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2007年09月07日 15時12分27秒  迷い道 道なき道も 俺の道♪

めも:mixi日記より
2007年09月06日02:28 叱られて…2 正直22 出発 (1972) 1
akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」出発 1



「 出発 」 1


。。。。。。。。。

道が なくなっても
進まなければ どこにもいけない。

先が 見えなくても
歩かなければならない ときもある。


。。。。。。。。。

夜は 旅館で 寝て…
昼は ラーメン屋で 昼飯が食えた。

暮らしていくには それで 十分だと思った。

もらった 給料は バス代ぐらい残して
全部 貯金することにした。

これからどうなるのか 皆目 見当も付かなかった。
正直いって 不安だった。

いま思えば とりあえず
親と もめていたわけでもなかったし…
家に 問題があるわけでもなかったので
もう少し ゆっくり考えても
良かったのかもしれないとも思うが…

やはり 学校が続けられなかったこと…が
疚(やま)しかったのだろうか?
とにかく… 気持ちが 張りつめていた …

学校を 辞めたのだから…
親の世話になるわけには行かない。
自立しなければと 気負っていたのだと思う。

お金は ほとんど使わなかった
みんなに「 守銭奴♪ 」と からかわれたほどだ。
一緒に喫茶店に入っても「 水 !」と 注文した。
ダメだったら ひとり 店を出た。

なんとなくだが… 
お金を貯めて… ヨーロッパへ行って
絵の勉強をしようか? のようなことを考えていた。

。。。。。。。。。。。

働いたのは… 半年ほどだったが
ラーメン屋でも ホテルでも…
(昔の木造の旅館だったが名前は○○ホテルだった…?♪)
いろんなことがあった。

。。。。。。。。。。。

ラーメン屋に行って 少ししてからは
スープの仕込みを教えてもらって
俺が やることになった。

一番最初に 店に行って スープ仕込んで…
たまねぎむいて…と 野菜の仕込み。
店の掃除 胡椒や醤油 割り箸の補充など
走り回って働くのが 楽しかった。

大声で 歌を唄いながらやってた。

掃除が終わるころ 店の人たちが出勤してくる。
暖簾を出して 客が入り始め 出前の注文も入ってくる。
11時半を過ぎたら もう戦場だった。
店の接客 水出し 注文取り レジ打ち 電話受け 出前。
「らっしゃいませー!」
「ありがとございましたぁー!」 と
元気よく 大声出せるのが たのしかった。

厨房は○ちゃんという女性調理人のひとと オヤジさん
店は 俺とNと もうひとり おばちゃんもいたが
近所に 大きな工場や 郵便局などがあり…
昼時は 店も 出前も フル稼働だった。

出前はNと俺のふたり
Nがバイク 俺は自転車。

冬だったけど  俺は…
たぶん ランニングシャツの上に
ラーメン屋の白衣一枚で
自転車に乗って出前していた。
冬の冷気が 気持ちよかった。

どんぶり集めの時は 肩が抜けそうなほど
重くなったオカモチを 片手にぶら下げて
自転車を めいっぱい こいだ。

いつも 一生懸命 だった。
汗かいて 全力で 動くのが 楽しかった。

俺の仕事は どんぶり回収 昼時の片付け 皿洗いまで…3時ごろ
その後は 9時のホテルの仕事までは 自由だった。


↓につづく
。。。。。。。。。。

2007年09月07日 15時07分14秒  分かれ道 何かの縁で 道連れに♪

↑からつづき
めも:mixi日記より
2007年09月06日02:28 叱られて…2 正直22 出発 (1972) 1
akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」出発 1



「 出発 」 1



↑からつづき
。。。。。。。。。。

店が終わってから 隣りのボーリング場の喫茶店に行った。
そこで コーヒー一杯で 長い時間
本を読んだり 日記を書いたりしていた。

いつも 出前していたから
ふたりのウェイトレスとは顔なじみだった。
(もちろん 親しく話ができるほどでは なかったけど…苦笑)

彼女たちは ときどき
コーヒーのお代わりを持ってきてくれたり
カーテンで仕切られた「予約席」に 入れてくれて…
「こっちの方が 落ち着いて本読めるでしょう 」と
言ってくれたりもした。

… とっても やさしかった …


。。。。。。。。。。

俺がホテルに入ると
奥さんも 旦那さんも
奥の自宅へと 引っ込むので 俺ひとりになる。

受け付け 電話交換
そして 部屋まで案内して お茶出しも やった。
予約外の客は 宿泊カード書いてもらってる間に
部屋まで走っていって 布団敷きもしなければならなかった。

12時頃門限で 玄関の鍵をかければ
あとは 玄関脇の布団部屋で 仮眠してていい。

でも けっこう 帰ってこない客も多かった。
2時3時ごろまで 飲んで来て 玄関をドンドンと叩く。
だから なんとなく いつも
その頃までは 起きて 日記書いたりしてたような気がする。

朝は 6時ごろ起きて 玄関前の掃除して
お客さんの靴を磨いて 並べたら 帰ってもよかった。


。。。。。。。。。。

学校のみんなの卒業式が 終わった頃
中学の柔道部で一緒だった SSに頼まれて
ホテルのバイトを 紹介した。
そうしたら 彼が やはり同級生の従姉妹「○さん」を紹介して
ふたりは ホテルで 春休みのバイトを始めた。

。。。。。。。。。。

ココから先を書き進めるに当たって
大きな問題に直面する…(笑)
 ・・・・・・・・
この頃のことを どう書いたらいいのか?
いま考えると 複雑な感じになってしまうのだ。

その頃に 在ったまま ありのままを
素直に 正直に…
書きにくい思いがある。

なにしろ その○さんこそ
その後 35年間…
恋愛し 結婚し 家庭を作り 離婚して…
現在に至るまで なおも
同じ屋根の下に暮している女性なのだから…

。。。。。。。。。。

しょうがないから…

!運命的な… 出逢いだった(苦笑)!

…とでも 書いておこう。


。。。。。。。。。。
ココまで書いてみて はっきりしたような気がする。
とにかく 良かれ悪しかれ ココが

 俺の…「 人生が変わる瞬間 」

…だった とは思う。

。。。。。。。。。。

やっと テーマに もどった。♪♪♪


ここで 彼女に 逢わなかったら
俺の 人生は まったくちがうものだったとは思う。

恋とは 恐ろしいもの でも有るのかもしれない…(大笑)



。。。。。。。。。。

どうも 俺の人生の物語は 最後の落ちが
イマイチなような気がする。

正直に生きてきた筈なのに
一生懸命 誠実に生きようとしてきた筈 …なのに。
なぜ? なぜ?
いつも 最後の区切りが スカッとしないのだろう?(苦笑) 


。。。。。。。。。。

2007年09月07日 15時00分23秒  濁流に 流れ流れて 海にゆく♪

めも:mixi日記より
2007年09月05日11:55 叱られて…2 正直21 不登校3 高2時代 高校(1971)のころ 15 akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 15



「 不登校 」3


。。。。。。。。。。。

そんな訳で 高2の 2学期になった頃には
同じ年齢の 3年生たちの影響もあって…
卒業後の進路のことも 考え始めていたのだろうと思う。
…しかし
夏の講習以来 美術のほうへの希望は 崩れかけていた。
 ・・・・・・・・
( あのあと…
 講習に来ていた連中が通っていた
 …たぶんあのころ
 美大受験を意識して教えていた 仙台では唯一の…
 画塾へも 1回だけ 行ってはみたが
 やはり その雰囲気に負けてしまって
 それっきりに なってしまった。
 ・・・・・・・・
 あの憧れの彼女も 当然そこの生徒だったのだが…  )

学校での 勉強?は どうも 面白くなかった。
先生たちにも 魅力を感じなかった。
2学期になって また 成績が下がり始めていった。

仲間たちは来年卒業…
そのあとの 一年が長そうに感じられた。
そして そのあと 大学の4年…
しかも 入試に 合格しての話だ。
その間 ずっと 試験 テストがつづく…
気の遠くなるような 話に思えた。

俺は たぶん「 習い 学ぶこと 」は 好きだったが
「 試験 テスト 」… 試されること …が
だいっ嫌い だったのかもしれない。

俺は 手ごたえのあることが したかった。

でも 自分が何をしたいのか なにをすべきなのか
あいまいだった。

小学校の時は 漫画家になりたいと思った。
高学年の頃は 小鳥を飼っていて…
小鳥屋さんに なりたいと思った。
なぜか サラリーマンにだけは なりたくない…と
いつの頃からか それだけは 頑なに思っていた。

中学に入って NHKの番組「自然のアルバム」を いつも見ていた。
そういう取材をするスタッフも いいなぁ…と 思った。
成績が良くなってからは 鳥類学者になりたい…とも思った。
科学雑誌「自然」を購読し…日本野鳥の会にも入ったりした。
野生を調べているフィールドワーカーにも 憧れていた。

高校に入ってから 友達の影響などで 本を読み始めた。

国語の教科書で 芥川龍之介の「羅生門」を読み
漢文の授業で 老子と孔子を読み…
友人の哲学青年 …○樹くんに
ショウペンハウアーだの アランだの 勧められ
同じクラスの○橋くんに
「大江健三郎ぐらい読んでみたら」…と言われ

なんとなく 本を読むようになっていった。

詩集も読んだ。
高村光太郎 中原中也 石川啄木が 好きになった。

光太郎の影響からトルストイや ロマンロラン ヘッセ
白樺派の本も読んだ。

伝記が好きだった。
人の生き方が書いてあるような気がして…

「 智恵子抄 」を読んで 恋に 憧れた。

フォークソングの歌詞を聴いて「 さすらい 」に 憧れた。

光太郎の本を読んで 芸術にも 憧れた。

 ・・・・・・・・
さまざまな思いが 混沌と 渦巻いていた。



↓につづく
。。。。。。。。。。

2007年09月07日 14時51分10秒  なんとなく 道を外れて 藪の中♪

↑からつづき
めも:mixi日記より
2007年09月05日11:55 叱られて…2 正直21 不登校3 高2時代 高校(1971)のころ 15 akiu 雲  「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 15


「 不登校 」3


↑からつづき
。。。。。。。。。。。

1年生のとき 制服問題で もめていたころ
いろんなことを考えさせられた。
テレビや 新聞では
70年安保だの ベトナム戦争の ニュースも流れていた。

いつだったか 柔道部の仲間の ○田と話していた時
「 お前は 社会を知らないんだよ! 」
…と 言われたことがあった。

それ以来 その言葉が 頭を離れない。


たしかに当時の俺にとって「 社会 」という言葉の中身は
「学校の時間割に書いてある文字」程度でしか…
なかったような気がする。

そして 先生も親も… オトナたちは ことあるごとに…
「 社会に出て… 1人前になってから ものを言え! 」
…と 俺の 言う事に 耳を貸そうとはしなかった。

俺は 彼らの言う「 社会 」とは いったいなんだろう?
…と 思い始めていた。



。。。。。。。。。。。

話は戻るが この年(1971)の春
最初の同級生の学年に 例年になく 多くの留年生が出た。
半分ぐらいが 柔道部関係者だった。

つまり 柔道部3人と その友人2人ほどが
また同じ学年になったのだ。 …(笑)

その中のひとり M先輩…
ややこしい話なので 説明しておくが
Mさんは もともと先輩だったのだ。
1年前に入学したが 体をこわして入院 長期欠席のため
出席日数不足で留年して…俺たちと同級になっていた。 
つまり彼は 1年と2年 2回留年したことになる。


。。。。。。。。。。


そのMさんが 秋ごろ 学校をやめて
ハンバーガーショップで 働き始めた。
俺たちは 学校帰りなどに
その店に よく 立ち寄ったりしていた。

11月末ごろになって…
もうひとり 柔道部の留年組Nも 学校をやめて…
ラーメン屋で 働き始めた。

1年前には 中学 高校と同じだったSが 中退していた。

そうしたことは 当然 俺の判断に 関わっていただろうと思う。


。。。。。。。。。。
12月頃だったと思う。
俺はいつも行っていた 画材屋に行った。
入りかけて ふと ショウウインドウを見ると
「夜間アルバイト募集」の 張り紙がしてあった。
夜間 9:00pm〜6:00am たぶん4000円ぐらいだったろうと思う。

「これなら 学校にも 行けそうだな?」と 俺は思った。

さっそく中に入って 訊いてみると
画材屋の隣が 同じオーナーのビジネス旅館で…
そっちの方の 夜番のしごとだった。
朝の牛乳配達が可能かどうかとか…
いろいろ話して とりあえず 働くことに決めた。
 ・・・・・・・・
シュミレーションでは… 学校に行って
午後は一旦 家に帰って 8:00pmごろ家を出て…
9:00pm〜6:00amまで旅館 そのあと家に戻って
牛乳配達してから 学校に行くというサイクルだった。
( 牛乳配達は引継ぎの関係で12月いっぱい続けたと思う。)

何日かは 学校に行ったような 気もするが…
そのすぐあと(冬休みになったから …かもしれない)
先にやめていたNが働いているラーメン屋の
昼時の出前を 手伝うようになって…

結局 冬休みが開けてからも 学校には行かずに
ラーメン屋に行くようになっていた。

 ・・・・・・・・・



そんな風に 俺の 高校生時代は 終わった。


。。。。。。。。。。

2007年09月07日 14時45分00秒  自助会で キミの笑顔を 待っている♪

2007年09月04日
19:06 問診日07/9/4火 いい顔
「 いい顔 」 2007年08月07日21:01 問診日

今日は 9:30am予約。S野さんが来ていた。
「上○さんがきてたよ。…すべっちゃいました…と 言ってた。」とのこと。
Y子さんが飲んで3カ所も骨折して入院したらしい。
○○木さんは精力的に断酒会の普及活動に頑張っているようだ。
9月24日宮城県でやる全国大会のチラシをもらった。
板○さんも来ていた。帰り際 ○林さん A子ちゃんにあった。
○林さんは「あさってから仕事です」と言ってた。
A子ちゃんは「さ○ちゃんに 逢ったよ」といつも明るい。

 。。。。。。。。。。

医:「どうですか?」

患:「あいかわらず 同居人との 関係ですね!
   コミュニケーション取らないわけにも
   いかないと思って 話すと もめるので
   メールで整理して対話しようとしたり…
   してるのですが…
   今日はもってきてないですけど
   今のやり方がいいかどうか
   一度ドクターに見てもらおうかと…」

医:「雲さん いい顔になってきましたよ。
   だいぶ落ち着いて来ているように見えますよ」


 。。。。。。。。。。
メモ:
: 2007年9月3日(月) 22:14 アル中Bohブログ・コメントより
今日は問診だったので 何人かの現況を耳にしましたが
やはり 仲間のスリップの話は辛いです。
止められない同士が繋がると どうしても連鎖的になってるようで心が痛みます。スリップして自助グル-プに足を向けられなくなる気持ちも…俺も似たような性格なので解るだけに つらい。なんとか また 自助グループで逢える事を願い 通いつづけ 祈り続けたいと いつも思っています。
まずは 自分が しっかりすることから ですね!

投稿者 雲 : 2007年9月4日(火) 13:02

2007年09月07日 14時38分59秒  絵心は こころの渦の 墨流し♪

めも:mixi日記より
2007年09月04日17:33 叱られて…2 正直20 絵心 高2時代 高校(1971)のころ 14 akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 14



「 夏期講習 」 … 絵心? 恋心?



。。。。。。。。。。。

2回目の 一年生は 問題なくクリアでき 2年生に進級。

部活が 終わった 1971年の夏休み…
美術の H先生に「 美大 受験したいんですけど… 」と
相談したら…
「 夏休みの教室があるから 受けてみたら 」
とのことで 早速申し込んで たしか一週間ほどの
夏期講習に 通うことにした。

。。。。。。。。。。
小さい頃から 絵が好きだった。
小学校のころ「 漫画家になりたい 」と思っていたこともあった。
でも俺は 中学高校と柔道部だった。
 ・・・・・・・・・・
中学に入った時 美術部に入ろうと考えていたら…
3年生で 柔道部のキャプテンだった兄貴が
「 お前 柔道部に 入るんだろ? 」と 訊くので
思わず「 う うん… 」と答えてしまった…のだ。

その結果 中学高校と柔道をやってしまったわけだが
なんとなく 思いの中に…
本格的に絵を習いたい気持ちは ずっと変わらずにあった。
(たまに ヒマなときに 描く程度だったけれど…) 

。。。。。。。。。。
夏期講習が始まり 出かけて行った。

ガラス窓の大きな 明るくて きれいな
アトリエ風の 広い教室だったと思う

そこに いろんな学校から 10数人ほどの 高校生が来ていた。
みんな さすがに いかにも芸大受験しそうな…
アート…っぽい臭いのする連中に見えた。

俺は なんとなく気後れしていた。
講習の内容は
実技試験のための「 石膏デッサン 」と「 油彩画 」。

講師は 現役の芸大生らしかった。

油彩画は モデル台の上の椅子に
水着の女性が 腰掛けているのを カンバスに描くこと…だった。

…水着の若い女性!…を 目の前で まじまじと 直視する!…

… 男子校 柔道部 … しかも
… 恋愛経験 ゼロ ガールフレンドも ゼロ
and 女性赤面症 の… 俺としては

それこそ どこに目をやったらいいものか(笑)
しょっぱなから
落ち着いて 絵を描くどころの話ではなかった…(笑)

でも とにかく ただ眺めてるわけにも いかないので
周りのみんなの やってることを 見ながら…
いかにも 美学生っぽい…ふりをしながら 絵を描き始めた。

何日か過ぎたころ だいぶ描き進めて 色を入れていたとき
講師が 近づいてきて… 言った。

講師:「 キミ…よく見てみろよ こんな色してるかい? 」

俺 :「ぁ… はぁ… 」

 たしかに 俺の絵の 肌の色は 上手く描けていないと思ってはいた。
 ちょうど 肌の 色作りに 苦心しているところだった。

講師:「ほら 彼女の絵を見てごらん いい感じだと思わないか?」

 …と 隣の女子の絵を指した。
 彼女の絵は きれいだった。
 さまざまな色が カンバスの上に踊り
 モデルさんの 肌の色も 青や 紫や 黄色や赤と
 虹色に 彩られていた。
 …でも 俺はさっぱり わからなかった。
 俺には どうみても
 モデルさんの肌の色は「 肌色 」にしか 思えなかったのだ。

 当時の俺は ゴッホやら ピカソやらの絵のことなど
 ほとんど 何も知らなかった。

 …というより


↓へつづく
。。。。。。。。。。

2007年09月07日 14時32分02秒  テレパシー あったらいいね 片思い♪

めも:mixi日記より
2007年09月04日17:33 叱られて…2 正直20 絵心 高2時代 高校(1971)のころ 14 akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 14

「 夏期講習 」 … 絵心? 恋心?



↑からつづき
。。。。。。。。。。。

 …というより

 俺は そのとき とっても 動揺していた。
 恥ずかしかったのだ。
 俺の顔は きっと真っ赤になっていただろうと思う。
 ・・・・・・・・・・
 この夏期講習に来た 最初の日から 俺は
 この娘に 密かな恋心を抱いていた …のだから

 ・・・・・・・・
 あの夏期講習で 俺は打ちのめされていた。
 みんな自信に満ちあふれて いるように見えたからだ。
 俺が いまごろからやったって
 とても 追いつけそうもないような気がしていた。

 あの夏期講習に 最後まで 通えたのは…
 あの娘が居たから …だったと いまは思う。

 そのときも その後も あの娘とは 一言も話したことはない…が
 いまだに 忘れられない。



。。。。。。。。。。

…ホントーのことを言うと一度だけ
「 こんにちは♪ 」と声をかけられたことがある♪♪♪

いつも カンバスを前にして 物憂げな
あるいは 真剣な表情の 彼女の 瞳が
笑顔で コッチに向けられたのだ。

も… もちろん 俺は…
「 は… はぁ… 」と カチカチになって
ぺこんと 頭を下げるのが せいいっぱいだったけど…(笑)

 
 

。。。。。。。。。。

2007年09月07日 14時23分17秒  気がつけば オレによく似て 馬鹿な親♪

めも:mixi日記より
2007年09月03日19:52 叱られて…2 正直19 親父 留年時代8 高校(1970)のころ 13 akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 13



「 とうちゃん 」


。。。。。。。。。。。

親父のことも 一応 書いておこう。(笑)

1970の春 留年すると決めていたころ
初めて とうちゃんに 殴られた思い出がある。

殴られたと言っても 平手でも こぶしでもなく
洗濯機の 排水ホースで なぐられたのだ。
それを 思いっきり ぶんまわして 俺の顔をなぐった
勢いついたホースの 固いプラスチックの先端が
俺の頭の後ろをひとまわりして 口に当たった。
このときも 口から血が出たっけ…

。。。。。。。。。。
あの時 親父は 酔っていた。
俺が16歳(1970)の2〜3月ごろだから…
1928.1.15生れ。 親父は 42歳になったばかりのころだ。
仕事は 県職員 土木部
たぶん 係長か課長ぐらいだったのかもしれない。
中間管理職 ?

親父の その頃のことは あまり よくは知らない。

きっと 俺は 中学高校と部活やってたし
親父のほうも 仕事で帰りが遅かったようだし
よく 飲んで帰ってきたり
部下をうちに連れてきて 飲んだり
酒飲んでる姿は 覚えている。

休みの日の思い出も 小学校の頃のことは 覚えているが
中学 高校になってからは あまりない。

でも 親父は「 フレンドシップな奴 」だったと いつも思う。

どんな相手にも 気さくだった。もちろん子供たちにも…
人格者というより 天然… 脳天気 ガキっぽい奴だった。

中学のとき よくうちに遊びに来ていた友人が… のちに
「 お前の 親父さん たしか土建屋の親方だったよな? 」
…と 言ったことがあったが 

まさに そんな風な 奴だったと思う。
 
そして 前にも書いたが
そのときまで 俺には 怒られた記憶は なかった。

そのときも「 怒られた? 」というより
酔っぱらった親父に 反抗期の高校生の息子が
「 外に出ろ! 」と 絡んだのだから…
いわば「 なんだとぉうー!? 親に向かって! 」みたいに
… キレタ …感じだった。

54歳になった自分から思えば…
そのころ42歳の 彼が どんなふうに 生きていたかも
なんとなく わかるような気もする。 

そのときも 母親か兄貴か? に 双方 止められて
それだけで終わったような気がする。
前述したように…
俺のほうは 親父が小さく見えて 気が萎えてしまっていたし…

あとにも先にも 彼がホントに感情的になったように見えたのは
あの時だけ だったような気がする。

子供が駄々をこねるような
… 怒り方 拗ね方 …は しょっちゅう有ったけど …笑


。。。。。。。。。。。

今回は とりあえず こんなとこかな?
最近少し …つかれぎみ? …だっちゃネ♪(苦笑) 


。。。。。。。。。。。

2007年09月07日 14時19分34秒  紆余曲折すれば 足腰強くなる?♪

めも:mixi日記より
2007年09月02日22:08 叱られて…2 正直18 ゴミ 留年時代7 高校(1970)のころ 12 akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 12



「 ゴミ拾い 」… 強歩大会2 1970 …


。。。。。。。。。。。

2回目の 一年生の秋ごろだったと思う…

朝 牛乳配達をしている時に ふと 見たら
道に ゴミが落ちているのに 気がついた。
とうぜん 俺は なにげなく拾って ポケットに入れた。

ちょっと行くと また落ちていた。

また行くと またまた…

気がつきだすと きりがなくなるもんだ。

その後 しょうがないから 俺は…
… 気が付かなかった …ことにして
なんとか とどこおりなく 牛乳を配達していた。(笑)

でも ホンネは 結構 疚(やま)しかった。
問題を 見て見ぬ振りをしても いいものだろうか?と
内心 いつも 悩みつづけていた…???(苦笑)

とにかく 全部拾うなんて 無理に決まっている。
捨てる奴がいるかぎり 拾いきれるわけがない。
 ・・・・・・・・
できること やるべきことは
… 自分では … けっして捨てないことだ。
などと 自分に言い聞かせて お茶を濁していた。 

。。。。。。。。。。。

そのころ また あの強歩大会が やってきた。

学校から秋保温泉まで 山あり谷あり(?)の 42.195キロ。

今回は 初心者ではない 前年の経験で
だいたい 雰囲気はわかっていたので…

しかも1年生とはいえ いちおう柔道部では先輩だ。
進入部員たちにも 示しをつけなければならない立場である。

「 柔道部の伝統 」を後輩たちに伝えてゆく責任がある。
(俺は 根っから責任感の強い男の中の男?だった …笑)

したがって 最後尾を だらだらと 歩いて行ったのは
とうぜんのこと …だっちゃネ(笑)

3〜4区間行ったころ… だったろうか
両側に 田んぼがあり 里山の広がる
のどかな田舎道を 何人かの仲間と のんびり歩いていた。

すると 田舎でよく見かける
屋根のかかった 木造のちいさなバス停の小屋があった。
なにげに 中を覗くと その隅っこに 赤い網の袋があった。
(よく たまねぎなんかが いっぱい入ってる 大きな袋)

!おお これだ!…

すでに 俺は ヒマと体力を 持て余していて…

ちょうど 飽きかかっていたところだった(笑)

その袋を手に ゴミを拾いながら歩くことにしたのだ。

そうしてみると ゴミは 見事に いっぱい落ちていた。
道自体は 草も刈られ きれいな道だったが
両側の端を よくみると 細かいゴミは いくらでもあった。

なにか始めると やたら夢中になる性格の俺。
とうぜん タバコの吸殻どころか
自然物以外のものは なにひとつ 見逃しはしないぞ!
…みたいな勢いで 拾いまくっていった。

ふと気が付くと 仲間が だいぶ前のほうにいる。
やはり 遅れちゃいけないと
…でも 拾いながら …急いで 遅れないように行った。

そして 気が付いた。


↓につづく
。。。。。。。。。。

2007年09月07日 14時14分18秒  ゴミ拾いするより ラクな 捨てぬこと?♪

めも:mixi日記より
2007年09月02日22:08 叱られて…2 正直18 ゴミ 留年時代7 高校(1970)のころ 12 akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 12



「 ゴミ拾い 」… 強歩大会2 1970 …

↑からのつづき
。。。。。。。。。。。

そして 気が付いた。

みんなは まっすぐ前に歩いているが…
俺は 道の 両側のゴミを拾いながら歩いているから…
みんなが 1メートル歩くあいだに
俺は 10メートル以上 歩かなければ ならなかったのだ。
( 道幅はたぶん6メートルぐらいはあったと思う。)

とうぜん 歩くというより 小走りに 走っている状態だった。

袋は 案外 すぐに いっぱいになった。
その中身を バス停などのゴミ箱に 空けながら…
何回か 拾いつづけたが
さすがに へとへとに 疲れてきて
ギブアップせざるを得なかった。

このときこそ ホントーに… 俺は思った。

「 捨てる奴がいるかぎり 拾いきることはできない。」…と

そして「 俺はゴミを捨てる人間には なりたくない 」 …と

 ・・・・・・・・・・

あれから 36年たった今も その思いは変わってはいない。
ココ秋保の土地に 来たとき…
敷地から外にゴミを出さない。 …と 決めた。
ことの良し悪しは別として…
焼却 埋め立て 再利用材料化(リサイクル)
そんな理想を抱いて… やってみようとした。

言うは易し 行うは難し… まさに そのとおりだ。

暮らしの中で 出てくるゴミは半端な量ではなかった。
まるで… 俺たちは ゴミを買ってきているのではないか?
…とさえ思えるほどに ゴミは多かった。

中でも 紙おむつにはマイッタ。

長男の時は 布オムツだったので 洗えばよかったのだが
下の二人のときは もう俺の仕事が始まっていて
外に連れてあることが多く 安易に 紙おむつにした。
しかし 紙おむつを燃やすのは至難の業だった。

たっぷりと 水分を吸収した紙おむつは
そう簡単に燃やせるものではなかった。

…火のそばで 乾かして また雨で濡れないようにしながら
最後まで 燃やし尽くすには かなりの 手間と時間がかかった。
なにごとも…目先の手軽さや 便利さだけ…で
判断しては いけないものだと つくづく思った。
 ・・・・・・・・ 
そのほかにも ついつい もったいないからと…
もらってしまったり 捨てられなかったりするものも
溜まってゆく…。

あれから 25年が過ぎた。

しかも 後半の10年間 酒に溺れてしまった。

現状が どうなっているかについては…
読者の ご想像に お任せするとしよう …(大笑)




。。。。。。。。。。

2007年09月07日 14時09分07秒  伝説に 語り継がれる 愛の夢♪ 

めも:mixi日記より
2007年09月02日09:39 詩…伝説 こころ
akiu 雲
。。。。。。。。。。。


「 伝説 」          1992.11.13金→2007.9.2日


むかし ちいさな泉の水が ありました。
むかし むかし わたしが まだ ちいさかったころ

そこに1羽の美しい鳥が 棲んでいました。

その鳥の翼は 瑠璃色に輝き
瞳は 南の海のように 澄みわたっていました

わたしたちは いくつかの季節を 泉のほとりで過ごしました
 わたしたちは しあわせでした

 ・・・・・
そんなある日 わたしは ふと たずねました。
 ・・・ 「 あなたは ダレ ? 」 ・・・

鳥は ほんの少し悲しそうな目をして 言いました。
 ・・・ さようなら ・・・

そうして 泉の中に 消えるように 飛び立っていきました。

 ・・・・・

むかし まだ わたしが ちいさかったころの思い出です。



あれから いくつもの季節を 重ねてきたけれど
あの鳥と ふたたび出逢うことは ありませんでした・・・




「 こころ 」          2007.9.2日


こころが 見えにくいから 書くのだろう

こころが 伝えにくいから 声を 出すのだろう

こころは あいまいだから 言葉にするのだろう

 ・・・・・

遠く離れていても とどくこころもある。
隣りあっていても とどかないこころもある。

声が出なくても 書くことができる
手が無くても 話すことができる
目が見えなくても 触ることができる

伝え合いたいから 工夫する

いろんなひとがいるから 面白い

いろんなひとに出逢い
いろんなこころと ふれあって
・・・ 生きている …


わたしを 大切にしたいから
語りかけるのだろう
ひとを 大切にしたいから
問いかけるのだろう

だれもいない部屋が さみしいから 手紙を書く。

だれもいないこころは 哀しいから 声かけあう。 






愛ひとつ こころ模様の つむじかぜ
部屋の中 無言の声が こだまする
ウェブの空 循環(めぐ)るこころの 風媒花

たんぽぽの 綿毛に託す 愛のゆめ
          風に吹かれて キミに とどけと



。。。。。。。。。。

精神科の医者が言う。

「考えるのをやめて 書きましょう… 話しましょう…」

「書いたり 話したりしたことは 脳に定着します。
 考えてるだけだから 頭が つかれるのです。」

…なるほど… と 思った。



。。。。。。。。。。
詩 伝説:風のなかに


「 風のなかに 」      1990.8.21火 →2007.09.02日



風のなかに聞こえるものは 遠い遊牧の民の唄
小雪まじりの春風に 太古の香りをのせて 吹きすさぶ

ひとの… こころのひだを凍らせ なおもいのちを育んで
この風の中で 育ってゆく 今日のわたし あしたのあなた

意味のとりとめのなさが 深淵にある無意味が… 僕にささやく
…いのちの常道を全うせよ… と やけに …やさしい

おおきな世界に怯え 足元の小石につまづきながら
ぶつ切りにされた神経束を 荒縄のざらついた感触で なんとか
束ね支えて 今日も  飄然と 立つ。


躁鬱質の両面鏡が 自閉の凹化を遂げる時  … 歓喜は響き …
 ・・・かなしみは 充る・・・

宇宙の闇さえ 白みかけて もう … 夜はない …

夜のやすらぎが 奪われたいまが
ひとびとの「 不眠症 」で ざわついている。


… はざま … が ある。


ピーターパンが忘れていった …ちいさな影… を
しまいこむ「 はざま 」がある。

いざという時 とっておきの 奥の手。
誰にも見えない … 天狗のかくれみの …

ひとがすきだから ついとってしまう … ほおかむり …


ひとなんか …どこにも いた ためしは なかった。

でも いつも あこがれつづける。


… 信じ … つづける。




↓につづく
。。。。。。。。。。。

2007年09月07日 14時04分31秒  降り積もる こころのカケラ お片づけ♪

めも:mixi日記より
2007年09月02日09:39 詩…伝説 こころ
akiu 雲

↑からのつづき
。。。。。。。。。。。

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詩 伝説:思い出を探そう



「 思い出を探そう 」      1990.5.8火 →2007.9.2日


思い出を探そう 太古の原野に生れ落ちた あのころの
思い出を探そう まだ馴れてしまってはいなかった あのころの

時 が 刻まれるものではなく つつみこんでくれた あのころの
… 思い出 …の 中に もういちど

… 魂 … を 浮かべてみよう

この こころの形 が 透明な 気配 だけで 感じられていた
… 想い … だけが 脳裏を埋めていた … あのころ …

ぼくは まだ ぼくでは なかったし
ひとが まだ まったく ひとでさえ なかった … あのころ …

そうした自由の中で 風のように 光のように
 輝いていた「 いのち 」を
 ・・・・・・・・
もういちど 手のひらに すくいとってみよう

こぼれ落ちる銀砂のような … きらめきの波動に …

… 身をゆだねて …

 ・・・・・・・・

億光年の 旅に出よう

ひとときの 終わることなき … 永劫回帰 … に

 ・・・・・・・・

今日の終わりを 沈めてみよう




。。。。。。。。。。。

2007年09月07日 13時52分50秒  まぐれから はじまることも 面白い♪

めも:mixi日記より
2007年09月01日01:31 叱られて…2 正直15 柔道部4 留年時代4 高校(1970)のころ 9 akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 9



「 猛練習 」4



。。。。。。。。。。

新人戦で 準優勝して 俺は がぜん やる気が出てきた。
なんといっても …「 まぐれ 」…
偶然… たまたま運良く… と言われていたようなことも
悔しかった。
(実際 実力的にはそんなもの だったのかもしれないが…笑)

それからは 以前にもまして… 一生懸命 …練習したと思う。

なにより上級生部員は 元同級生だし
後輩部員は いま同級生だし なんでも言い易いし
みんな仲良かったし
成績も そこそこ問題なかったし…
練習が楽しかった。

いま考えて 少しだけ 気に掛かっているのは
レギュラー陣が あまりに張り切っているので
他の部員たちが 練習に来なくなっていったことだ。

部員の 集まりが悪いので キャプテンのGGが
後輩に「教室行って 呼んでこい」と指示したりすると…
俺は「本人の自由だよ 無理にやらせるのは良くない
   やりたかったら 来るだろう?
   呼びに行ったりするのは やめた方がいいよ!」
 …と 口出ししたりしていた。
( 俺は 根っからの民主主義者 and 自由主義者だった …笑 )

確かに 休まずに練習している数人と
たまにしか来ない部員とでは ギャップが大きくなって
たまに来ても 投げられてばかりになるので
つまらなそうだった。

そう言うわけで 冬休みに入ったら 練習に来るのは
3役と 俺と ひとりだけ まじめに毎日来ていた1年生と…
常勤者は 5人。
あと 2年生の準レギュラークラスが
ときどき 顔を見せる程度になっていた。

そのころの 俺は そうしたことに無頓着だった。
かえって 少数精鋭で 強くて・しぶとく手応えのある奴らと
何回も練習できることを 喜んでいた。

冬休みに入って2〜3日目から
たったひとり来ていた1年生も 来なくなり
4人だけになってしまったような気がする。
100畳の道場で ふた組だけの練習。
まるで 試合場と同じような状況になっていた。

それでも たぶん12月30日か31日まで休みなく練習した。

1970年最後の 練習のあとに「来年の練習開始はいつからにする?」
…と言う話になり
俺は 即座に「元旦から!」と 提案した。

…が 他の3にん(3役)に 即時…却下…された。
みんな「正月ぐらい 少しのんびりしよう…」という。

しかたがないので 俺は 妥協した。
(俺は 協調性のある人間 だった♪ …笑)

「 じゃぁ 2日 朝9:00から…ネ! 」

…というわけで 元旦は休み
 2日の朝 元気に 道場にでかけて行った。

 ・・・・・・・・

…だ!… だれも いなかった。 …? …???
 な… なんで?

当時の俺には…理由がよくわからなかった。
…いまは…よくわかります…大反省 m( _ _ )m …(大笑)

…で でも 3役全員?
 せめて…キャプテンぐらいは?… ふつー来るんじゃない???


↓につづく
。。。。。。。。。。。

2007年09月07日 13時48分09秒  実力は 日々の暮らしの 積み重ね♪

↑からのつづき

めも:mixi日記より
2007年09月01日13:23 叱られて…2 正直16 柔道部5 留年時代5 高校(1971)のころ 10 akiu 雲「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 10


「 留年時代 」5



↑からのつづき
。。。。。。。。。。。

…というわけで 元旦は休んで…
 2日の朝 元気に 道場に 出かけて行った。

 ・・・・・・・・・・・

…だ!… だれも いなかった。 …? …???
 な… なんで?

当時の俺には…理由がよくわからなかった。
…いまは…よくわかります…大反省 m( _ _ )m …(大笑)

…で でも 3役全員?
 せめて…キャプテンぐらいは?… ふつー来るんじゃない???

。。。。。。。。。。。
俺は1時間ほど 道場の外で 待っていた。 

… 来た! …
やっぱり GGは責任感の強いやつだった。→(どぉーこがじゃ!?)

開口一番「 やっぱり …誰も来てねんだべ? 」
    「 今日は 練習 やめっぺ!♪ 」

俺…(…あのぉーぉ 俺が来てるでしょうーが!!!)
  「あのなぁ〜 1時間も遅刻しといて それはねぇーべ?」

GG「ん…んじゃ 寒いから サッカーやっぺ!♪」

俺…(…ったく…根性… 鍛え直しだな! コリャぁ〜)
  「だめ! いつもと 同じ練習量 ふたりでやるの!!!」

GGは しぶしぶ同意して…柔道着に 着替え始めたのでした(笑)。

さすがに ふたりきりの練習は 辛気くさいものだったが…
とにかく 平常の練習と 同じ時間・量・質をこなした筈。

いまだに 忘れもしない!
このとき まさに この時1回だけ なのだが
俺は GGを 見事な「 払い腰 」で…
綺麗に… 投げたのだ…。
パーフェクトに 技が 決まったのだ。

先にも書いたが 俺の柔道は いつもどこか
見苦しかった… 汚なかった…。
技のキレというより 無理矢理だったり
なんとなく だったり 美しくなかった。

だから …うれしかった…から 忘れられないのだ。

しかし…こともあろうにGGは…その後
それを けっして認めようとはしないのだ!!!
なんてぇやつだ ったく…
他に だれもいない ふたりだけの道場で 起きた事実を
自分に都合が悪いからと言って…もみ消しにしようするとは…
そのせいで だれひとり 信じてくれないのが …かなしい(笑)

「そりゃぁ〜ねぇ〜べ? ともだちとして!」 …だっちゃ♪(大笑)

。。。。。。。。。。

そんなふうに みんな一丸となって稽古に励んでいった♪(笑)

練習試合も 積極的に 行くようになった。
春ごろには 優勝候補といわれる高校とも
対等に 渡り合えるようになっていた。…と思う。
有力校と 対戦しても…
団体戦2試合して「 1勝1敗対 」みたいな感じだった。

…県の「高校総体」前に 監督に …。

監督:「 個人戦は 重量級枠2名だから GGとKを出すから…
     お前は 一番軽いから 減量して中量級に出ろ。 」

   …と 言われた。

 まぁそうだった…そのころ 俺は76キロぐらいだった。
 当時 高校の中量級の上限は 70キロ以内か未満だったはず。
 … GGも Kも 80キロを超えていた。

 俺は 早速 減量を始めた。



↓につづく
。。。。。。。。。。

2007年09月07日 13時40分16秒  土壇場で コケちゃいました でも笑顔♪

めも:mixi日記より
2007年09月01日13:23 叱られて…2 正直16 柔道部5 留年時代5 高校(1971)のころ 10 akiu 雲「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 10


「 留年時代 」5


↑からのつづき
。。。。。。。。。。。

そして 高校総体を迎えた。

たしか 予選リーグを勝ち残って 最初の試合。
勝てばベスト8という段階だった。

相手は 育○高校だった。ここは優勝候補だった。
練習試合に行ったことがあったが…
軽量級の 個人優勝候補のSや 重量級のK野
その他のメンバーも レベルが高かった。
練習試合では たしか一勝一敗…5分5分だった。

俺は このときも やはり 先鋒を任されていた。

育○高校の先鋒は いつも Sだった。
俺は 予選段階で育○と当たると わかった時から
Sとの対戦に 合わせてシュミレーションしていた。
なにしろ 軽量級の優勝候補。とにかく動きが速い。
そして スキをみせたら キレのいい背負いが来る。
とにかく落ち着くことだ…と…
 ・・・・・・・
ところが! 相手は 奇襲に出てきた。

前の試合まで…
体重100キロ近そうな ポイントゲッターK野は いつも…大将だった。
そのK野を 先鋒に 出してきたのだ!
完全に この → 俺 ← に 照準を 当ててきたのだ…。

コッチは「 想定外 」に 少し驚いたが…
みんな:「お前なら 大丈夫 とにかく引き分けに持っていけ!」
監督 :「寝技に持っていけ!」
 …と…
( 俺は「寝技なら負けない」…との 信頼があった。)

俺も 練習試合の感触から …なんとかなる… 気がしていた。
そう簡単には 勝てないが…やられる気も あまり しなかった。
それより…
みんなや 監督のアドバイスを 聞きながら
俺が 考えていたこと…は

いまだから …正直…に 言うが…
「 寝技は カッコわるいなぁ〜?
  立ち技でも…引き分けられそうだっちゃ! 」
(なぜか この辺が 変に 脳天気な…俺)

ともかく 審判の「 はじめ! 」の声がかかった!

 … 試合開始 …

組み合った感触は 練習試合と そう変わらなかった。
すぐに 技が来た。
たしか「 跳ね腰 」だったと思う。

俺は腰を落として こらえた。

すぐに 2発目が来た。
また こらえた。

 ・・・・・・・

しかし 今度は ちがっていた…

俺は 宙に舞い 畳に …墜ちた。
「 いっぽん! 」…審判の右手が上がった。
なんとも あっけなかった。

自分でも 一瞬 信じられなかった。

。。。。。。。。。。

…というわけで … 俺は …
「 絶対に 負けてはいけない場面 」で…負けてしまった。
 ・・・・・・・・
その後の攻防は すさまじかった。
ワンポイント取った育○高校は 完全に 守りに徹した。

次鋒引き分け 中堅引き分け 副将引き分け

大将戦になった。

うちはK 向こうはS
重量級のKと 軽量級のSの対戦だ。
俺たちは 声を嗄らして応援しつづけた…
圧倒的に Kは… 攻めつづけた。

しかし Sは すごかった。
なんど投げられても くるっと回って腹ばいに落ちるのだ。
(当時は 今と違って ポイント制でもなく 優勢勝ちは少なかった。
 はっきりと「いっぽん」か「わざあり」で 取る必要があった。)
とにかく Sは みごとだった。
 ・・・・・・・・
Kも Sも 文句無く全力を出した試合だった。
大将戦も 引き分けに終わった。

 ☆高校 0−1 育○高校

…そこで… 俺たちの「 高校柔道の夏 」が …終わった…。


・・・・・・・・
 …その後 育○高校は 順当に勝ち進んで 優勝した。

。。。。。。。。。。
絶対に 負けてはいけない場面で
負けなかった …育○高校のS。
負けてしまった…俺。
いま思い返せば そのちがいが 勝敗を分けたような気もする。

俺は 負けてしまった …が
☆校柔道部の 他の4人は 負けなかった。

しかし 俺を責める奴は …誰もいなかった。


↓につづく
。。。。。。。。。。。

2007年09月07日 13時31分19秒  落ち着いて 味わいながら しなやかに♪

↑からのつづき

めも:mixi日記より
2007年09月01日13:48 叱られて…2 正直17 大切なひと 柔道部6 留年時代6 高校(1971)のころ11 akiu 雲「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ11




「 仲間たち 」…大切な ひと… 6


。。。。。。。。。。。
試合後 みんな 俺に やさしかった。
「 減量のせいだよ… 」とか
「 向こうの監督の作戦が一枚上手だった 」とか

 ・・・・・・・・

Kと 俺のことしか 書かなかったけど…
高校の 柔道部の仲間との思い出は やまほど…ある。
もちろん 40年近い歳月が過ぎた いまも
逢えば あの頃のままの つきあいができる。

酒に溺れていた この10年ほどの間…
自分から… こうした大切な仲間を
失くしてしまいそうに なってたと …いま思う。

  ・・・・・・・
「アルコール依存症」になって 飲みつづけていけば…
身近なひと…大切なひとから順に… 失っていきます。

 …と 医者が言っている。

最大の被害者は 子供たちです。…とも。

そして この病気をしっかりと 理解して…
なにがどう 問題なのかを ハッキリさせ

「 おなじ過ちを 子供たち=次世代に 引き継がないこと 」こそ

「アルコール依存症」になるまで 酒に溺れ…
周囲のひとたちに 迷惑をかけてきたことへの

謝罪…罪滅ぼし=「 回復の証し 」ではないかと思う。

「しらふ」でも魅力的に 生きてゆけることの 実践。

「しらふ」で暮すことの 楽しさ すばらしさの 実践。…を

次世代の 子供たち 若者たちに
自分自身の これから…の生き方で 伝えてゆくこと。

それが 俺の 仕事だろうと思う。

学びつづけること。
謙虚になること。

見極めること。
落ち着くこと。
あせらないこと。
あわてないこと。



ゆっくりと活きる 勇気を持ちたい …そんな気がする。



。。。。。。。。。。。

2007年09月06日 23時45分25秒  人生は 勝負じゃないよ 負けないで♪

めも:mixi日記より
2007年09月01日01:23 叱られて…2 正直14 柔道部3 留年時代3 高校(1970)のころ 8 akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 8



「 留年時代 」3

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「まぐれ… かヨッ!?」…奇跡?偶然?…



そのころ 俺たちの 柔道部は さほど 強くはなかった。
他校にとっては いわゆる「ノーマーク」だったと思う。
…ところが…

復帰した年1970年の 秋の新人戦で
県の「 決勝戦 」まで 行ってしまったのだ。

なにしろ37年も 前のことなので…
あまり詳しいことは 覚えていない。…だが…
またまた 俺の人生の中で 数少ない 自慢話なので
供養のために 書き遺しておきたい   …(笑)

誰ひとり そこまで行けるなどと 思ってもいなかったのに
…あれよあれよという間に 決勝まで 勝ち進んでいた。

とうぜん…
功労者は キャプテンGGと ☆=Kなのだが…
ひとつひとつの試合で それぞれの選手が…
一丸となって みんなのことを思い 自分の役割を考えて
せいいっぱい 頑張った結果だったのだと思う。

キャプテンの意地を見せて 
ぎりぎりの 引き分け試合後の「 決定戦 」で…
粘り勝ちしてくれたGG。

相手校に 徹底マークされながらも…
ことごとく1本勝ちしてゆくK。…

「 勝つこと 」の責任を「 託された者 」の
 …負担は 計り知れないものがある。

…しかし…
レギュラー5人制の 柔道団体戦では
…あとひとり…が 重要に なってくるのだ。

2人負けても…勝てる。
3人負けたら…ぜったいに負け。
残り3人の「 責任 」は → 「 負けないこと 」…だった。

俺は いつも 先鋒だった。(いわば…先頭バッター)
(cf.順番は試合ごとに変えてもいい)
先鋒が勝てば 勢いが付く 負ければ 逆。
引き分けだと 緊張感が増す… そんな感じかも。

特攻隊では だめなのだ…(笑)
負けたら 試合の流れに影響してしまう。
(残りのメンバーの負担感を増やしてしまう。)

ぜったいに負けないで 勝ちを狙う。

それが先鋒の役割だと いまは 思う。
…決して 討ち死にしては いけないのだ!…
…ボロボロになっても…
 生き延びて 帰ってくる 責任があるのだ…(笑)

 ・・・・・・・・

決勝の 相手校は やはり あの○北高校だった。

もう おわかりかとは 思うが(笑)…

俺は …引き分けたのだ♪(大笑) →(ちょっと自慢)

しかし …さすがに○北高校。 しかも舞台は「 新人戦 」
俺たちに(?) 負けるわけには行かない。

向こうの 気迫は すごかった。

コッチは 2番手にKを 持ってきていた。
ここで Kが取らなければ…ほぼ 勝ち目はなくなる。
Kのプレッシャーは いかほどだったろうか…
Kは 攻めに 攻めた…
相手も 強かった 県内屈指の重量級の選手だったと思う。
しかし 勝てなかった。

先鋒ー引き分け 次鋒ー引き分け …

結局 「 ☆高校 0−3 ○北高校 」で 負けた。

でも「準優勝=宮城県2位」だっちゃね♪…自慢♪ 自慢♪ 自慢♪

   … m(_ _)m …

。。。。。。。。。

☆校柔道部は 負けたが …Kと 俺は

 負けなかった♪ …(苦笑)


。。。。。。。。。