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最新 ・・・ 12 ・・・ 最初


2007年08月26日 18時51分43秒  魅力の未 溶かしてしまう アルコール?

そういえば 親父に殴られた時も 爺さんがキレタ時も…
酒が入っていた… などと いまになって感慨深く…思う…。

メモ:mixi書き込みコメント→mixiアルチューさん
2007年08月19日22:24 雲

俺の場合は 放任親父で
高1まで怒られた記憶さえなかった。
高2への進学をやめて 留年すると言った時…
酔った親父に 初めて殴られた…けど
なんだか大きく強く見えていた親父が
小さく見えて 気が萎えてしまった記憶がある。
。。。。。。。

自分の子は 長男の時は4歳の時から…
(たぶん最初の子育てで 真剣だったから?)
はっきり言葉で理由を伝えてから
「危ないから 動くなよ」と言ってビンタしていた。

下のふたりは…
小学5年♂と6年♀のとき
「そういえばお前等殴ったことなかったな?」
「殴られたぐらいで
 牛耳られるようになったら大変だから
   いっぱつ 思いっきりビンタしてやるよ♪」
…と言ったら
姉の方は「イヤだ!」
弟は素直に「ウン!」と言ったので
「歯食いしばれ!」と言って…
思い切りホッペタを ビシッとやったら
姉が 一言。
「トーちゃん…ヒドイ!!!」

それ以来 だれも 殴ってない♪…だっちゃ♪
(いまは…怖くて殴れない  …残念笑)  

2007年08月26日 18時27分05秒  こころまで きずつかないで そう祈る♪

めも:mixi書き込みコメント
2007年08月26日18:23 雲 | 削除

>ガースーさん:おひさぁー…だっちゃ♪

  >そんな自分が情けないけど
  >少しだけ誇りに思う

 ん〜ん …たしかに! 共感だっちゃ♪



↓むかし書いた詩を思い出しました…だっちゃ♪



きず        …1990/8/28/日→2007/8/26/日


映画「典子はいま」を 観た

障害ということばがある  …傷害ではない
さまたげ …だろうか?  なんの …?

「 生きること 」の さまたげだろうか

典子の こころは 傷ついてはいない

典子のこころは ぼくなんかより

よっぽど 強そうに見える
…もしかしたら 「からだ」も…

 「風の詩」の星野富弘さんも… 「ケニー」も…
 「五体不満足」の 乙武さんも…

スクリーンに 文字に 絵に
映し出された こころの きらめき

みんな おなじ…ひと …なんだと 俺もおもう

・・・・・・・・・・・・

きずつかない 勇気と覚悟
それが もうひとつの… いきるちから

社会に… ひとに… きずつかないこと

そして 

社会や ひとを きずつけないこと

このふたつが ひととしての約束

・・・・・・・・・・・・・

だれひとり ひとを きずつけないでほしい

だれひとり ひとに きずつかないでほしい

・・・・・・・・・・・・・

これが わたしの いのり


。。。。。。。。。。。。

   


 ガースーさん2007年08月26日08:09 誇り

・・・・・・・・・・・・
人を愛し 人を傷つけ
人に愛され 傷つけられて
やがて人は大きくなって
誰よりも 優しくなれる

人をだます事を覚えて
人にだまされながら生きていく
そんな自分が情けないけど
少しだけ誇りに思う
・・・・・・・・・・・・・・by?

↑うんうん。正しくそう感じた。
なんてか誇りって割と大切よね
人間何かしら芯みたいなのがないとフニャフニャになっちゃう気がするからさ。

何を1番に思ってるかって凄く大事だと思う
それってやっぱりその人の魅力だと思うからさ

最近切実に思いました。はぃ。


。。。。。。。。。。。。。。。。。

2007年08月26日 08時29分15秒  天然の アホでもいいさ 正直に♪

めも:mixi日記より
2007年08月24日05:57 叱られて…2 正直2
akiu 雲

「IQ=60」

…小学校のころ…1

小学校の頃も…叱られた思い出は少ない。
小2のころ たしか遅刻の常習犯で叱られてた
小3のころは それに 忘れ物が 加わった。

忘れ物ばかりする俺に 困った先生が
最初…「忘れないようにメモしなさい」と 指示した。
それでも なんども メモするのを忘れたので
今度は 隣の席の女子に…
「必ずメモさせるように!」と指示したほどだ。

でも… 結局 家に帰って メモを読むのを忘れる
 …そんな奴だった(笑)
(あの頃は 家でも学校でも いつも
 漫画本の絵を そっくりに描き写すことに
 夢中になっていた。)

そういえば そのころ 先生に叱られたことがあった。
ある日の放課後 先生に呼ばれた。

先生:「この前の知能検査(IQテスト)まじめに書いたの?」

俺 :「はい!」  (…と 正直に応えた。?)

先生:「・・・・」…と 悩んでいる。
   「あなたのIQ=60⇒「魯鈍」なのよ?」

 …なにやら白痴の一歩手前 …
 当時の基準だと 特殊学級レベルらしかった。

 当時 成績は悪くはなかった。
 どちらかと言えば できるほうだったので
 先生も 結果に納得がいかなかったのだろうと思う。

 でも 先生は すんなりと 許しては くれなかった。

先生:「あなたは なんでも
    のんびりしすぎてるからじゃない?」
   「もっと テキパキと速くやらないから こうなるのよ」
   「それに 字も大きすぎるし…」

   …と叱られた。

 …と言うわけで それからしばらく
 放課後 残されて

 「字を小さく書く練習」を させられた。

 当時から なにごとにも すぐ夢中になる性格のオレ。
 2Hの鉛筆を みごとに細くして
 米粒に字が書けるまでになった(笑)

 …おかげで それ以来 大きな字が書けなくなってしまった。

 そんな訳で いまだに

「お前の字は 小さすぎて読みづらい」と…

 みんなに 叱られている …だっちゃ!


。。。。。。。。。。

その時以来

 もしかしたら オレはバカなのじゃないか…
 という思いが 頭を離れない。

 まぁ…「バカ正直」なのは たしかだろうとは思うが …(笑)


。。。。。。。。。。

2007年08月24日 22時46分32秒  子供たち 親と一緒に 暮したい♪

めも:mixi日記より
2007年08月23日11:46 叱られて…2 正直1

akiu雲


「 正直 」


俺は 自分に そしてひとに
正直に 生きてきたのだろうか?

 。。。。。。。。。。。。。。

… 幼稚園のころの 思い出  …1958年頃


幼い頃 親の引越しが多かったせいか 
いまの 仙台の実家に引っ越す以前の 記憶はほとんどない。

引っ越したのは 幼稚園に入る年の春ごろだったのだろうと思う。

仙台の北東部… いまでは すっかり様変わりしたけど
町並みから 田園につづく丘陵地帯。
いま思えば そこは いまでいう福祉地域のようなところだった。

都市化の波が拡がりつつある 近郊の農村地帯で
まだ 森や林が残されていた。
その林に包まれた中に 養護学校 孤児院 修道院などが点在していた。

俺が通ったのは その修道院付属の2年保育の幼稚園。

バスを降りると 左側に大きな病院があり 右側が教会
その間の 木々に囲まれた坂道を登ってゆくと
修道院があり 隣が幼稚園だった。

園長先生は いわゆるシスターだった。

毎朝 園庭にあるマリア様の像の前で
「天と地と 聖霊の御名によって アーメン」とか(?)お祈りしていた。
いろんな行事の時 教会にもよく行っていた。

2年保育だから 5歳ぐらいだったのだろう。

その幼稚園を 何度か…脱走した…。
理由は 定かではないが とにかく脱け出して
2キロほどの道を歩いて 家まで 逃げ帰ることがあった。
(後に 母が語り草にしてたので…何度もあったのだろうと思う。)

家に着くと なぜか いつも 先生が待っていた。
バスで先回りして 連れ戻しに来ていたのだ。

叱られたことは あまり記憶に 残ってはいない。
それより その丸山先生という女の先生の
やさしさだけが印象に残っている。

後に小学校の5年生頃 市の体育大会の会場で…
別の小学校に行った 幼稚園の同級生Y君に会って
いじめられてたことを思い出した。
もしかしたら そういったことが原因で
逃げ出していたのかもしれないと… いまは思う。

なぜか 幼稚園が イヤだった思い出はない。
キリスト教修道院の 静寂な環境や
日々の祈りや 園長先生のほかにも 何人かいたシスター達の
落ち着いた 物静かでやさしい受け答え 話し方…
教会の静寂 行事の時の厳かな雰囲気などに
子供心にも なにか神秘的な世界…
気高く透明な世界への 憧れを感じていたような気がする。

あのころから いつ どこにいても
誰もいないひとりぼっちの時でも
誰か(神様?)が見てる…そんなイメージが
俺の中に 形作られていったのかもしれない。

「 正直に生きたい(嘘をつきたくない)」と…
意識し始めたのは もっとずっとあと…
思春期に なってからだろうと 思うけれど…

。。。。。。。。。。

「 正直 」って なんだろう?


幼稚園を脱走した 5歳のころの俺は…

あんがい 正直だったのではないだろうか?…


。。。。。。。。。。。

2007年08月24日 22時33分04秒  うつむいて あんがいシャイな わがむすこ♪

mixi日記めも 叱られて… 1 ストリップ
メモ:想」過去日記9より

2006年10月07日 07時29分05秒 叱られた思い出ばかり結婚記♪


「ストリップ」で叱られた思い出日記…たぶん1980年ごろの話


結婚二年目(26歳)の頃 忘年会で秋保温泉に来たことがあった。
結構盛り上がって…
温泉街だから「ストリップ劇場」あるんじゃない?…と
ホテルで訊いたら
「無いです」と つれない返事。

「一番近いとこは?」
「長町の『○○長町』」とのことで
社長に入館料とタクシー代せびって…
有志5人ほど(21歳後輩3名 30歳先輩1名 and俺)
仙台まで20キロ逆戻り

閉館近くとのことで 半額に負けてもらって入った。
途端に目の前に生本番!!!
…純真だった俺としてはショックだった。
そこそこ埋まった席の かぶりつきに並んで見てたら

舞台から お呼びの声…
「ハァ〜ィ! 次はダァ〜レェ〜?」
両脇の後輩と先輩が俺の方を見て「行け!」の指令!

素直すぎる俺は 思わず「はい!」と元気に手を上げてしまった。

ステージに上がってウロウロしてたら…
お姐さんがテキパキと…「ハイ 脱いで!」
あわてて上着を脱ごうとしたら…
「下だけでイイの!」と叱られた。

言われるままに…文字どうり「まな板の鯉」となって
ステージ上で 下半身裸で横になった俺。

目の前には お姐さんのお尻。
隣には さっき上がっていたお兄さんが また?
(常連さんorさくら???)
俺とは反対方向で寝てるので
すぐ横に下半身が…準備万端!
俺の方は?なにやら不調らしく
 いろいろ いじられている気配?
手持ち無沙汰なので ツイ…なにげなく
隣のお兄さんのソレに 手を伸ばして こすってみたら…
途端に お兄さんの手で 払いのけられて
 …叱られてしまった。
( ちなみに…客席は大受けだったが… )

そうこうするうち
「ハイ!だめ! 今度は酔っ払ってない時においで!」
と お姐さんに やさしくダメだしされてしまい
「な… なさけない… なぜ???」
そんな思いを 照れ笑いでごまかしながらも
複雑な気持ちでサッサと服を着て
すごすごと 舞台降板 the end。

 ・……………

次の日 家に帰って嫁さんに話したら
「すぐ保健所に行って 検査してきなさい!」…と
思いっきり 叱られてしまった…思い出…だったっちゃ。

…意味不明ながら 反省…だっちゃ♪


。。。。。。。。。。

2007年08月24日 06時31分09秒  思いやるこころのひだを 日々磨く♪

めも:mixi日記より
2007年08月21日04:34 アル中高校生11「卒業」


「 不登校 」


30年前… 高校を卒業できなかった。

1年生(1969)の 2学期に不登校 …で 留年。
2年生(1971)に進級して
    …やっぱり 2学期に不登校になって …中退。

あれから…32年(2003)…

3年生になって また(?)2学期に不登校が やってきた。

無事3年生に進級した 2003年の2学期のはじめごろ…
『 国土調査 』の案内がきた。土地の「境界立会い」だ。
稼いでいたころ 稼いだお金で土地をひろげていた。
(なんとなく 広い方がいい…と思って。)
その他に 産廃問題が起きた時
みんなで買い上げた土地の立会いetc.もあった。
なんだかんだと 週に2〜3日以上…
ともするとその日で決着がつかず 次の日になることもあった。

いろんなことがあると すぐパニックってしまう性格?
一週目ぐらいは学校に行ったが…あとは 行かなくなった。
そして やっぱり 『 行けなくなって 』 しまっていた。

なんとか勇気を出して電話してみたら…。
「中間テスト受けないと 卒業は無理ですよ」とのこと。

もう そんな時期だった。
たしか 2〜3日後からだったと思うが…。
なんとか試験を受けることができた。
ギリギリ…セーフだった。

ただ試験受けてもできる筈もない
夏休み後 ほとんど授業出ていなかったのだから。
あわてて 学校に行って試験範囲を訊いてきて…
一夜漬けの連続で テストを受けた。
当然…夜明け近くまでになった。
そして…とうぜん 酒飲みながら…になっていた。

 ・・・・・・・・・・

テストの昼休み。担任のS先生が…
 「 雲さん 副校長先生が 呼んでます。」…と
 俺「???」…と 副校長室に入っていくと

副校長 「やあ どうですか?」

俺   「はぁ な…なんとか やってます。」

副校長 「 実は… 」 と 言いにくそうに…つづけた
   「 女性徒たちから「雲さんお酒くさいです!!!」…と 」

俺   「 …あぁ〜…」…と 絶句。
    明け方まで試験勉強してたので …と
    思わず言いそうになったが
    言い訳にならないとすぐに悟って
    …目を落として 気まずそうにしてる他なかった。

副校長 「まぁ…これからは 気をつけてください。」

 ・・・・・・・・・・

いまに始まったことでは なかったのだろうと思った。
なにしろ ただでさえ「 親父臭さ 」を嫌う
敏感な年頃の女子高生たち。
そこに ほとんど身なりを構わない 非常識な俺。
ふだんから 俺の「 不潔感 」に耐えかねていたんだろうと思う。

それが テストに集中しようとしている時に…
「コレでもか!」のような…酒の臭い。

これは 紛れもなく『ハラスメント』だろうと思う。
『悪臭公害』 『スメル・ハラスメント=スメハラ?』 
  
たしかに これじゃあ 睨まれるわけだ…と というより
俺は 彼女たちの 学習環境の破壊行為者だったんだと

いまごろ反省しても 手遅れだが…
申し訳なかったと思う。

我ながら 自分の無神経さに あきれ返る。


。。。。。。。。。。

 ↓ …へ つづく

2007年08月24日 06時05分03秒  摩訶不思議 たかが人生 されど人生♪

めも:mixi日記より
2007年08月21日21:21 アル中高校生11「卒業」つづき


「 卒業 」


ともあれ 32年ぶりの「不登校」は なんとかクリアできた。

そして… 『 卒業 』も できた。

2年間…いろんなことがあった。
途中で中退(卒業しなかった奴)した奴も 何人かいた。
(30年前の…俺 みたいに。 笑)

120人ほどの生徒たち。
卒業(あるいは…中退)というゴールから
また始まる 人生のステージ。

 たかが人生 されど人生
 たかが18歳 されど18歳
 たかが54歳 されど54歳

(54歳になったから そんな風に言えるのかもしれないが。)

「アル中になって…よかった」…と
自助グループで よく耳にする。
居直りでも 強がりでもなく 本当に
そう思える 気もするのだ。
 
「アル中にならなかったら 見えなかった世界」が
いろんな意味で 見えてくる気がする。

俺も「アル中」にならなかったら…
そして …30年前「卒業」していたら…
高校に通おうなんて 思わなかったのかもしれない。

あの連中と出逢う事も なかったのかもしれない。

生きつづけてゆくこと。

知らなかった自分に 出逢えること。
見えなかった世界に 出逢えることは あんがい面白い。

みんな いま なにしているんだろう?
また いつか 逢えるだろうか?
みんな どんなオトナに なるんだろう?

「10年後 20年後 オヤジ臭く ババ臭くなった奴らと…
   どっかで しみじみと…
         人生の話でも してみたい…♪(笑)」

「もう少し生きて コイツラの明日を 見てみたい…」

そんな気持ちに させてもらったような気もする。


     ありがとう♪

    。。。。。。。。。。

    ↑以上です!♪♪♪  

話が とりとめなく まとまらなくなった時…
自助グループでは「以上です!」とか「ありがとうございます!」
と 言って終わらせるんだっちゃ…コレはあんがい使えます…だっちゃ♪
なにごとも…最後の締め=「卒業」が
いまだに苦手な あきうの雲…でした。ジャン ジャン♪


。。。。。。。。。。

2007年08月22日 12時08分12秒  うまい酒 酔っぱらったら まずくなる !!♪

メモ:mixi日記2007年08月19日コメントより


・・・・・・・・・・・・
でも みんな

 お酒は注意してね  ホントに怖いから

アル中になる前に「 飲み方 」をしっかり 気をつければ
ならなくて済む???のかも しれないのだから。

( 私は 専門家ではないので 正確なことはわからないけど…???

  浅薄な知識での シロウト判断 自己診断は 危険です。

  もし不安があったら 早めに… 
  信頼できる 医師や専門機関に相談するのが一番です。


  あいまいに 不安を抱えているより ハッキリさせて…

  「深みにはまる前に」

  足を抜く(生き方を変える)ほうがいいこともあると
   …俺は 思います。


「 依存症 」と診断されたら⇒「 一生…一滴も…飲まなければいい 」

  ただ それだけのことです。
( それが あんがい 難しいのも 現実です。)

  だから… 酒は怖いと 言ってるのです。
  まだなっていない人たち… 特に 未来のある『 若い人たち 』に
   ・・・・・・・・・・
  俺のような「アル中」に なって欲しくないから
                   … 伝えたいのです。 )

 「ありのままの自分を知ること…受け容れること」は大切だと思います。

  そして ありのままの自分で
 「正直に生きていく」ほうが 気がラクだ と…俺は思います。

 。。。。。。。。。。。。


「なんでも 頑張りすぎちゃう性格」

 …の人が

依存症になりやすいようだと医者が 言ってました。


「あなた方はエリートです

  普通の人は

 そこまで一生懸命お酒を飲めません」…と


気力・体力があるうちに
コントロールをしっかりと身につけることが大切…だっちゃ

理想的には…

 飲まない日が普通

…ぐらいが いいのだろうと思います。

医学的には日本酒で2.7合以上だと大量飲酒と言うらしいです。
少量の酒とは0.7合までとのこと…だっちゃ

ドキッとするひとは  ときどき

離脱症状チェック(2週間断酒)

…マメにやりましょう(笑)

アルコール依存症も ガンと同じで
早期発見・早期診断で
再発率は下がり 回復率は高くなるようです。

とにかく酒に頼らないでも
明るく元気で 居られそうな人が

★酒を 甘く見ていた★ ために 「アル症」に なってしまう。

 そういうケースが  多いような気がします。

 かく言う 俺がそのいい例です。

 一滴も飲めなくなる前に…
(アル中⇒アルコール依存症の診断を下される前に…)

 いい飲み方を身につけましょう

エラそうなこと言って…ゴメンネ
でも 心配だから…老爺心…だっちゃ

2007年08月22日 00時33分01秒  一日や 二日じゃ抜けぬ 沁みた酒!

酒を断ち 外出禁止 二週間

      それがモラルと 肝に銘じる 



☆『アルコール離脱症状』 …の 知識や その怖さ…は

      もっと 世間に周知・普及すべきだろうと思う。


 『アルコール依存症患者』は…

  ★酒を抜いた時★ …に 心身のバランスが崩れるのだと言うこと。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

めも:mixi日記より
2007年08月20日00:40 アル中高校生10 「離脱症状」1


「アルコール性癲癇」


学校に行ってる日は さすがに 朝は飲まなかった。
しかし 帰ってきたらすぐ 飲んだ。

その頃は ペットボトルに
サントリージン(40%)を 20倍ほどに
水で薄めたものを入れて 水のように飲んでいた。

アルコール換算の 平均摂取量の統計も取っていた。

2002年 → 32.5ml/日
     …日本酒(14%)換算だと 233ml≒1.3合/日
2003年 → 77ml/日
     …   同上      550ml≒3合/日

これを常習飲酒していた。いつもほろ酔い加減だった。

しかし上の統計が示すように確実に量が増えていってる。
コレが「アルコール耐性」の強化なのだろうと思う。

水分を取っていたのが救いだったのか…
酒を 丸1日以上抜いた時でも…
「うつ傾向」以外の 離脱症状の経験(自覚)は
…俺には なかった。
クレービング(飲酒渇望)も
…特に実感したことはなかった。


。。。。。。。。。。。


今年の春 退院('07/03/20)直後
入院仲間が集まって花見をした。
俺は 飲むつもりはなかったが
みんなの様子が心配だったので 元妻○さんと一緒に参加した。

11:00am 集まったのはアル症患者6人と ○さんの計7人。
幹事役のMさんが 集合場所の駅まで迎えにきてくれた。
その車にアル症6人みんなで乗って ○さんは自分の車で…
観光めぐりを少しして… 花見会場の 城跡公園に行った。
そこで 2〜3時間花見会。
飲んでいたのは4人。
俺と元妻と…
運転手のMさんは もちろん飲まなかった。
「旅館に行ってから ゆっくり飲るから…」と Mさん。

旅館に着いたのが 4:00pm 頃。
部屋に入った直後のことだった。
窓を開けて 外を眺めていたMさんが…
直立のまま バッタリと 倒れた。
口から泡を吹き 目を剥いて 意識がない。

離脱症状のひとつ『アルコール性癲癇』だと すぐに思った。
(みんな 入院中に 実際に見て…
   あるいは 話に聞いて それを知っていた。)

すぐに救急車を呼んでMさんは入院した。
(その後 脳膜剥離で手術をしたとのことだった。)

Mさんは退院後2ヶ月 連続飲酒していた。
しかし この日は朝から飲んでいなかった。
生真面目なMさん キット前日も控えて…
夜は早めに 休んだのだろうと思う。

Mさんは 酒を飲んでいなかったために…
あるいは 酒を抜いたために 倒れたのだ。
(実際に たまたま 酒を抜いたために… 突然倒れて
 病院に運ばれてくる患者は 結構多いということだ。 )

この点を 忘れてしまう あるいは 知らないことが
どれほど危険なことか この日の体験で思い知らされた。

これが「旅館に着く前」⇒「運転中」に起きていたら…
私たち6人ばかりか 通行人や 対向車など…
誰が どんなふうに 巻き添えになってしまうか
それを考えたら… 本当に恐ろしくなった。

。。。。。。。。。。


…しかし 入院前…
飲んでいた頃の俺には 正確な知識はもちろん
さまざまな体験談の参考資料も 実体験も 何もなかった。


 ↓ へつづく

2007年08月22日 00時26分27秒  酔っぱらい はためいわくに 気がつかず♪

メモ:mixi日記より
2007年08月20日03:49 アル中高校生10 「離脱症状」1つづき

「狂気の沙汰」

。。。。。。。。。。

離脱症状の怖さを 知ってみると…
飲んでいた頃の 無謀な行動が
いまさらながら 恐ろしくなってくる。

ある休みの日 朝から仕事場で 飲んでネットやってたら…
娘から内線TEL。

娘「街に出かけたいから 駅まで送ってって…」
俺「なんで昨日のうちに言わねんだよ…飲んじゃったよ!」
娘「え〜〜!!!」
…と 困った様子。

俺「バカヤロウ…飲酒運転は させた奴も同乗者も 罰金なんだぞ!」

…と言いながら 心の中では
自分の だらしなさや さっと送ってやれない事への疚しさ
情けなさが 渦巻いていた。

なにより 根っから「子煩悩」な俺…
「送ってってやりたい…」

…とっさに…

「わかった ちょっと走って 酒抜いてくっから 少し待ってろ!」

 …と ジョギングコースを走り出した。

「いつもの2キロじゃぁ足んねぇ〜なぁ…」と
結局10キロ…いつもの5倍 1時間ちょっと走って
汗を出して 水を飲んで 風呂に入って ションベンして…
「もう大丈夫だろう」と 送っていったことがあった。
 ・・・・・・・・
いま思えば自殺行為である。
子供への虐待にも等しい行為だったと思う。
なにより 言い逃れようのない犯罪行為だ。

常習飲酒・アルコール依存症は モラル意識の低下をもたらす。
…と 学習会で言っていた その通りだった。

他にも 息子を乗せて山の方ならいいだろうと…遠出して
途中で 具合悪くなって 反吐は吐くは
下痢はするは…で 大変だったこともある。

隠し事だけは嫌いだったので 子供たちには
ありのまま 見苦しい ダメな自分を見せて 謝りながら…
結局 甘えつづけていたのだろうと思う。

そして なにより自分ばかりではなく
一番大切な 子供たちの命までもを
重大な危険にさらし続けていたのだ。

なにも起きなかったことが 不思議なくらいだ。

まさしく「狂気の沙汰」だったのだ。

。。。。。。。。。。。

もう2度と あんな自分には 戻りたくないから…
自助グループに通い。通院し…。
意識を風化させないように
こうして みんなの前に 洗いざらい ありのままに…
さらして 書き残そうと思う。

それが 自分が犯してしまった「取り戻せない過去の過ち」への

罪滅ぼしになって欲しいと…祈るしかない。

忘れたくない 忘れてはいけない もう絶対に…

後戻りしては いけないのだから…。

2007年08月20日 22時01分11秒  思い出の ひとつひとつの なつかしさ♪

メモ:mixi日記より
2007年08月17日05:44 アル中高校生9「夏休み」つづき


「暮らしの環境」 


8畳の部屋は 最初は 真っ白に塗装したのだが
そのころはもう…
カベ全面が 子供たちの「らくがき帳」状態だった。
1990年ごろ

俺は 子供たちの らくがきを残しておきたかった。
でも 娘は 断固として「塗る」という。
しょうがないので とりあえずビデオで撮って遺すことにした。

それより まず…
散らかった部屋の中の物を 全部出す必要がある。
隣室の26畳リビングもすでに すき間なく物で埋まっていた。
(…ったく… 「ビフォーアフター」のビフォー状態。)

とりあえず一角を開けると…
娘は どんどんと 大移動開始。

こうなると のんびりはしていられない。
一気に 終わらせなきゃならない。

なにしろ 3人は あっぺとっぺ(支離滅裂)
夏休みに入って また 毎日酒が入ってるアル中トーちゃんが
材料購入やらの 段取りすることになる。

アル中高校生トーちゃんでも?
…夏休み…でも
もちろん ちゃんと仕事しましたとも。
でも…
実際のペンキ塗りは 出来るだけ3人にやらせようと

「せっかく みんな居るんだから…」
「みんなでリフォームごっこがいい…」
「なにごとも 自分でやって 経験してみないと…な♪」
「俺は 監督・指導…」
 …と 宣言した。

脚立あがったり なんだりかんだり
四苦八苦しながら ペンキまみれになってる3人の脇で
 
ああでもない こうでもないと
指示チェック…指導・監督…
冷静沈着に 監督仕事 …やりました…だっちゃ!

(…しこたま買い込んできた精神安定剤?
  缶ビールやらウメッシュやら…
  …飲みながら やってました。 m(_ _)m …大反省)

そんなこんなで みんなペンキまみれになって
わいわいと…楽しく過ごした…
2002年の 夏休みの「思い出」だっちゃ♪

。。。。。。。。。。

いま思えば… 散らかり続けていた流れを
少しずつ 片付けてゆく方向に 転換してくれたのは
あのときの 娘の「提案」だったのかもしれない。

暮らしの環境は 大切だと思う。
お互いに みんなで 気を付け合いながら
いつも 気持ちのよい 生活環境作りを
心がけていきたい…と 思う。
。。。。。。。。。。

2007年08月19日 19時21分38秒  人生が 夏バテ気味で 夏休み♪

memo:mixi日記より
2007年08月16日10:15 アル中高校生9「夏休み」

「2002みんな?夏休み」

そういえば… いま 世間は 夏休みだっちゃ!

学校には「夏休み」 会社には「盆休み」… がある。
高校中退以来 そういう世界に縁がないまま 生きていた。

2002年(49歳)の夏…
 30年ぶりに「夏休み」が あった!

夏休みの思い出は ペンキ塗り。
。。。。。。。。。。

高校1年の 娘が …突然

「部屋の カベを塗る!」と 言いだした。

ふだんは たらたら とろとろしているが
コイツが こんなふうに
…キッパリ…と 言いだしたときは…
逆らってもムダ…なのだ(???)。

末っ子♂と カーちゃん そして俺は…
ただ従うほか なかった♪

そのころ 娘の部屋は 散らかっていた。
奴は それを 「カベが汚いせいだ!」と
結論づけたようだ。

そういえば 小さい頃から

「家は古くて 汚い」とか 
「綺麗な家に住みたい」とか
「○△ちゃんの家のような家がいい…」だとか
「家には 畳がない」とか…
 ほざいて?やがった♪
(俺が 汗水垂らして?…手作りで やっとのことで
 なんとか住めるようにまで作った… この家を ???)

8畳の 娘の部屋は 一番はじめは リビングにしてた。
26畳もあるLDKスペースは 冬の暖房が大変だったし
子供たちが 小さいときは8畳でも十分だった。

その後 家族みんなの 寝室になって…

たぶん 娘が小学校高学年の頃になって
娘の「個室」に したんだろうと思う
娘が就職して東京へ出てからは… カーちゃんが
ちゃっかり 自分の部屋のように使っている!???
(自分の部屋は倉庫状態=散らかってる…娘に似てる?)

こうしてみると
部屋ひとつにも歴史があるもんだっちゃね♪

。。。。。。。。。。

2007年08月19日 08時50分43秒  流れ雲 水平線を 追いかける♪ 

↓めも:mixi日記より
2007年08月18日11:07 日記

…yahoo日記(想)の片づけしていたら…朝になってしまった♪
 '03/10月〜 ネット始めて もうすぐ4年になる。


(2004年07月24日 22時54分05秒)

日記書く 誰が見るかも 気にもせず

「日記」(1992.10.29.→04.7.24. →07.08.18)

日記という文箱に溜まってゆく手紙
逢うことのできない人への手紙
若すぎるあいつの手紙
受け取っても もう返事は遅すぎる。

・………・・…………

あいつから・・届いた手紙。
奴はまだ若い
なにもない たよりない自分に ふるえている
ちっぽけな世界から 果てしない海に旅立ったばかり

遠いところから手紙が届く
「キミは今 どうしているの?」
いらだちと悲しみに沈んだ瞳で 書きなぐった手紙

見知らぬ町の ちいさな喫茶店で
家具一つ無い アパートの片隅で
日溜りの道端で

返事書いてやりたい
飛んでいって逢ってみたい

奴はいつも誰かに 逢いたがってる
やさしくて 強くて 大きくて でも同じように ちっぽけで…
すごくて でもやっぱりダメで
とってもいい奴で 正直で きらくで
魅力的で 信用できて・・…そんなふうな「誰か」に
いつも 逢いたがってる

俺はそんな奴じゃない でもキット奴と同じ
だから逢ってみたい

夢や想いを語り合いたい

15歳の俺から 手紙が届く
18歳の俺から 手紙が届く
・……
30歳の俺からも・…

二度と逢えない 自分からの手紙
でも返事を書く

まだ見ぬ明日の「見知らぬ自分」への手紙


2004年08月26日 18時08分44秒

ホントーを言えばさびしい秋の夜

「ラブメール」04.8.26.

最初は夢中で書けるけど
でも・・だんだん難しくなっていく
ほんとうの貴方が わからなくなってゆく。


「恋」04.8.26.

なんとなく思う…恋が欲しい…
夢中で生きられた頃の記憶。
人生に恋していた…記憶…


「夢」04.8.26.

夢の海 荒波もある 当たり前(笑)



「恋」04.8.26.

きみに恋してもいいかい?

貴女のこと 何も知らない私。
臆病な告白 愛が欲しい…から?
「愛」って…なに?

貴女は俺を知らない
俺は貴女を知らない

恋は誤解だろうか?
愛は思い込みにすぎないのだろうか?

夢の中 はだかの猿の 恋の未知


「常識」04.8.26.

「非常識」「何も知らない」「逃げ口上」
世界の常識覚える根気が無い
でも「人間の常識」ぐらい 知りたい?

人間らしく…生きてみたい。


「片想い」04.8.26.

貴女にとって私は星屑
私にとって貴女は太陽

…そんな恋… かな?

2007年08月19日 07時04分22秒  片思い 叶わぬままに 五十年♪

最近 暮らしのペースが乱れている。
メシは喰わないし …とうぜん糞はしないし 寝ないし…???

『メシ喰って 糞して 寝る』 …コレが

「断酒の3原則」…以前?の  『命の3原則』… だっちゃネ♪
(生きていかなければ → 断酒もできない …笑♪)

去年のいまごろ …断酒後11ヶ月目で スリップ(再飲酒)が 始まった。

 '06/8月21日 500ml缶ビール …1缶から
  12月25日   同上     …毎日6缶 …まで 4ヶ月。
 
坂を転げるように 止められなくなっていった。

おととし 通院・診断・断酒…から11ヶ月
他のひとたちの話と比べると たいした苦労もなく
酒を やめられた気になっていた。

スリップしてみて …初めて
「アルコール依存症」の本性を 体験したような気がする。

2004年に タバコをやめた時も…
丸1年目に 最初の1本から
週に1箱… 2箱…と
 …3ヶ月ほどで
元の木阿弥に 戻ってしまっていた。

all or nothing → 0or∞ 極端な性格。

「生きるべきか 死ぬべきか」
…わからないままに 生きている未熟?

信じられるものがない。
信じる勇気が足りない?

… 恋が 欲しい … と 最近思う。


1987年作品(公園のモニュメント) (写真)
…の タイトルは「夢」と書いた。
次の年に 生まれた末の子にも…
そのあと 近所の仲間との 地域作りの会も
「ゆめの森」にした…

俺の『夢』はなんだったんだろう?

   。。。。。。。。。。

「夢中になれる なにか?…覚めない夢…」に
 いつも憧れている。

♪ …夢は なんですかと 訊かれることが
          この世で一番 つらかった… ♪

 …と長渕が 唄っている。

   。。。。。。。。。。

  いろはにほへとちりぬるを
  わかよたれそつねならむ
  ういのおくやまけふこえて
  あさきゆめみしえいもせず

 ( 色は匂えど 散りぬるを
   我が世 誰ぞ 常ならん
   有為の奥山 今日越えて
   浅き夢みし 酔いもせず  )

 「あいうえお…」
小学校一年生の時に 最初に習った…言葉…。文字。
それが「詩」だと知ったのは ずいぶん後になってからだった。

空海(弘法大師)さんの「人生の唄」。

アル中になった今 しみじみと 胸に沁みてくる(笑)

 …浅き夢みし 酔いもせず… ネェ〜 ん〜ん…♪



  いつまでも おさなごころの 片思い♪

2007年08月18日 12時13分10秒  過去日記リンク



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