った環境バランスへの フォローだろうと思う

 

>見る。聞く。寝返りを打つことができたら、
>次はきっと、はう動作を促すために
>転がる玩具を目の前に置いて
>追いかけさせるようにしていくことだろう。
>にぎる。音がする。口にいれて感じる。
>そんな玩具を作ったり、

具体的に 五体五感的な状況を 相手のレベルから考えてゆくことが
大切ですね♪



>幸奈さんとのかかわり遊びを増やすもの
>があったらいいのかもしれない。

幸奈さんと総雲と二人だけの状況のとき
どんなことが起こり得るか
困りそうなことを想定して そうしたことへの配慮や
対処法を いつも 考えて対応準備してゆくことですね



>自分の子育ての時は、そんなことを考えるゆとりもなく
>来てしまったことが残念だ。
>とにかく、今できることを形にしていこう。

恵子さんの場合 とにかく「やってみること」
ひとつづつ期限を決めて 結果を残してゆくこと
簡単なことから キチンとやってゆくようにすると良いと思います

そして あきないで?あきらめないで?「継続してゆくこと」
・・・だと 思います



  ▲end文章ソース■■■
06.05.04 木 ▼家族連絡▼ ■■■■ ■■■■

『 うれしさ 』


( 暮らし(共同生活)の原点⇒協調・共感 )

感動・おどろき・よろこび・・・うれしさ・かなしさ


   06.05.04 木


からだが 泣いている

うれしくて かなしくて


乾いてゆく こころ
汗を 忘れた 暮らしが かなしい

あなたに あいたい
とどかない つぶやき
荒れ果てた 遠い道

足跡が消えてゆく 歩きつかれた夕暮れ


冷めてゆくこころ
抱き合えない こころ
隣り合う 孤独

不感症の蔓延 幻の時代

汗を忘れた 時代

無味無臭 手ごたえのない暮らし


一生懸命が 見えない 時代

『うれしさ』の無い 時代



無味乾燥 汗も涙も 涸れてゆく ・・・





06.05.04 木 ▼文章▼ ■■■■ ■■■■
文:by▼雲▼ 06.05.05(金曜日)   ▼随想▼ ■■■■ ■■■■

『 リーダーシップ依存 』



( 封建の感性 )

「権威主義」や「封建」の マインドコントロールが
幼い頃から 家庭や学校その他
あらゆる「人間関係」の中で 刷り込まれてゆく子どもたちの「生育環境」

幼児は弱いから 自分を守ってくれる者を探す
それは 本能的なものかもしれない
親は 本来子を守る感性や反応・反射を身につけているはずだろう
近年の親子や家族関係の問題行動の『 原因 』解明の視点は
やはり『 ストレスと その転移・代償行為〈行動〉 』という点になるのではないかと思う


「現代社会」の「ストレスの蔓延と連鎖」がもたらす
個人の「不可解行動」に「合理的動機」を探しても徒労に終わるだろう

転移行動・代償行為は ストレスの原因となった本来の動機・欲求を
解明・理解しない限り
解明し難いものだろうと思う

いわゆる近代社会の個人は さまざまなストレス要因を抱えている

人工化し過ぎた『 生活環境 』と『(個人や集団の)生活感性…常識感覚 』
その双方が絡み合って 個人の「ストレス状況」が 生まれてくると思われる

「人工化」と書いたが「幻想化」と言い換えてみても良い
本来 生物的な生活感覚とは 五体五感感性的(=物理的)な単純反応的なものだろう 
しかし 脳内回路(理性)が複雑化した人類は 現実の現象への判断や対応を
単に条件反射的・反応的に 行うだけでなく 予知・予想・予見・分析・判断etc.
脳内回路内部で『考える』という作業を行う。

近代人のストレスの多くは そうした
いわゆる「精神的・心理的」なストレスだと見ることができると思う

前期したように 状況は両面的要素を抱えている
つまりA:「状況把握感性」の側面 と
   B:「状況そのもの」の側面 だろう

近代社会の「個人生活環境状況」自体が わけがわからないほどに 混乱してしまっていることは 確かだろう

次から次と押し寄せてくる幻想の洪水…に 押し流されつづけてゆく わたしたち個人


荒れ狂う 情報の嵐の中で 本来の個人的現実世界を見失いかけてゆく わたしたち



しかし その一方には 近代化の恩恵…楽で安易な人工環境に守られた暮らしの中で
ぬくぬくと育ち 安閑と暮してきた わたしたちの心身の退行・退化
『 虚弱性 』も あるのではないか ということも見落としてはならないと思う

「権威・利権崇拝」「拝金主義」「屁理屈・机上論」的な世界

「経済・資本…封建」の神輿に 乗るもの 担ぐもの

徒党の横暴・暴走が まかり通る 『 衆愚的多数決社会 』

そうした社会の中で 踏みにじられないよう 侵害・侵略されないよう 
どうやって生きていけばよいのか
逃げ場さえなく 怯え・うろたえながら生きている多くの個人たち

個人のストレス状況の 多くは そのような 閉塞状況
まかり通る 傲慢・卑屈・排他・侵略的な封建的多数の仲間入りをして 
個人的安全・安心…保身エゴイズムの道を選ぶか

それとも民主的な自立・自尊のマイノリティーとしての道を選ぶか

そうした踏絵的な状況の戸惑いに…
いつも さらされつづけているストレス

『排他的エゴイズム感性…競争淘汰的感性』を容認できない感性は
そのようなストレスの中で 自傷的に 追い込まれてゆくような気がする

『民主主義社会の未熟』の中で 何度も何度も形を変えては台頭してくる『封建幻想』

それを断ち切る道は
ひとり一人の個人の 心身の自立性の自覚と
依存心への注意そして決別からしか 始まらないように思われる












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たくましさ 身につけてゆく 日々の技  06.05.03 水
『 疲れない生き方 』
を 身に付けてゆくことが大切だと思います。

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返信:from■■さん  06.04.00(曜日)
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06.05.03 水 ▼家族連絡▼ ■■■■ ■■■■

『 日常と危機管理 』


( 暮らし(共同生活)の原点⇒協調・共感 )

ひとつひとつの話を 確実に伝え合うこと
まちがいのない確認が 大切だと思います

とにかく 落ち着いて暮らすことが 大切だと思います


共同には ハーモニーが大切だと思います
ソロで唄う時と コーラスでは 唄い方がちがってきます


ロックも 童謡も ゴスペルも
臨機応変に みんなで 唄えるような『 柔軟な個性 』
・・・「しなやかさ」 や 「おおらかさ」 を

みんなが 育ててゆくことが 大切なのでは ないでしょうか


『 人間の多様性 』への 『 対応力 を 育ててゆく 』ことが
個人の 『 成長の方向性 』 ではないのでしょうか?


『 毎日のこと 』 を
『 確実に片付けてゆくこと 』 では ないでしょうか?


たくましさ 身につけてゆく 日々の技

『 疲れない生き方 』を 身に付けてゆくことが大切だと思います。


『 人間の多様性への対応力 』を 『 育ててゆくこと 』・・・が

個人の 『 成長の方向性 』 ではないのでしょうか?



『 個人的な現実 』と『 社会的な現実 』

エーコー君と付き合っていると ケーコさんは『疲れる』
ケーコさんと付き合っていると エーコー君は『疲れる』

そうした状況を どう改善できるかが 恵子さんと俺との関係の課題だと思います

ケーコさんは その他に
『 仕事場での疲れ 』や『 外出時の疲れ 』
を訴えることも多いように見える

『 対応力の不足 』の観点 と
『 オーバーワーク =過労 』の観点 と
視点を分けて よく注意して見てゆくことが 大切なように思えます

子育てと同じで『育つもの』への対応は
小さいうちに やるほうが 効果的で効率がいい
大きくなった木の剪定は大変だが
苗の頃から 剪定しやすく育ててゆくと 大きくなってからも やりやすい

「人間関係」「社会関係」も 同じように 思える

急速にグローバル化・拡大しすぎた世界に 対応しきれずに
個人が 戸惑っているような現代社会状況があるのだろうと 俺は思う

社会対応の基本=原点が 人間関係にあることを
みんな 見落としているような気がする

剪定のポイントは 来年の芽を残すこと

あるいは いかに新芽を芽吹かせてゆくか・・・だろうと思う

現象や状況の活力・活性の維持・継続のためには
明日へと続いてゆく 育ってゆく『なにか』を しっかりと見てゆくことだろうと思う

その『 なにか 』が なんであるかの確認が 大切だろうと思う


『人間の歴史』の中で 『 人間関係 』は
どう育ってきたのか
どう 育ててゆけばいいのか

そうした視点から 「家族関係」や「対人関係」「社会関係」を見てゆくことが・・・
大切だろうと 俺は思う


「対人関係」を 後回しにすることの 問題性
あるいは その優先順位の決め方の 問題性
多くの人が そうしたことに あまりにも無関心すぎるような気がする


なにを大切にしたらいいのか ・・・ 隣り合う孤独たち 
アパートの小さな部屋に 家族の死体と暮らす母親も
死んだ夫や妻の仏壇に 毎日食事を供える者たちも 
孫可愛がりの 爺婆も
なぜ? リアルタイムで 現実の中で
愛し合うことを しようとしないまま「思い残しの夢」を見ているのだろう





06.05.04.the fine   ・・・by虹

今日の思い:



>天気がよいゴールデンウイーク。
>静かな時間が過ぎていく。

感想and提言:雲
        cf.映画「毎日が日曜日」
暮らしの感性を もう一度取り戻してゆくことが大切だと思う
「出勤日(仕事)」と「休日」という勤め人感覚に染まらないようにしよう
百姓や救急・レスキュー等の感性⇒『 危機管理 』の感性に『休日』は無い

いつも臨戦体制・臨機応変・・・そして疲れることも・・・弛緩もしない
そうした 動き方を 身に付けてゆく意識が大切だろうと思う



>うちにいて、ゆっくり落ち着いていることで
>いろいろなことが考えられる。



>総雲におもちやを作ること。
>五感を刺激して発達させるために
>必要なこと。

「発達させる」→「・・・させる」という意識は気をつけたほうがいい
生き物は自分で自然に育ってゆくようにできている
いま わたしたちが気をつけてやるべき事は
人工世界の 偏った環境バランスへの フォローだろうと思う

 

>見る。聞く。寝返りを打つことができたら、
>次はきっと、はう動作を促すために
>転がる玩具を目の前に置いて
>追いかけさせるようにしていくことだろう。
>にぎる。音がする。口にいれて感じる。
>そんな玩具を作ったり、

具体的に 五体五感的な状況を 相手のレベルから考えてゆくことが
大切ですね♪



>幸奈さんとのかかわり遊びを増やすもの
>があったらいいのかもしれない。

幸奈さんと総雲と二人だけの状況のとき
どんなことが起こり得るか
困りそうなことを想定して そうしたことへの配慮や
対処法を いつも 考えて対応準備してゆくことですね



>自分の子育ての時は、そんなことを考えるゆとりもなく
>来てしまったことが残念だ。
>とにかく、今できることを形にしていこう。

恵子さんの場合 とにかく「やってみること」
ひとつづつ期限を決めて 結果を残してゆくこと
簡単なことから キチンとやってゆくようにすると良いと思います

そして あきないで?あきらめないで?「継続してゆくこと」
・・・だと 思います

 
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返信:from虹さん  06.05.03(水曜日)
>雲:

>現代の人類の多くは 定住生活型で暮している 
>定住は荷物を移動する手間が少なくなる分だけ便利だからだろう
>そして その分だけ持ち物(占有・所有資産)も多く持てるようになってくる

>しかし 持ち物が多くなれば その分だけ
>維持管理の手間⇒つまり 「家事労働」も増えてゆくことになる

>便利さと不便さのいたちごっこのような人類の文化・風俗史がある

>いろんなものが増えて 便利になっていっている はずなのに
>人々の不満が 増えていっているような気がしたりする



虹 06.05.03(水)


→ 私たちは何がしたいのだろう。

便利な暮らしの中で
さらに 便利な暮らしを満喫したいのだろうか。

便利な暮らしの中で不便な暮らしを
たまに 味わうことがしたいのだろうか。

毎日が不便な暮らしならきっと何とか満足したいと思うだろう。


『 改善できる暮らし方 』をしたい、『 克服 』したり、

『 一歩前に進む暮らし 』ができたらと思っている。

どちらへ、どんなふうに進んでいるのかを確かめていないと
同じ所をぐるぐる回っているだけということもあるかな。

どちらかというと、そんな繰り返しなのかもしれないと思えることが多い。

螺旋状につながっている時間や空間の中で
断面(切り口)をいつも見続けている。
断面を確認しながら積み重ね続ける生き方。

どちらへ、どんなふうに進んでいるのかを確かめながら

私たちは何がしたいのだろう。

人と出会う、一緒に過ごす、心が触れる

そんな楽しさを求めて生きているはずなのに、
毎日人と出会うことに疲れている暮らししか見えない。

まさに求めているものを探し出会う楽しさよりも
探すことに疲れているいたちごっこ。

『 一歩先取りするおもしろさ 』を
身につけていけたらと思っている。





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 06.05.02 火
『 毎日のこと 』
を『確実に片付けてゆくこと』では ないでしょうか?

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返信:from■■さん  06.04.00(曜日)
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『 日常と危機管理 』


( 暮らし(共同生活)の原点⇒協調・共感 )

ひとつひとつの話を 確実に伝え合うこと
まちがいのない確認が 大切だと思います

とにかく 落ち着いて暮らすことが 大切だと思います


共同には ハーモニーが大切だと思います
ソロで唄う時と コーラスでは 唄い方がちがってきます


ロックも 童謡も ゴスペルも
臨機応変に みんなで 唄えるような『 柔軟な個性 』
・・・「しなやかさ」 や 「おおらかさ」 を
みんなが 育ててゆくことが 大切なのでは ないでしょうか



『 人間の多様性への対応力を 育ててゆくこと 』・・・が

個人の 『 成長の方向性 』 ではないのでしょうか?






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返信:from■■さん  06.04.00(曜日)







   06.05.01 月
『 家事しごと 』
ぐらいから みんなで やっていければいいのかな?

『 家事しごと 』


( 暮らしの原点 )06.05.01 月

暮らし・・・生きている現実は そう複雑なものではないと思う

朝起きて 動いて メシ食って クソして 寝ること
息しつづけていること 心臓が動いてること
生きていることとは そういうこと


寝る前に 車の中に七輪で練炭でも焚いて
安眠剤を飲んで 寝れば
そのまま 永遠に起きなくて 済むかもしれない

朝 起きるのが 億劫になるのは どういうときなのだろう?
学校があるのに 出勤日なのに
もう少し『 寝ていたい』・・・思い ?

そうした思いへの共感は 案外多くの人に あるだろうと思う

なぜ もっと寝ていたいのだろう
なぜ 起きて活動するのが 億劫になるのだろう

生きているのが 嫌になることと
死にたいこととは 少し ちがう

「不登校=勉強(学習)嫌い」ではないし
「出勤拒否=しごと嫌い」ではない
「しごと=労働=仕事」でもない

「家事労働」も「しごと=労働」だろう

孤島の 一人暮らしの者の「家事労働」を 考えてみれば
ひとひとりの暮らしの原点は わかりやすいと思う

生きてゆくために 一番に なにが 必要か?
なにが欲しいか?

家が無ければ 「家事労働」はない

生きてゆくのに『 家 』は 必要なのだろうか?

チンパンジーは毎日木の上に木の枝を並べて寝るらしい
雨風を防ぐには・・・屋根があったほうが・・・etc.
人類の生活史を たどってみれば
現代社会にたどり着く

単独行の冒険家は チンパンジーのように
毎日「家」を作り
ホームレスのように 生活必需品を抱えて
長い間移動生活を続ける
そうした生活形態を民族文化として様式化した民族も多い
(cf.遊牧民族など)

現代の人類の多くは 定住生活型で暮している 
定住は荷物を移動する手間が少なくなる分だけ便利だからだろう
そして その分だけ持ち物(占有・所有資産)も多く持てるようになってくる
しかし 持ち物が多くなれば その分だけ
維持管理の手間⇒つまり 「家事労働」も増えてゆくことになる

便利さと不便さのいたちごっこのような人類の文化・風俗史がある

いろんなものが増えて 便利になっていっている はずなのに
人々の不満が 増えていっているような気がしたりする

















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返信:from■■さん  06.04.00(曜日)
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問いかけ:雲→家族みんなへ  06.04.27(木曜日)

『 対話 』 06.04.30日

誰かと キチンと話したいと思う

混迷する社会 支離滅裂の自分

そうした自覚(自覚)の上にたって
前向きに 建設的に話し合う『 対話 』に 憧れている

自分の利害なんて ちっぽけなものだ
己が 生きるか死ぬか さえ
50歳を過ぎた いま 
子供たちが 育った いま
さほどの 問題でもない

残された人生 なにがしたいかを考えると
やはり 誰か『困っている人』の 役に立てるような
誰かに よろこんでもらえるような
そんな 生き方をしていきながら
死ぬまで じっくりと生きてみたいと思う

ひとと ひとつひとつ 確かめ合って
キチンと話し合えてきたとは思えない
なにもかも 中途半端に 怠惰に あいまいに
あるいは ただ 追われるように 流されつづけるように
そんなふうに 生きてきた


矢継ぎ早の『現実・・・日常』
確認さえできないままに 判断・決断・実行・処理を迫る状況
しかも その殆どは いわゆるレスキューや危機管理と言えるほどの
切実な問題とはいえない そんな現代生活

いっぽう 情報世界の中には 毎日のように
人間の危機的状況が 報じられている時代 

個人的な状況と 社会的な状況とのギャップの中で
混乱し 引き裂かれてゆく 思いやこころの現実感

個人的状況の「ちがい」=「現実格差」や「情報格差」が
『 対話 』や『 共感 』を 困難なものにしてゆく

俯瞰・客観視的視点・視野の前提と
凝視・主観視的視点・視野の前提との 確認さえ
なかなか できない まま
支離滅裂な 主観のぶつけ合いの
徒労を繰り返していることに いらだち 疲れてゆく


無知の自覚の限りなさ 現象や認識の多様・多面・不確定性の波の中で
共同や共感・協調・・・たったそれだけのことが 叶わない

建設的な対話 創造的な対話 明日の現実を描いてゆく共同作業
そうした対話を 夢見つづけてきたのかもしれない
過去や現在の認識のちがい ずれ?

それを埋めることひとつで 言い争うことが多すぎる
あしたへの現実的な方法論に必要なものは なんだろう