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2007年09月23日 18時49分21秒  常識は しらふの胸に 刻むもの♪

めも:mixi日記より
2007年09月21日13:40 アル中2「3常識1」予防 
akiu 雲 アル中2「3常識1」予防 アル中歴まとめ15




「3常識1 」… 予防・自己防衛 …




。。。。。。。。。。

…備えあれば憂いなし……と よくいうが


★アル中予防★ に関しての「 備え 」は…

㈰正しい情報 …のような気がする。

 次に…

㈪環境 …日本の現状は あいまいな情報や
     まちがった常識etc.に満ちている。

 ・・・・・・・・
ガンなどの病気や ドラッグや タバコの害に比べて
アルコールの問題の認識も 知識の普及も
あまりに ないがしろにされているように思う。

実際に 俺自身 患者側の世界に入ってみて
 初めてその深刻さがわかった。

 教訓
 ★酒好きの言うことは 信用できない ♪(笑) ???


。。。。。。。。。。

医者は…

「役人も政治家も ★酒好き★ が多いから」と
 …サラッと言う。…そして

「秋田県に アル中は いないんですよ!」…と???
「なぜか?というと… アル中が普通 …だから」

もちろん 半分本音のブラックジョークなのだが …

 また 秋田は自殺者が多いという
「常習飲酒による…うつ… → 自殺」 ではないか?と
 …彼は 嘆いていた。


 ・・・・・・・・
酒の文化の 歴史は長い。
しかし 昔は いまほど日常的に…
酒を飲んではいなかった ような気がする。
 ・・・・・・・・
神事の時の お清め 霊寄せ 悪霊払い 病魔払い
祭礼の時の 集団幻想「トリップ」や 興奮作用など
超常的な 判断や行動が 必要なときに
常識感覚を 攪乱させ 麻痺させて
超常現象を引き寄せるために
特別な時に 用いられる

… 特別な薬物 …

[幻覚剤] [媚薬] [秘薬]だったのだろうと思う。
 ・・・・・・・・
現代的に言うと 医薬品[ドラッグ]であって
けっして [食品]や [飲料]などでは ないと思う。

 ・・・・・・・・

以前 バンクーバーで
友人と酒を買いに行ったとき
向こうの リカーショップ(酒屋)では
★身分証明証★の提示が必要だったと思う。

日本では だれでも 簡単に買える。
コンビニでは ジュース並みに…いや それ以上に
さまざまな酒が 競い合って 棚に冷蔵庫に並んでいる。
テレビには CMがあふれている。
 ・・・・・・・・
コンビニで 自販機で
誰もが自由に 酒を買うことができる。
いまでは あたりまえになったが
酒の安売り量販店の出現 etc.…も
それに 拍車をかけている。

こうした現状を見ても
日本の酒(アルコールという薬物)の
監督 管理 普及(許認可)の[責任機関]の…

★認識の甘さ★ …が見える。

  
まるで…
 ・・・・・・・
誰もが 便利に 簡単に 安く どんどん
もっと もっと大量に… 酒を飲めるように …
…と 考えているようにさえ 見えてくる。 

 ・・・・・・・・

酒の 消費量が 減ってしまったら
日本の経済が 存亡の危機に 陥るかもしれない?
…そんな気さえするほど…

日本は「酒好き国家」のように見える。

 ・・・・・・・・

昨日AA(欧米断酒会?)で あるひとが言っていた。

「 この間カラオケ行ったのよ…
  ジュース飲み放題 3時間で700円よ!…
  飲み屋に行ったら ボトル置いてあったって
  座っただけで 5000円でしょう?!… 」

 ・・・・・・・・

「 去年1年間の 飲み代(会社の交際費)
  俺が 使った分だけで 1500万円だよ!… 」

以前 ある大手建設会社の 現役幹部のひとが言っていた。

 ・・・・・・・・
酒の 経済効果は 計り知れない。

飲屋街 繁華街 冠婚葬祭はもとより 
レジャーに酒 イベントに酒
親睦 親交に酒(飲みニュケーション)
慰労会に酒 打ち上げに酒 
ストレス解消に酒
談合に酒 密会に酒 料亭政治 etc.…

しかし 酒(アルコール)は 間違いなく
(言ってみれば アヘンのような)
一級の…依存性薬物[ドラッグ]…であることは

現場の最前線で「酒害」に 苦しむ患者を
30年も診つづけ 治療し続けてきた 信頼すべき
専門家の医者が そう言っているのだから
確かなのだろうと思う。


↓につづく
 ・・・・・・・・

2007年09月23日 18時40分47秒  常識に 惑わされずに 確かめる

↑からのつづき
めも:mixi日記より
2007年09月21日13:40 アル中2「3常識1」予防 
akiu 雲 アル中2「3常識1」予防 アル中歴まとめ15





「3常識1 」… 予防・自己防衛 …




。。。。。。。。。。

↑からのつづき
 ・・・・・・・・


■どうすればアル中にならずに済むのか?

…予防策は いまのところ

★自己防衛★ …しか ないのかもしれない。

飲酒許可証や その提示義務でも
作ったらどうか?
などと考えてみるが…
 ・・・・・・・・

政治家も 役人も もちろん酒屋も…
… 当てにはならない …
みな利害関係者 …なのだから

(なにしろ 医者が言うには
 酒税収入は たしか数兆円ほど
 あるらしいのだから…
 それに関連業界の 経済効果を考えたら…
 お酒はできるだけ飲まないようにしましょう…
 などと 声高に言うのは憚られるのかもしれない)

現状の日本では 小中高校生だって
「おとうさんに頼まれたから」…
…と言えば 買えるだろう。
「お父さんの身分証明証もってる?」
…などと 訊かれるはずもないのだ。

身分証明証の提示が 必要になったら…
アル中さんたちは とうぜん免許停止だろう。
そうなれば…
「やめたいけれど 買ってしまう」…アル中さんたち
…に とっては 救いになるかもしれない。

でも…
「医者に診察に行くひとが減ってしまうのでは?」
…と 言うひともいるかもしれないが…
そんな 心配は要らない…
 ・・・・・・・・
もともと アル中のほとんどは けっして
自分から病院に…診察に…なんか行かない。
それが…現状なのだ。

「アルコール依存症」は…★否認の病い★です!

…と 医者が言っている。

 ・・・・・・・・
「 あなたは…アル中です

  もう1滴もお酒を飲めません。
  飲んで死にますか ?
  やめて 生きますか ?  」…と 

 ・・・・・・・・

わざわざ 医者に宣言してもらいに 行く者は
そんなに いる訳もないのだ。

 ・・・・・・・・

医者も あんまり 当てにならない

俺の友人のSが…
彼は 某☆一流☆国立大学卒…で
脳神経生理学の専門の学者なのだが
俺が相談してみたら
「お前はアル中にならないから大丈夫だ」
…と 言ったのだ。(根拠は訊かなかったが…)
 ・・・・・・・・
しかし いま思えば その時 すでに…
俺は アル中に なっていたような気がする…(笑)

 ・・・・・・・・

確かに 奴も 酒好きだし♪ (笑)


 ・・・・・・・・

とにかく アル中になってみて
その深刻さを知るにつけて…

まだなっていない者たち…
…特に ★将来のある若者たち★ …には

アル中になって欲しくない…と 切実に思う。

どうすれば アル中にならなくて済むのだろう?
せめて それを考え合って 確かめ合って…
…伝え合っていきたいと思う。



。。。。。。。。。。

2007年09月23日 16時51分51秒  さわやかに キミのお尻に ハイタッチ♪

2007年09月21日13:14 詩…しりとり575
akiu 雲 詩…しりとり575

575しりとりサイト←尻取りしましょ♪


■なんだろうわからないから生きてみる♪ 雲 2006/09/02 


     その瞳映す世界が宝物
     宝物味わい尽くす意地ひとつ
     意地ひとつあきらめきれず生きて見る
     生きて見るただそれだけを祈る日々
     祈る日々世界平和を夢に見て
     夢に見てふと便りする遠い空
     遠い空まだ追いかける虹の橋
     虹の橋雲が邪魔するうざったさ
     うざったさお互い様とシカトする
     シカトするキミの瞳を勘違い
     勘違い有象無象の情報化
     情報化ありがたいけど追いつけず
     追いつけずでも追いかける夢ひとつ
     夢ひとつキミの笑顔の声ひとつ
     声ひとつ表情筋の鍛え方
     鍛え方まだわからない流れ雲
     流れ雲流れて消えた遠い空
     遠い空瞳に映す遠い夢
     遠い夢言葉に託す575
     575わたしのリズムやめられぬ
     やめやれぬ遊び心に惑う日々
     惑う日々それも人生まぁいいさ
     まぁいいさそんな呪文で生きている
     生きているまだ生きている訳もなく
     訳もなく問い掛けてみるキミはいま
     キミはいま活きているかと秋の雲
     なんとなくまだやめられぬ575(苦笑)…だっちゃ♪


■その頭ひらがなになる好々爺   雲 '06/09/16 敬老の日

2007年09月21日 17時19分10秒  あのころと なにもかわらぬ ゆめの中

めも:mixi日記より
2007年09月20日23:45 道9 あのころ(1974)
akiu 雲



「 あのころ 」… くらし …



。。。。。。。。。

こうして書いていると 
いろんなことが思い出されてくる。

1974年…21歳の頃の自分と まわりの世界。
そういえば あのころは テレビも冷蔵庫も
ラジオさえ 持って居なかった。
拾って来た木箱がひとつ
両親が新婚の頃 使っていたという「ちゃぶ台」がひとつ
あとは押入れに ふとんと 道具が少しあるだけ。

流しには食器もワンセットしかなかったと思う。
とにかく リュックひとつに少し余る
程度のもの以上は 持ちたくなかった。
なにもないほうが 気持ちよく暮せた。

畳は好きだった 何もないから 掃除しやすかった。
足裏にほこりの感じがすると すぐに箒で掃いてた。

俺はクモが嫌いだった。
いつだったか布団を 敷いて 横になったら…
ほんの 1ミリぐらいのクモがいて
あわてて 跳び起きて 布団からなにから
ぜんぶ ぱんぱんして 部屋中掃除しまくって…
やっと安心して 寝たことがあった。

いつ思い返しても 自分でもおかしくなるのだが…
とにかく いまでも 不意打ちで来られると
かなり小さめのクモでも ドキッとしてしまう。

身についてしまった感性とは おかしなものだと思う。

いまでは かなり大きなクモでも(種類にもよるが)
冷静に しっかり 覚悟すれば…
掴めるようには なったが 不意打ちだけは苦手だ(笑)
条件反射のような部分は
なかなか 変えにくいものだと つくづく思う。

お風呂はなかったので
ときどき 近くの銭湯に行った。
洗濯は 廊下に共同の流し場があって…
そこで 手もみ洗いして
たぶん部屋にかけて 干していたんだろうと思う。
 ・・・・・・・・
そういえば ときどき置き忘れてて
ひとつ隣りの部屋の おばちゃんに叱られたりしていた。

めしは だいたい 決めて作っていた。
玉子どんぶり カレー 野菜炒めなどが多かった。
買い物も たまご キャベツ たまねぎ
じゃがいも にんじん それに豚肉
たまに ほうれんそう…など

冷蔵庫がなかったので
肉は 夕方100グラム買ってきて 半分使って
次の日の朝 残り半分を使い切っていた。
下町だったので
たまごは ばら売りしているところがあった。
たぶん 3個ぐらいずつ買ってきたような気がする。

ご飯は 1人前の 鍋焼きうどんの鍋で
ガスコンロで炊いてた。
弱火にして とろとろ炊いて30分もすると
いい具合に おこげもできて 上手く炊き上がった。
その上におかずを載せて食べれば
食器を使う必要がなかった。(笑)
 ・・・・・・・・
北海道では 野宿とかが多かったので
ほとんど「買い食い」だったから
自炊らしい暮らしは
このときからだったのかもしれない。

あんがい どんなことも 面白かったと思う。
なにをしていても 楽しかったように思う。

あのころ… を 忘れなければ
いつだって あんがい 愉しく やれるような


… そんな気がする …



。。。。。。。。。

2007年09月21日 17時14分09秒  フルーツの 甘い香りの 若き夢♪

めも:mixi日記より
2007年09月19日14:46 道8 秋葉原(1974)青果市場
akiu 雲 「 道8 」


「 秋葉原 」 …青果市場…



。。。。。。。。。
夏前に バイトを変えた。

美学校は 週1回の授業だと いうことだったが…
課題をやりに 毎日通う奴も多かったし
自主参加 聴講自由の 講義のようなものも
いろいろやっていたので…
昼間の時間は できるだけ開けたいと
思ったのかもしれない。
 ・・・・・・・・・・
できるだけ 自由に動ける時間が取れるバイト。
たしか アルバイトニュースで探したと思う。
朝6:30amごろから 昼まで。
…午後からは自由に動ける。
秋葉原の 青果市場のバイトだった。
 ・・・・・・・・
いま 青果市場は 太田市場に移り
秋葉原と言えば 電気街 and オタク文化の中心らしいが
あのころは 表側は電気街だったが
裏に… 日本中から野菜や果物が集まってくる
「 秋葉原青果市場 」があった。
 ・・・・・・・・
店は その青果市場の中の
果物専門の老舗っぽいところだった。
しごとは トラックからの荷下ろしや
お客さんのトラックまでの 品物の運搬などが多かった。

。。。。。。。。。。

俺… くだもの大好き人間(=甘党) …だったから
くだもの屋さん…は よかった ♪

青果市場にも いろんなお店がある。
とうぜん いちばん多いのは 八百屋さん…野菜屋さん。
青果だから 果物屋さんも多いが
生もの以外の店も 多い。
たしか 向かい側は 乾物屋さんだったし
お菓子 缶詰 食器など…
要するに 鮮魚(…鮮魚は築地)以外の食品関係は
たいがい 揃うようになってる…
要するにスーパーの親分みたいなトコだった。

あの頃(1974) 俺が居た店の 主力商品は
バナナだったように思う。
 ・・・・・・・・
何年か前NHKで…りんごの「ふじ」を
作った人の話の中で あの当時の日本の果物事情を
やっていたが…俺が居た1年弱の間だけでも
冬のイチゴやスイカ キウイフルーツ ネクタリン
などなど 目新しい果物が
つぎつぎと出てきていたのだが
なんといっても 輸入果物で もっとも
ポピュラーに普及していた
主力商品が バナナだった。
いわば 日本中が…果物といえばバナナ…だったのだ。
遠足にバナナ おやつにバナナ 給食にバナナ…
たしかに 俺も ガッツさんのように…
バナナが 大好きだった。
 ・・・・・・・・
市場からすこし離れた山手線の線路脇に
たしか社長の自宅のビルがあって…
その1階が空いてて 下がバナナの室(むろ)になっていた。
いわゆる…熟成室?…
青くて 完熟前の状態で輸入されてきたバナナを…
ココに入れて 2酸化炭素かなんかのガスの中で
何日か置いて… ちょうどよく …「 熟成 」させてから
出荷するわけだっちゃネ。
 ・・・・・・・・
中に 収穫の時熟れ過ぎていて
熟成しすぎるバナナがでてきて
それは 刎(は)ねものとなって
捨てられてしまうのですが…
これが一番旨いんです。
なにしろ 木に生ってるときに熟れてたんだから…
一度1箱分もらって美学校に持っていったら
みんな「んーまい!」と 喜んでいました。(笑)
 ・・・・・・・・
流通システムの面白さがいろいろと見える現場でした♪

レモンやみかんの袋詰(ネット詰)もやりました。
2種類の箱から目立つトコはいい奴…
見えにくいトコに…
少し質や鮮度の落ちたの入れるんだっちゃ …(笑)

そうそう アメ横の路上で
果物 売ってるおじさんも 来ていました。
パパイヤ スイカ メロンなんかを
半分に切って ラップ掛けて
おいしそうに見せて たたき売りしてる おじさんネ♪

あれ…ほんとに 安くておいしいんですよ…お買い得♪
 ・・・・・・・・
だって… 仕入原価ゼロ円なんです。

市場の専門店で ちょっとした傷や
汚れがついたものは 売れないので捨てるしかない。
それを 回収して歩いて ああやって
問題部分(ほんとちょっとしたトコだけなんです)を
切って売ってるんだから まともなものなんです。
かなりな高級品だって
混じってる可能性もあるんだっちゃ♪

とうぜん そういうのは いっぱい食わせてもらいました。
いまだに自分で買って食う気はしないような
やたら高い果物も いろいろ食えて

… しあわせ …でした ♪♪♪(笑)




。。。。。。。。。。

2007年09月18日 23時19分30秒  はなれても 心でつなぐ 愛の距離♪

めも:mixi日記より
2007年09月18日19:06 問診日07/09/18 距離


。。。。。。。。。。
 2007年09月18日 問診日 距離




医:「さぁ どうですか?」

患:「あいかわらず もめてしまいますネ …同居人と
   話しかけなければいいのは わかってるんだけど…
   一日中 ひとりなんで 帰ってくると …つい… 」 

医:「 ほっとけば いいのに… 」


患:「 とにかく 疲れた顔とか いやそうな顔 見ると
    つい 気になってしまうんですね 」

医:「 はなれなさい… アル中さんは 距離を取れないですよ。
    アル中さんは 距離を取るのが へたくそなんですよ…
    そこが 難しいんですよね。
    まぁ そこが 一番むずかしいんですけどね…」

…医者は めずらしく しみじみと噛み締めるように言った。

  「よーく それで 飲まないでやってますね? 」

患:「はぁ 飲酒欲求の方は ほとんどないんですよ。
   …それどころじゃない …感じです …笑 」

医:「…よく それで… 飲まないで やってるなぁ〜? 」

…と 医者が 首かしげていた。…?

… 飲んでないのに …???
この医者も あんがい「へんな奴」
…なのかもしれない…と 思った♪


。。。。。。。。。

2007年09月18日 23時14分32秒  若者の 人生奪う 酒の害

めも:mixi日記より
2007年09月18日03:26 アル中 2アルコール耐性
akiu 雲 アル中2「2アルコール耐性」要素分析/アル中歴まとめ14




「2アルコール耐性」 … なぜアル中になるのか?1 …
 


。。。。。。。。。。

★ アルコール耐性 ★ …の強化 とは:

身体の アルコールに対する「 慣れ 」「 適応性 」
…の ようなものかもしれない?
ようするに… 酒の… 効き方 酔い方 …
…が 悪くなって行くのだ。

○ 同じ量 飲んでも もの足りない。
○ もっと 濃い酒が 欲しくなる。
 …飲んでも 飲んでも…
○「もういいか」「もうたくさん」と言う感じにならない。
 ( ★お酒に強くなった …と勘違いするのは危険★ )

★↑そんな症状を 感じたら要注意★ …だろうと思う。

人体には ある程度の 適応性があるのだろう。
環境や 摂取物(種類・量・質etc.)の変化に
ある程度 慣れる事ができる。

例えば インドネシアあたりの人は
かなりの激辛なものを 平然と食べているが…
われわれが 食べたら 即 嘔吐か下痢になる。
でも 俺の経験では…( 人にもよるだろうが?) 
2〜3日も食べていたら…慣れてしまった。

これは 味覚や胃腸 だけの話だ。
体全体( 臓器 や 脳 や 神経 …etc.)が

○ 直ぐ慣れるかどうか…?
○ 対応しきれるかどうか…?
○ 身体に 良いかどうか…?
 ・・・・・・・・
 …は わからないものだ。
( 体質 体力など 個人差もあると思う。 )

薬物(…緩効性毒物?)に対しても 同様なのだろうと思う。

アルコールという薬物(他の薬物も同様?)を
★常用★すれば
それに対して 身体が適応して

★アルコールが入った状態で バランスを保つ★
 ・・・・・・・・
…ように なってゆく。

その結果

★アルコールが入らないと バランスを保てなくなる★
 ・・・・・・・・
これが ★ 離脱症状 ★だろうと思う。
(例:酒を飲まないと指がふるえる。気分が落ち着かないetc.)

そして 身体と脳が バランス回復を求めて酒を要求する。
 ・・・・・・・・
これが ★ 異常飲酒欲求 ★(=クレービング)…だろうと思う。


。。。。。。。。。。

アルコール耐性と体力 …の バランス:

 ・・・・・・・・
相撲取りや プロレスラーの
飲酒量は ハンパじゃない!

しかし アル中にならない。

要は 身体の アルコール 摂取許容量 や
アルコールの分解能力の 問題なのだろうと思う。

体力があるうち(あるひと)は ある程度まで
酒量を増やしていっても 余力が残る。

しかし 誰しも いつまでも… いついかなる時でも
元気だとは限らない。
身体が弱った時や 加齢によって体力が落ちてゆく時…
アルコールに対する 許容量も 減ってゆく。

㈰体力が落ちれば 飲める酒の量 の 限界も落ちる。

…しかし
 飲んでる期間が長くなれば なるほど

㈪アルコール耐性は強くなる。
 ( 満足するのに必要な酒の量は増えてゆく。)

…その結果

㈫いくら飲んでも満足しなくなり…
 心身や脳がやられるまで 飲みつづけてゆくことになる。

↑これが…アルコール依存症 だろうと思う。



↓につづく
。。。。。。。。。。

2007年09月18日 23時04分46秒  酒脱いて 流れる汗に 酔うが得♪

↑からつづき
めも:mixi日記より
2007年09月18日03:26 アル中 2アルコール耐性
akiu 雲 アル中2「2アルコール耐性」要素分析/アル中歴まとめ14




「2アルコール耐性」 … なぜアル中になるのか?1 …
 



↑からつづき
。。。。。。。。。。

☆俺の場合は 摂取アルコール量は 約80ml〜100ml/日だった。

1995〜2006(42歳〜53歳)





㈰'95   -'00.06.28 ・・・・・
㈪'00.6.28 -'01.11.27 1.8L(14%)日本酒 合成酒 200本/518日
㈫ 〜 '05.09.12 720ml(40%)2本/週 サントリードライジン
㈬'06.8.21〜12.26   500ml(7%)缶ビール1本/日→6本/日

…㈰
 …最初は 不定期な飲み方→後半は日常常習に近くなった。

…㈪ ★ 97.3 ml/日 ( 約1年半 )
 1.8L(14%) 日本酒 合成酒 200本/518日→1本/2.59日
 …朝から日中飲んで夕方以降は抜いていたことが多かった。

…㈫ ★ 83 ml/日 ( 約4年 )
 720ml(40%) 約411本/1415日→1本/3.44日
 …サントリードライジン40%を3日で1本ぐらいを
  水で20倍ぐらいに薄めて…1日中 飲んでいた。

…㈬
 1本 → 3日後 → 2日後 → 毎日 → 朝 → 2本(朝・昼)
 → 4本(朝・昼) …のように増えていった。
 …1ヶ月ほどで★異常 飲酒 欲求★(止められない)を実感。



☆俺は たぶん
 ㈪(酒をまとめ買いし始めた2000年ごろ)以前に
 アル中…「アルコール依存症」に
 なっていたのだろうと思う。



つまり 酒を飲むと…


○動かなくなる
  飲んでる時間は当然うごかないし
  車に乗れないので引きこもりになる
○ちゃんと 食べなくなる
○アルコールで胃腸がやられ栄養の吸収ができなくなる。

  ↓
●体力が落ちてゆく

このようなことが…
大きな要因のひとつだったのだろうと思う。



。。。。。。。。。。
☆どうすれば アル中になるのか?
 (…アル中になったケースを見る…)

■ 時期…

大まかに…

A:若年 Aa 20歳前後
     Ab 30歳前後
B:中年   40歳前後
C:老年   60歳前後〜

…上記4パターンで見てみる。

■ 要素は
 ・・・・・・・・
㈰大量飲酒(日本酒 2.7合以上)
㈪短期間 常習 連続飲酒
㈫長期間 常習 連続飲酒
㈬アルコール耐性
㈭体力         脳   臓器   身体
㈮体質?        脳   臓器   身体
㈯身体的ストレス    脳生理 臓器生理 身体生理
㉀心理的ストレス
㈷生活 環境 習慣
㉂その他
 ・・・・・・・・
これらの複合的な要因が考えられそうだと思う。

■ 症状は…
a.アルコールアレルギー 体質(下戸) 病理( )
b.アルコール中毒症 b-1急性  大量限界飲酒
          b-2慢性?

c.アルコール依存症 c-1急性 Aa 20歳前後
          c-2慢性 40歳前後 60歳前後






。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
66 mixi日記2:アル中0テーマリスト/まとめ0000(2007/09/11火)
akiu 雲  …07/09/11火
■テーマリスト


 ● 未成年飲酒   :薬物管理 無知 誤飲
 ● 若者      :環境馴化
 ● 女性      :意識環境 生活環境 心理要因 ストレス
 ●         :
 ●         :
 ●
 ● 単身者     :習慣問題 心理要因
 ● 飲酒運転    :習慣問題 モラル意識問題 無知
 ● 環境 境遇   :機能不全家庭 … 家庭の心理問題 … 
 ●         :常識飲酒家庭 … 家庭の習慣問題 …
 ●    アルハラ :飲酒環境 強要環境 つき合い飲酒
 ●    
 ● 習慣      :常識飲酒 朝(昼)酒 晩酌 寝酒 憂さ晴らし
 ● グループ飲酒  :心理要因 ストレス
 ● アルコール知識 :…の不足 誤解 無知
 ● 嗜好飲酒    :飲み方の 誤解 無知
 ● 自暴自棄 悪循環:心理要因 ストレス

 ●:
 ●:
 ●:

。。。。。。。。。。。。。。。。。。
「 機能不全家庭 」1 … 親の問題 …
 俺の
依存症気質の
根っこ
とらわれ?
トラウマ?
こだわり?


。。。。。。。。。。。。。。。。。。

2007年09月18日 22時41分43秒  春風に 耳を澄ませば 愛の歌♪

めも:mixi日記より
2007年09月18日04:48 道7 浅草2(1974)花園に遊ぶ天女


akiu 雲 「 道 」7



「 浅草2」  … 花園に遊ぶ天女 …




橋本平八「花園に遊ぶ天女」




同上



。。。。。。。。。。

先々週の火曜日 問診の帰り
宮城県美術館で「近代日本の彫刻」展を観てきた。

久しぶりに橋本平八の「花園…」に再会。

これは 美学校に入ったばかりの頃
芸大の「平櫛田中記念館」で 観ていた。
あのころ 雑誌「季刊スカルプチャー」の
…円空と橋本平八…特集号で観てから
好きになって よく観に行っていた。

田中(でんちゅう)記念館は
上野公園 …芸大の正門を入ってすぐ左側
植え込みの間に 埋もれるように
忘れられたように ひっそりと 建っていた。
いつ行っても ほとんど誰も居なくて
落ち着いて いつまでも眺めていられた。
(たしか 受付もなにもなかったような気がする?)
 ・・・・・・・・
小さな物置みたいな展示室だったが
狭い室内に 田中の作品や
彼のコレクションの木彫中品 小品などの
充実した 興味深い作品が 数多く展示してあった。
「花園に遊ぶ天女」は 壁側の狭いガラスケースの中に
壁に張り付くように 左端に置いてあったので
裏側までは よく観ることはできなかった。
 ・・・・・・・・
今回は 四方から見えるように展示してあった。

久しぶりに見てみると 思いのほか小さい感じがした。

。。。。。。。。。。

あの日…浅草のYくんの所に行って以来
俺は 夕方Yくんの仕事が終わる頃…
毎日のように 彼のところに通うようになった。
Yくんが「夜 うちで なんか彫ったらどうだ?」
…と言ってくれたのだ。

Yくんの仕事場は 古い木造の板の間で
さほど広くもなく天井も低く
仕事の材料やら 作りかけの品物などが
壁際にならんでいたりしたが…
さすがに3代続いてる歴史が沁みついて
なんともいえない落ち着きと 味わいがあった。
その頃は人形ケースの飾り彫りや
仕上げの漆塗りなどもやっていて
床は拭き漆でもしたかのように
渋い光沢を放っていた。

…そこで 最初に彫ったのが…
あの「花園に遊ぶ天女」の模刻だったと思う。

大きさは1尺5寸ぐらいだったろうか?
 ・・・・・・・・
「コレ使えよ…」と
Yくんが仕事用の和楠材をくれた。
俺は 和楠を彫るのは初めてだった。
…と 言うより それまで
木らしい木を彫ったことは ほとんど無かったのだ。
阿寒湖ではジェルトンという家具の下地に使う
すごく柔らかくて軽いスカスカの木を彫ってたんです。
…みんなでトーフ(豆腐)と呼んでました。
桂の木で トーテムポール彫ったとき…
「ほんもんの木だぁー♪」と狂喜したもんです。(笑)
 ・・・・・・・・
和楠は「たんすにゴン」の防虫剤…
樟脳(しょうのう)の材料になる木だっちゃ。
最近は日本の楠(くす)も少なくなって
台湾楠も多いらしいけど…
香りは 全くちがうんですよ…
和楠のは香り… 台湾楠のは…におい…?
和楠の香をかいでると 酔い心地だけど…
台湾楠だと… 頭痛くなる(笑)
そのぐらい ちがうんですよ。

俺は 和楠大好きです♪
確か ほんものの「花園…」も…楠木だったはずです。
いま思うと あのときは ほんと幸せ感いっぱいだった♪
 ・・・・・・・・
毎晩 入谷から浅草まで かよって…
(そういえば あの時も 歩く人だったな …笑)
わからないながらも 雑誌の写真を見て…
Yくんのとなりで
いろんな話しながら のんびりと彫っていった。

小さかったので 最後の花びらの線彫りは入れなかったけど
結構 マメに仕上げたと思う。
裏側は 写真も無かったし
田中記念館でも 観ることができなかったので
勝手に作ったのだが…
後に 実際に見たら お尻が彫ってなかった。
 ・・・・・・・・

俺は 作ってしまったのに…(笑)




。。。。。。。。。。

↓参照
?

2007年09月18日 22時35分51秒  しなやかな 若木のうちに プロの道♪

めも:mixi日記より
2007年09月17日12:44 道6 浅草1(1974)
akiu 雲 「 道 」6


「 浅草 1」 … 木彫のプロ …



。。。。。。。。。。

工房のメンバーは さまざまだった。

俺(20歳)よりひとつ年上の Nくんと 横浜のAくん
浅草のYくん 香川のTくん
ふたつ年上が 宮城のS♀さん 秋田のIくん
みっつ上が 高知のTSさん
俺より年下が 鳥取のKくん 横浜のSくん
同年が 武蔵美中退のKS
最年少は高卒したばかりの H♀さん
最年長は30歳ぐらい 牛乳配達をしてるIさん
S女史 M女史も そのぐらいの年齢だったかも
 ・・・・・・・・
ん…? これで14名にしかならない???
…前に書いた人数はたぶんマチガイだといま気付いた(笑)
たぶん 募集定員25名で 集まったのは16名ぐらい…だと思う。
あと…2名ぐらい居たような気がするが…
正確には 思い出せません …m(_ _)m
(片付けて…日記見ろっちゅーの!←だっちゃ! 大反省)

。。。。。。。。。。

浅草のYくんは なんとも生粋の江戸っ子だった。
なにしろ 江戸木彫の家の三代目だった。
(お爺さんもお父さんも 柴又帝釈天の仕事をしたという)
子供の頃から 鑿を使ってるプロである。
それがまた なんで こんなトコに…???
それが この学校に来た連中が…おおむね
「へんなやつら」であることを 象徴している。
 ・・・・・・・・
S女史も すでにプロ並みに
木彫を長くやっているらしかった。
あとで わかったことだが…
この学校は その筋の連中には
あんがい一目置かれている学校だったらしい…?
 ・・・・・・・・
そういえば 後に「株式会社…美学校」になったが…
( コレだって十分「変」なのだが…笑 )
あのころは 現代思潮社「美学校」だったのだ。
俺は 未だに よくは知らないが
現代思潮社は「トロツキー全集」とかを出版している
いわば お墨付きの異端派の出版社だったらしい。
したがって そっち系の魅力に惹かれて来た奴も多かった。
いわゆる 文系の 屁理屈好きな連中…だっちゃ♪
(当然 先輩も先生も みんな そんな感じ …笑)
 ・・・・・・・・
なにしろ俺は 智恵子抄だの白樺派だのトルストイ派?…(笑)
最初は なんだか あの☆校に入った時みたいに
戸惑っていたような気もする。

いま思うと あの連中の多くが…
「異端のプライド」みたいなものを
もっていたような感じもする。

浅草のYくんも そうした気骨が感じられた。
でも 阿寒湖での徒弟まがいの経験があった俺は
職人気質の彼に 少し親近感を感じていた。
。。。。。。。。。。

ある日Yくんが話し掛けてきた。
Y:「おう…おまえ 木彫やってたんだってな!?」
俺:「あぁ…阿寒湖ですこし…」
Y:「追い込みのしごと入ったんで
   手ぇ貸してくんねぇーか!? 」
俺:「ウ… ウン…」

…というわけで 浅草のど真ん中
雷門からもすぐ みたいな…
ちょっと裏手に入ったところに
Yくんの家…兼仕事場は あった。
木造の2階建てだったと思う。
一階が 車庫と仕事場。
それに 台所や茶の間などがあったと思う。
。。。。。。。。

仕事は 一畳分ぐらいある大きなレリーフだった。
「風神」「雷神」セットだったと思う。
下絵を描いて 彫り始めてあった。
Yくんは さっそく
「ココ 2寸落としてくれ」と…指示した。
俺は 例によってオロオロと…「あ…ハイ」と
鑿と玄納を出して 最初の何回か 叩いた。

Y:「お…オイ!」
  「おめぇーホントに木彫ってたのか!?」
…それで お仕舞いだった。(笑)
Y:「まぁ…しょうがねぇーや 見てろ…!」

彼の 腕 … 彫りは見事だった。
速い 上手い 美しい…
これぞ プロです …と 見とれる他なかった。

。。。。。。。。。。

阿寒湖の親方もすごかったが…
Yくんは 俺とひとつしか 歳がちがわない
そんなに ちがうとは思ってなかったのだ。
 ・・・・・・・・
しかし 考えてみれば なにしろ
子供の頃から 10年以上もやってるのだ
大工さんで言ったら もう 棟梁レベルなのだ

半年かじっただけで「やってました」
と言ってしまう…そのこと自体が
こうした仕事を 何ひとつわかっていないことの
証明みたいなものだったのだ。




。。。。。。。。。。

2007年09月16日 04時27分19秒  友禅の 肌なつかしい 薄化粧♪

めも:mixi日記より
2007年09月16日04:00 道5 酔興(1974)
akiu 雲「 道 」5


「 酔興 」


。。。。。。。。。

歩くひと…雲さん???…で 思い出した。

手書き友禅のバイトやってるころ…の話。
 ・・・・・・・・
バイト先は 池袋から秩父方面に行く西武池袋線の
東長崎駅から 歩いてすぐのところだった。
(…東長崎は 池袋の次の駅 )

バイト先は…
女性のパート(弟子?生徒?)のひとたちが
毎日3人ぐらい来ていて…
ひとり 30代ぐらいの 内弟子の男のひとがひとり
それに師匠(50代♂)だった。

その内弟子の兄さんは 独身で
とても やさしくて ものしずかで
なおかつ甘いマスクの好青年だった。

いま思えば あの仕事場は
浮世離れしてると言っていいほど
のどかで しずかで のんびりとしていた。

竹串みたいなもので ぴんと張った布に
線描きや ぼかしで色を入れていくのだが…
(時には糊付けしてあるのもあった。)

分業みたいになっていて
俺は 指示されたとおりに 大小の筆を使い分けて
色を入れていくだけの簡単な仕事だった。
言われたとおりやるだけで
牡丹の花びらのピンク色なんかが…
見事に ぼかしがかかって
奇麗に描かれてゆくのは楽しかった。
 ・・・・・・・・
すこししてからは 面相筆を使っての
線描きも させてもらえるようになって…
後に 美学校の課題の「 刳(く)り物(=透かし彫り)」で…
下絵の蓮華唐草模様を描くときなどに 役に立った。
みんなは 鉛筆etc.で 描いていたのだが
俺は 面相筆で 描いて…
なんとなく「ん〜ん本格的ィー!」などと…
ひとりで 内心 嬉しがってた …   (笑)


↓へつづく
。。。。。。。。。。

2007年09月16日 04時14分26秒  はしご酒 上り詰めたら 地獄行き?

↑からつづき
めも:mixi日記より2007年09月16日04:00 道5 酔興(1974)
akiu 雲「 道 」5


「 酔興 」


↑からつづき
。。。。。。。。。

ある日の帰り… 内弟子の兄さんに
「飲みに行こう」と誘われた。
 ・・・・・・・・
仕事場は 東長崎の 駅前商店街のすぐそばだった。
兄さんは その裏の飲み屋街に 連れて行ってくれた。
焼き鳥屋さんのようなとこのカウンターに座って
店のひとと話してる感じから…行きつけの店だとわかった。

お酒が入った兄さんは 思いがけず よくしゃべった。
自分のこと 師匠との関係のこと
仕事のことなど…
酒のピッチは 速かったようだ…
一軒目で かなり酔っていたと思う。
二軒目に誘われ また付いていったが
きっと もう まともに話してる感じではなかったと思う。

俺は あの頃は 体力も有ったし
飲んでも つぶれることは ほとんどなかったので
彼のことが心配で付きあっていたように思う。
彼は いくら言っても終わりにしようとせずに
つぎからつぎと はしごしていった。

さすがに俺も付き合いきれないとわかって
だまって その場から逃げ出してしまった。
・・・・・・・・

駅に行ったら もう終電がなかった。
仕方がないので 池袋への行き方を訊ねて
とにかく 歩き始めた。
山手線は まだあるかもしれない…と思っていた。

池袋駅についたが やっぱり電車はなかった。
そこで 交番に行って訊いた。

俺 :「あの… 上野のほうへは どう行ったらいいんですか?」
警官:「ああ 白山通りを… ん… 車?だよな?」
俺 :「あ…歩いていきます。」
警官:「歩いて…? ほんとに? 朝までかかるぞ!」
   「タクシーで行ったらすぐだぞ そのほうがいい」
俺 :「あ…歩きます」
警官:怪訝そうに 俺の風体をながめて…
   不信人物でもないと 感じたのか
   「そうか… じゃぁ まぁ 気をつけていけよ!」
   「ああ わかんなくなったら また交番で訊け」
   「とにかく この道を 真っ直ぐに 道なり…だ!」
 ・・・・・・・・
というわけで アパートに着く頃には
すっかり 夜が明けていた。
たぶん 次の日はバイトが休みだったのだろうとは思う。
。。。。。。。。。。

そういえば 長男が中卒で 浅草に行ってすぐの頃
同じようなことが あったといっていた。
まだ 東京に慣れてないころ
ガールフレンドと 新宿駅で待ち合わせをしたけど
逢えなかったことが有って…
探してるうちに 電車がなくなって
新宿から 墨田区のアパートまで
やっぱり 歩いた といっていた。

たしかに 俺の子だな! などと思ったっちゃ!♪
伊達や酔狂で… とはよくいったものだ。

俺も 息子も さすがに 伊達男だっちゃネ♪??? …(笑)
(ちなみに…息子の場合は酔ってはいなかった と思うが…。)



。。。。。。。。。。

2007年09月16日 04時10分28秒  美学校 先着順の 夢模様♪

めも:mixi日記より
2007年09月15日23:08 道4 美学校2(1974)
akiu 雲「 道 」4


「 美学校 」2


。。。。。。。。。

授業日は週に1回だけ
それで … 年間20万円(たぶん?) 先払い …は
当時の俺の感覚からすると…
かなり高いような気がしていた。
 ・・・・・・・・
なにしろ あの建物 あの事務室…
不安は 大きかった。
でも… しかし… なんとなく
あの 胡散臭そうな… ちょっと異様な感じの 臭い…に
自分と同質の …なにか… を 感じていたのかもしれない。
 ・・・・・・・・
そして なによりも…

学歴・年齢不問 申し込み…「 先着順 」

これが「高校中退・試験嫌い」の俺には 魅力だった。

。。。。。。。。。。

「木彫刻工房」の定員は35人だった。

事務局のおっさんの話っぷりでは
もうすぐ定員になってしまいそうだったし…

いつのまにか 俺は
「とりあえず 2次志望はどこにしようか?」
…などと 考え始めていた。

工房(科目)は10こぐらいあったような気がする。
訳のわかんないのもあった。
…油彩 シルクスクリーン 銅版画 細密画などは
なんとなく わかる気もしたが…
「絵文字工房」だの 「最終美術思考工房」だの…は
どんなことやるのか さっぱり 見当がつかない。

しょうがないから第2志望は「油彩画工房」にした。
たしか ご丁寧に第3志望まであって
そっちは「銅版画」にしたような気がする。

数日後 それをもって すぐに申し込みに行った。
後で 通知が来たのか その日に決まったのかは
もう忘れてしまったが…
とにかく「先着順だから 入金を早くしないと!」…と

… 急かされた …こと だけは覚えている。

。。。。。。。。。。

申し込みを終えて… バイトを探すことにした。
授業は週一回だったので
昼間でもなんとかなるだろうと思った。
アルバイトニュースに
「絵の好きなひと…経験不問」
…というのがあったので
さっそく 電話で問い合わせして 行ってみた。
個人の家の 2階の畳部屋で
4〜5人で「手描き友禅の絵付け」をしている仕事場だった。
いま思うと あの仕事は 面白かった♪
たしか 夏ごろに なんとなく やめてしまったのだが…
いま思えば もう少し やってみたかったような気もする。


↓につづく
。。。。。。。。。。

2007年09月16日 04時02分36秒  行列の できない店に ならぶ奴???♪

↑からつづく
めも:mixi日記より
2007年09月15日23:08 道4 美学校2(1974)
akiu 雲「 道 」4


「 美学校 」2

↑からつづく
。。。。。。。。。


最初の授業日が来た。

どんな連中が来るのか?
どんな先生なのか? どんな学校なのか?
わからないことだらけだったが…
さほど 不安もなくなっていたような気がする。
北海道以来 俺の感覚も
だいぶ 臨機応変 に慣れてきていた。

床は畳だったか 板の間だったか? もう忘れたが
とにかく 床に座って…
座机はコンパネ貼りに塗装した木箱だった。
(座布団持参だったのかもしれない?)
 ・・・・・・・・
メンバーは… と 見れば…
訳のわからなそうなのばかり 揃っていた。
明らかに30過ぎのおっさんぽい奴。
長髪のヒッピー系? 角刈りの職人系…
おばさん 10代の女の子 …
まあ さまざまな人種が入り混じっていた。
(まぁ 俺も 同じようなもんだったろうが…笑)
ひとつだけ 言えるのは…
どうみても 学校にも 美術にも
あまり縁のなさそうな連中ばかりに見えた
…と いうことだろう。

そこへ長髪の関係者らしい男が入ってきて
なにやら 仕切りだしたので…
「このひとが先生か?」と思っていたら
今度は 坊主頭の小柄な 若い兄ちゃん風の男も入ってきた。
ふたりとも…ジーンズにシャツと 気軽な格好だった。
(もうひとり?居たかも知れない???)
まぁ ともかく その
… 小柄な兄ちゃんふう …が
「 先生 」だった。(笑)
 ・・・・・・・・
その後4年間 面白おかしい「美学校」生活で…
良かれ悪しかれ 20歳〜24歳までの 俺が
なにかとお世話になることになった
木彫刻家… 小畠廣○ …先生との 出逢いだった。
(あの当時 たぶん36〜7歳だったのだろうと思う。)


。。。。。。。。。

それよりも…忘れちゃいけない。

当日 みんなが席について
なんとなく 数えてみたら…
全員で25名しか居なかったのだ。
定員35名に…10人も足りない。
 ・・・・・・・・
その後わかったのだが
あのおっさん(事務局長…いわば校長のような位置?)
…とにかく「 金を納めさせる 」ために… ああして
来た奴を 急かしたてていたのだ。
実際 4月になっても 5月になっても…
「まだ 今なら 間に合う!」…と
新入生集めに 余念がなかった。
 ・・・・・・・・
4年ほど美学校にいたが…
募集定員いっぱいに
生徒が集まったことなどなかった(笑)
 ・・・・・・・・
その後 知ることになるのだが…
彼は 実に面白く
また 実直な 変な奴だった♪ …そして
みんなに「り○さん」と気軽に呼ばれ 愛されていた。



。。。。。。。。。

2007年09月15日 09時21分37秒  オリジナル作家に学ぶ 技と意地♪

めも:mixi日記より
2007年09月14日23:27 道3 美学校(1974)
akiu 雲 「 道 」3



「 美学校 」1



。。。。。。。。。

とりあえず 画塾を探した。

美術雑誌「美術手帳」に 広告が いっぱい載ってた。
さまざまな学校や 教室が有ったが…
ほとんどのところが「高卒」の資格が必要だった。
 ・・・・・・・・ 
中にやっと 2カ所だけ資格の要らない所を みつけた。
「鷹美術研究所」と「美学校」
 ・・・・・・・・
さっそく 見学がてら 行ってみた。
鷹美は いかにも美術研究所ふうで…
石膏像や イーゼルが立ち並んで
アトリエのような雰囲気に満ちあふれていた。
なんとなく 以前仙台で一回だけ覗いた
あの研究所と 同じような匂いがした。
 ・・・・・・・・
次に「美学校」のほうに 行ってみた。
広告がやたら 重苦しい感じだったので
どんなところかと 不安と期待が入り混じっていた。
住所と略図を頼って たどり着いてみると…
神保町本屋街の 水道橋よりの裏通り…

ちいさな(汚い…?)雑居ビルだった。
右手の狭い階段を上って たしか3階だったと思う。
「学校」という雰囲気ではなく なんとなく
会社の事務所っぽい 狭い廊下の壁に
連絡のチラシやら なにやら 貼ってあったような気がする。

その辺に居た 生徒らしいひとりに訊いて
つきあたりの 事務局という部屋に入っていった。

8畳ほどの部屋だったろうか?
狭い部屋に3〜4人分ぐらいの事務机があって
中に 2〜3人ひとが居て… そこは
お世辞にも キレイとはいえない程度に 散らかっていた。

。。。。。。。。。。

俺:「あのおぉ〜 生徒募集みて来たんですけど…?」
男:「おう! …入学希望か!」

事務員と言うより なっぱ服の労働者。
…といった風体のおっさんが 大きな声で 出てきた。

俺:「まだ… 間に合うでしょうか?」
男:「おぉ 申し込み期限ギリギリだから 急いだほうがいいぞ!」
  「木彫刻工房か?」
  「募集定員いっぱいになったときの為に 第2志望も書いとけよ!」
  「これが願書一式。」
俺:「あ…あの 一回 帰って検討してみます…」
男:「とにかく 急いだほうがいいぞ!
   いっぱいになったら 募集打ち切るから。」
…とにかく威勢がいい。
その勢いに やたら気押されながら…
書類一式入った茶封筒を抱えて
俺は とりあえず アパートへ帰った。

そして もういちど募集広告をよく見てみた。

 ・・・・・・・・
 …教えをうけることを 自らの意志として据えて
  欲するものを得ることはありえても
  教えることをみずから意図し 果たし得ることはないのであって
  教える意志は 生徒の脳皮質をかすめて 消えるのである
  ・・・・中略・・・・
  そこで 教えられる機関は考えるとしても
  教える機関は考える訳にはいかぬ

  最高の教育とは 教える意志を持たぬものから
  必要なものを盗ませる ということになろうが
 ・・・・・・・・
…と 書いてあった。

実に 重々しく 胡散臭く 時代遅れっぽく
年より臭い もっともらしい 文句だった。

しかし俺は それに魅かれてしまった…(苦笑)

   ・・・・・・・・
  最高の教育とは 教える意志を持たぬものから
  必要なものを盗ませる
   ・・・・・・・・

この部分が なんとなく 納得できる気がしたのだ。




。。。。。。。。。。

2007年09月14日 21時33分56秒  歩くひと 考えるひと 走るひと???

めも:mixi日記より
2007年09月13日22:25 道2 考える人・歩く人(1974)
akiu 雲 「 道 」2


「 考える人・歩く人 」



。。。。。。。。。

仙台に また 戻ったのは…
1973年の9月末か10月ごろだったと思う。

道具も 出来てきて木彫を始めようと思った。
しかし なにを作ろうかと言うところで… 困った。

いま思えば… とりあえず
阿寒湖で作ったものを
作ればよかったのかもしれないとも思うが…
一応 仕事にしたいと思っていたので
「オリジナル物でなければマズイな」と そのときは思い
商品企画(デザイン)をやってみた。
すると なかなか できないことが解った。

阿寒湖では 店(親方)のオリジナルデザインの
コロポックル人形を彫っていた。
その他には トーテムポールの熊を一回彫ったぐらい。

商品には ペンダントがいいと思ったけれど
やってなかったので よくわからなかったし
やはり 実質12月末ごろから 6月末
半年ばかりの見習では
ひとりになってみると なにをどうやったらいいのか
スムーズにはいかないものだと実感した。

そんなこんなしてるうちに 日が過ぎて行った。

そして もう一度ちゃんと勉強しようと 思った。
そこで とりあえず 東京へ行って
画塾=美大受験予備校にでも入ろうと思い。

1974年の春…3月ごろ 東京に 引っ越した。

。。。。。。。。。。

地下鉄入谷駅の東側 国道の一本裏通りの木造アパート。
6畳に 畳半分ほどの流しがついた部屋だった。
トイレも洗濯場も 共同だった。
表通りと裏通りに繋がった大きな材木屋さんの
倉庫の2階を改造してあったような感じだった。

歩いてすぐ 入谷の鬼子母神があり
その先に行けば 鶯谷の駅だった。
家賃も13000円と当時でも かなり安いほうだった。

家財道具は ほとんどなかった。
大半が 彫刻の道具関係…と 本。
大検資格とらなきゃ…と
高校の教科書も 全部持っていった。

。。。。。。。。。。

上野公園まで アパートから 歩いてすぐだった。
ヒマさえあれば 上野公園に行って
博物館や 美術館を見て歩いた。

公園駅のすぐ前に「西洋美術館」がある。
松方なんとかさんが 集めたコレクションは…充実している。
正面の門を入るとロダンの代表作が惜しげもなく並んでいる。
そこに あのノバのCM…
「…入ろか やめよか 考え中…」の「考えるひと」がある。
( 原題は たしか「パンセ=思索」。)

高村光太郎は 白樺派の雑誌の紹介写真でこれを見て
フランスに行き ロダンのアトリエまで 訪ねている。

たしかに すごい作品だと思う。
世界の彫刻史の1ページに刻まれていいものだと…。

「パンセ」というと パスカル?を思い出すし…
実際の彫刻を見ると 彼が40歳になる少し前(?)
憧れて イタリアまで観に行って
ミケランジェロの彫刻に なにを見てなにを学ぼうとしたかが
そのしごと…制作=表現の上にしっかりと刻印されている気がする。
岸辺に生えた … 逞しい一本の葦 … なのだろうか?
ロダンの あこがれ だろうか?

。。。。。。。。。。
ロダンには「歩く人」という作品もある。
日本には 倉敷の「大原美術館」の入り口
たしか 左側あたりに 立っている。
俺は こっちの方が 好きだ。
説教するキリスト像の試作だったと思う。
頭と腕がない。 その分だけ説明的にならずに
「歩く人」そのものの…
得体の知れない存在感を示していて 気持ちがいい。

。。。。。。。。。。

今年の初め アル中入院中 歩いた。
プログラム大行軍15〜20kmぐらい。
小行軍7〜10km(?)ぐらいが
月に一回ずつ有ったし…
週一回の外泊の時 家までの25kmほどを…
歩いて往復していた。
面白がってつけていたら 入院3ヶ月中に totalで
350kmは 歩いたことになった。

時速6kmぐらいで歩くと ただ歩くことだけに無心になれた。
無心に 歩くことは 面白い。
焦ってもしょうがないし
路線変更も あんがい 面倒くさくなる。
行く先と 道を決めたら あとは無心で歩くだけ…

俺は そんなふうな やり方が 好きなような気がする。

。。。。。。。。。。

「考えるひと」と「歩くひと」…

俺は「歩くひと」のほうが 好きな気がする。



。。。。。。。。。。

2007年09月14日 00時37分16秒  老猿の 捕り逃がしたる ゆめの羽根♪

めも:mixi日記より
2007年09月12日14:06 道1 老猿(1973)
akiu 雲 「 道 」1


 …「 老猿 」…



。。。。。。。。。

1973年の8月 1年2ヶ月ぶりに 北海道から戻ったけれど

… 挫折感は 大きかった。

3年間と約束して弟子入りした阿寒湖の親方のところを
8ヶ月で やめてしまった… 挫折感 …

1週間ほど 実家にいたが… また すぐに
今度は 南に向かって 出かけた。
東京まで ヒッチハイクして
空き地に停めてあった トラックの荷台で寝た。
そのころ大学に行ってた 柔道部のBに電話して
1日いっしょに過ごし 部屋に泊めてもらった。
次の日は 鎌倉まで行って 鎌倉彫や骨董品屋を見て回った。
夕方頃 そのまま ヒッチハイクで 西に向かった。
 ・・・・・・・・
紋別のユースホステル「流氷の宿」で出逢ったMくんが
神戸にいた。
連絡を取り 会って話していたら
彼は両親と暮らしていたが…
「俺の家に来れば」と言ってくれた。
彼の家に居候して…1ヶ月ぐらいバイトをした。
(…コカコーラの配達)

居候で 家の人と 気まずくなって… Mくんの家を出た。
その夜は 三宮の駅前で寝た。
次の日 阿寒湖の店ででバイトしていた○美さんと会い
その晩 家に泊めてもらい
次の朝 ○美さんの家を出て…京都に向かった。
 ・・・・・・・・
たぶん 彫刻(木彫=仏像)を見たいと 思ったのだろうと思う。

阿寒湖で 木彫に出逢ったとき…
なんとなく … 俺は 木が好きだ …と思った。
ほんの数ヶ月だったが
… 毎日 木を彫る暮らし …が うれしかった。
途中で 辞めてしまったけれど まだ…

… もっと 木彫をやりたかった …。

奈良まで行き…
あてもなく奈良の街を歩いていたら
…「 近代日本の彫刻 」奈良県立美物館 …
…の ポスターが目にとまり 行ってみることにした。
 ・・・・・・・・
明治から 昭和までの 日本の彫刻の代表作が展示されていた。
木彫だけだったかどうかは 覚えていないが
俺の目には 木彫作品だけの印象が
おぼろげながら焼き付いている。
その後 ことあるごとに 何度も出逢うことになった…
… 近代日本の木彫刻作品たち …
解説には 明治以来の 木彫家たちの系図もあった。
 ・・・・・・・・

美術館は 閑静な落ち着いた 古い建物だったと思う。
現代建築の無機質さとはちがった やさしい空間があった。
やわらかい 琥珀色の光が
しっとりと沈殿しているような 会場。
そこで 初めて あの「 老猿 」(高村光雲作)に出逢った。

あのころは 何も知らず 何も考えずに
ただ その 繊細で 大胆な「 彫り 」に
圧倒されて 見とれていたように思う。

俺の出逢いは いつも そんな風だったような木がする。
… われ知らず 見とれて 目が離せなくなってしまう。
いわば … 酔い痴れて …しまうのだ。

あれ以来 なんども この「 老猿 」に 出っくわし…
その度に なんとか「 けなしてみよう 」と 思うのだが(笑)
なんだか どうしても 貶(けな)せないのだ。
出逢いの必然…は 恋心や 愛みたいなもの なのかもしれない。

先日 宮城県美術館の「 近代日本の彫刻 」展…で
同じ高村光雲作の木彫作品「 狆 」を観て…
とりたてて見るべきところもない と思ったし
「 へたくそ! 」と貶していた。
同じひとが作っても 作品はそれぞれ さまざまだ。
時代によって 気分によって 状況によって ちがってくる。

あのとき あの状況で「 あの作品 」に 出逢った…
そんな作品が いくつかあるものだ。
(…ひととの出逢いにも 同じことが言えるような…気もする。)



。。。。。。。。。。

奈良の旅館に 1泊して
浅草で 木彫の道具を注文して…

仙台に戻った。



。。。。。。。。。