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2007年09月12日 17時10分12秒  胃腸から 壊してしまう アルコール!!

めも:mixi日記より
2007年09月11日20:14 2:アル中 栄養障害 チェック2/まとめ2(2007)
akiu 雲 参照 → mixiまとめ1


「 酒害 」1 … 栄養吸収障害 …




酒好きが 案外見落としている酒害が 栄養障害かもしれない。

アルコール依存症に なっていなくても
栄養障害の可能性はある。

もちろん アルコール依存症で入院してくる
患者のほとんどが…
医者に「栄養失調」と診断される。
アルコール依存症と診断された患者は
内科的に見たら 7つぐらいの病名をもらえます。
…と 医者が言っていた。

入院治療の3ヶ月の中には
栄養講話というプログラムもあった。

問題のひとつが… 退院後の食事バランス。
酒飲みは ともすると 食事をいい加減にして
飲むだけになる。
そこで 体に必要な 栄養素の基礎知識や
必要量・バランスなどを学んで退院後の
食生活改善をはかる必要がある …と 言うことだ。
 ・・・・・・・・
入院中だけバランスの取れた食事をしても
長期間の 飲酒でボロボロになった体全体の 回復には
数年単位の時間がかかるのも とうぜんなのだろう。

もちろん 断酒を続けてこそ 回復に向かうのだ。

だから もうひとつが 断酒=胃腸の回復。
これが大切なのはわかるだろう。
胃腸の消化吸収力が 回復しなければ
体全体が 回復に向かうはずがない。
 ・・・・・・・・
飲酒すれば胃腸がまた すぐにやられる。
胃腸内壁に アルコールが入ると
あっという間に表面が溶かされてしまう。
以前 その映像はNHKの番組で見たことがある。
それが奇跡的な回復力で 元通りに再生するのに…
24時間以上はかかるとの ことだった。

つまり その間に また アルコールが入れば…
元の木阿弥になる。
従って 毎日晩酌を続ければ
胃腸の内壁=栄養の吸収機関が
役に立たない状態が続くことになる。
そうして 栄養失調になってしまうと言うことだ。

たぶん アルコールは糖分として吸収しやすくて
運動のカロリーだけは 取れるのではないかと思う。
問題は ビタミン類 無機質etc.の
身体維持のための 必須微量要素のほとんどが
吸収されなくなってしまうということ なのだろうと思う。

 ・・・・・・・・
俺の場合は 左足首から先の触覚が麻痺してきていた。
いつも 足がしびれたときのようになっていた。
医者に言ったら ビタミンB1欠乏と言われた。
「治りますか?」と訊いたら…
「酒止めて ちゃんと栄養とって 5〜6年もすれば…」
…とのことだった。

実際に1995年9月から10ヶ月酒止めたら
悪化より 回復の傾向を実感したし…
入院してからは 病院の食事のせいか
思いのほか 回復が早いような気がする。
足のしびれは 足先の方に狭くなって行ってる。

途中なんども 刺すような疼痛があったが…
たぶん 神経が再形成して行ってるんだろうなと思えた。
神経系は とうぜん目や脳などの
繊細な神経から やられてゆくから怖い。
失明に至るし 脳は萎縮してゆく。

カルシウムの不足は 骨に来る… 骨粗鬆症だ。
 
とにかく 胃腸がやられては どうしようもないのだ。
胃腸を いたわって…
回復させるには24時間以上かかるのだ。
…と言うことを しっかり理解すれば
毎日の飲酒は 問題だと言うことがわかると思う。

飲む日のほうが 少ないようにしないと…
体がもたなくなってしまうのだ。

病院での聞きかじりの知識だが…
俺自身 足のしびれは 2年経ったいまでも残っているし…
先日 同居人と 手をならべて 比べてみたら…
俺にはないと思っていた指先の微細なふるえ
…「振戦」…があるのがわかった。

アルコールの「 常習 」は
間違いなく体を蝕む のだと言うこと
それは 確かだろうと思える。

問題は それが はじめは ゆるやかに
進行してゆき 気がついた頃には
加速度的に 止められなくなってしまう
そう言う病気だと言うことだ。

とにかく まだなっていない人達には
甘く見ないで 気を付けてほしいと 願っている。

何度も 言うが …

一滴も飲めなくなる前に 
安全な 飲み方を 学ぶことだろうと思う。




。。。。。。。。。。

2007年09月12日 17時06分58秒  赤道に 落書きしたら 鯨の背♪

めも:mixi日記より
2007年09月11日10:36 叱られて…2 正直30 算数・社会 (2007)
akiu 雲「 出発 」9


「 自由 」… 算数・社会 …



。。。。。。。。。

「1たす1は2」…と 
学校で 先生が おしえてくれた… が。

俺の 人生では 「1たす1が 5」になり
そのうちの1に1が加わったら 2増えて…
全部で 8になった。

「 ♂+♀=∞ ??? 」
「 ♂1x♀1=? 」

いのちの算数の答えは 決まってはいない ♪???

。。。。。。。。。。

いのちは 算数では計れないと 俺は 思う。

経済社会 経済競争 経済優位性が 幅を利かせている時代。
 ・・・・・・・・
 算数の時代。
 ・・・・・・・・


むかし どこかの大学の教授が退官するときに
教え子たちに言ったという。

「 科学や 学問は…
  現実を見やすくするための道具にすぎない 」…と

俺も …そう思う。

科学や 学問の目で 現実を見るのは 面白いが
現実を 科学や 学問に 合わせようとすると
無理が生じて来る ものだろうと思う。

アル中入院で 同室にだった○村さんが…
17の頃 遠洋まぐろ船に乗ってたときの話をしてくれた。

。。。。。。。。。。

ある日 船頭さん(漁労長)が
○村さんに大声で 声をかけたという

船頭:「おぉーい○村ぁー もうすぐ赤道だから
    舳先に行って よぉーく 海見てろよぉー
    赤い線 見えっからなぁー !」

 中学出たばかりの○村さんは
 船頭さんに言われたとおりに…
 真剣になって海を見下ろして
 赤い線が見えるのを 待っていたそうだ。

船頭:「どうだぁー もう通り過ぎたぞぉー
             見えたかぁー !」

○村:「まだ 見えませぇーん …?」

 船頭さんも 周りの先輩たちも 大笑いしてたらしいが…

 本人は そのあと あまり下を向いていたから
 酔ってしまって 具合悪くなって 吐いて
 大変だった。…と言ってた。

。。。。。。。。。。

そう 赤道に行ったら 赤い線が有る。 …はずもない。
地球儀や地図には 赤道も 緯線や経線も書いてあるけど…
地球には 書いてない。
渡り鳥から見たら 国境も 方位も なんの目印もない。

人間が描いて見ている世界は 人間にしか見えない。

しかも さっきの○村さんの話みたいに
「 知らなければ 」あるかないかさえ
わからないものだろう。


知識とは そう言うものだろうと思う。



↓につづく
。。。。。。。。。。

2007年09月12日 16時58分26秒  死んだ友 我が子の顔も 知らないで

↑からつづき
めも:mixi日記より
2007年09月11日10:36 叱られて…2 正直30 算数・社会 (2007)
akiu 雲「 出発 」9


「 自由 」… 算数・社会 …



↑からつづき
。。。。。。。。。。

「 お前は 社会を知らない 」

…と 俺に言った 柔道部の同級生の○田。

彼は 高校を卒業する頃 お父さんが亡くなって
受験を早稲田の夜間に変えて 公務員試験を受け
電波関係の国家公務員になった。

何年かに1度逢って飲むことがあったが…
「 3日やったら辞められない公務員…だが
  俺は辞めてやる! 」
…と 酔うごとに 言っていた。
あいつも かなり ヘンな奴だった。
そう言う意味で 俺はあんがい 話が合う 気がしていた。

35歳の頃 奴から突然 結婚式の案内が来て 驚いた。
結婚なんかしない奴だと 思ってたし…
どうみても 女性に縁が有りそうな感じも しなかった。

俺は あいつの場合は とにかく めでたいと思った。
それほど しあわせに 縁が無さそうな
 偏屈な奴だったから…

結婚式の日の彼は 高1で出逢って以来
一度も見たこともないほど
明るく晴れやかな笑顔をしていた。
奴の あんな風な 無条件の 幸せそうな顔は
初めてだった。

俺は こころの底から ホントーに…
「 よかったなぁ おめでとう ♪」と思えた。
 ・・・・・・・・

それから 半年ほど過ぎたころ Nから電話が掛かってきた。

N:「 ○田が… 死んだ 」…と。

俺:「…なんで?」そう訊くのが やっとだった。

N:「子供ができて 出産が近くなって 
   女房は 実家に帰ってたらしい。
   それで 年末の追い込みで
   連日の残業が終わった打ち上げのあと
   課長の家に行って 飲んでたら…
   突然…の 心筋梗塞だったらしい 」との 話だった。

 出産予定日の 1週間ぐらい前だった。

。。。。。。。。。。

通夜の日 家に行って 棺桶に入った奴の顔を見ながら
… こころの中で 奴に 叫んでいた …
 ・・・・・・・・
「 めがね かけてねぇと おまえらしくねぇな…?」
「 おまえなぁ 公務員 辞めんじゃなかったのかよ! 」
「 おまえなぁ 子供と 奥さんどうすんだよ! 」
 ・・・・・・・・
「 おまえなぁ 社会ってなんだったんだよ! 」
 ・・・・・・・・
「 … ばかやろう …! 」

そんな風に…別れを告げた。

。。。。。。。。。。

明日の正確な 予測なんか 誰にもできない。
予定してみても 案外 想定外が多い。
それが あたりまえの現実だろうと思う。

もし ○田が 生きていたら
俺が この3〜40年見て 考えてきた「答え」を
いま あいつに答えようと思う。

 ・・・・・・・・

「  俺が見た限り いまの日本の社会は…
   明日の現実を 計算できると思い込む
   すぐに 自分だけ わかったつもりになる奴らが
  えらそうにしてる
   … 傲慢な社会 … に
   なっていってるような 気がする。 」…と。

 ・・・・・・・・

社会は 一部の傲慢な者たちに ゆがめられてゆく。

… 勝ち組社会・格差社会 … の

問題性の 根は深いと思う。


できる者 わかる者ほど…
謙虚で 注意深く 反省深く
控えめでなければならない …と思う。

しかし 傲慢な者たちや 徒党の横暴に対しては…
声を上げなければならない時もあると思う。

傍観しているだけでは いけないときも
あるのではないかと 俺は 思う。



。。。。。。。。。。

2007年09月12日 16時46分48秒  窓灯り はるか遠くに 走馬灯

めも:mixi日記より
2007年09月10日23:22 叱られて…2 正直29 自由 (1972)
akiu 雲 「 出発 」8


「 自由 」


。。。。。。。。。

夜中に 家を出た。
家族が寝たあと リュックをしょって 出かけた。
所持金は3万円。
(…1年2ヶ月後 仙台に帰ってきたときの所持金が
 3万5千円だったから…
 5千円黒字の 旅だったことになる …笑 )
 ・・・・・・・・
駅まで のんびり 歩いていった。

駅に着いて… どこに行こうかと考えた。
その時点で すでに 希望よりも
不安のほうが 大きくなり始めていたような 気もする。

真夜中の仙台駅の 待合室を眺め
発着時刻表に 目をやり
残り少なくなった列車の 行き先を見ていた。

… 北に行こう …

なんとなく 決めて…
青森行きの 鈍行列車に 乗った。

列車内は がら空きだった。
席について リュックから 日記帳を 取り出した。
○子にもらった 新しい日記帳だ。

最初に なにを 書いたのだろう?
覚えてはいない。
開いたけど たぶん 何も書かないまま…
窓の外を 眺めていたと思う。
( たしか 最初のほうには 青森駅の待合い室で
  寝ているおばちゃんと 犬のスケッチetc.の絵が
   …描いていてあったような 気がする。  )
 ・・・・・・・・
ただ 漠然とした不安を かみしめながら
窓の外を流れ去ってゆく 窓灯りと
それを包み込んでいる夜の闇を
見つめつづけていたように思う。
 ・・・・・・・・
何も考えられなかった。
考えても しょうがなかった。
 ・・・・・・・・
そのうち 眠りに就いてしまったのだろう。
 ・・・・・・・・


。。。。。。。。。。

1972年の6月 とにかく 俺は 出かけてしまった。 
 ・・・・・・・・
帰ってきたのは 1973年の8月。
 ・・・・・・・・

19歳の春から 20歳の夏まで 北海道で 暮らした。
いま思うと「 たった一年 」ほど…だったとも思える。

でも あのころの 自分にとって…
1日1日が いまとは比べようもないほどに
重く 長く感じられていたようにも思われる。

いままでの 俺の人生の中で
… 一番長い一年 … だったような気がする。

 ・・・・・・・・

6月に家を出て 函館に2ヶ月 札幌に2ヶ月 そして
11月の末から10ヶ月ほど 阿寒湖で暮らした。

棲み慣れた土地を 初めて離れて
知らないひとたちに 出逢い ふれあい また 別れて
あてもない明日に向かって 生きていた。

あのとき 俺は
自由だったのかもしれない。
そして 孤独だったのかもしれない。
 ・・・・・・・・
無責任で 不安で 曖昧で とりとめのない自由。

頼るものもなく 頼られることもなく
自分1人を 抱きしめ
自分だけに しがみついていた。
…ように いまは 思える。

仙台も 友達も 家族も… ○子さんも…
とおい とおい 声も届かない 海の向こう…
… こころさえ 届きそうもない …
そんな風に 思えた。

俺は ここから どこにいくんだろう?
俺は これから どうなるんだろう?

シュミレーションなど できるはずもなかった。
いつも その日その日 その場その場…を
なんとか しのいでゆくだけで
 精一杯だったような気がする。

 ・・・・・・・・

↓につづく
。。。。。。。。。。

2007年09月12日 16時39分21秒  あこがれの 明日はどっち 歩く道♪

↑からつづき
めも:mixi日記より
2007年09月10日23:22 叱られて…2 正直29 自由 (1972)
akiu 雲 「 出発 」8


「 自由 」


↑からつづき
。。。。。。。。。


 ・・・・・・・・

いま 54歳。…に なって
あの頃のことを 思い返している自分がいる。
もちろん 忘れたことはない。
でも キット 忘れてしまったことも 多いとも思う。

思い出せることは 有ったことの
ほんの一部だけに過ぎないのかもしれない。

だから 日記を書き続けてきたのかもしれない。
… あのころも いまも …。

人生のゴールは いつまでも 見えない。
… 道ひとつ … いつだって 先が見えない。

… いまも …なにも 変わってはいない。

。。。。。。。。。。

いま また 新しい道に出た。
「 アルコール依存症 」という病気にであった。
致死率の高さ 進行性の怖さと 止めにくさ。

 ・・・・・・・・
「 なぜ ガンになったかを考えるより…
  これから どう生きていけばいいのかを
 考えるでしょう。

  アルコール依存症は 酒さえ飲まなければ
  進行も 再発も しないことは 確かなのです。

  酒を飲んだら 間違いなく 進行していきます。

  自分の「 新しい生き方=飲まない生き方 」を
  作っていけば いいだけなのです。

  飲んでいたとき どうなりましたか?
  仕事も 家族も 友人も … 信用も …
  全てが 壊れていったでしょう…

  まずは 酒を飲まないで 暮らせるように
  なればいいのです。
  病気なのですから あわてないこと
  あせらないことです。

  生きているだけでいいのですよ。
  のんびり 生きましょう。

  自分に やさしく…
  自分も いたわって あげましょう。」

 …by Dr石川達 東北会病院


自分を 見つめ直すことも
大切だろうと思って…書いてきた。

自分という わけのわからない人間を 知りたくて…

 ・・・・・・・・
俺は ここから どこにいくんだろう?
俺は これから どうなるんだろう・

シュミレーションなど できるはずもなかった。
いつも その日その日 その場その場…を
なんとか しのいでゆくだけで
 精一杯だったような気がする。
 ・・・・・・・・

いつも そうして 生きていけばいいのかもしれない。

… あのころの自分 …の ように。






。。。。。。。。。。

2007年09月11日 00時01分31秒  2ヶ月の 恋の行方は 風の中♪

めも:mixi日記より
2007年09月09日19:47 叱られて…2 正直28 出発2 (1972)
akiu 雲「 出発 」7



「 出発 」2 … こころの旅 …


。。。。。。。。。

…2ヶ月ほどの 恋だった。

春先に出会ってから… 2ヶ月。

いつのまにか若葉が 青葉へと勢いを増してゆき
季節は 流れていった。
ふたりは ゆく春を惜しむかのように 逢瀬を重ねていった。
 ・・・・・・・・
… なんちゃって …ネ♪  古ぅー臭ぁーい!(笑)♪  

たった ふた月ほどの間に いろんなことがあった。

彼女が 教会で洗礼を受けたと 聞いて…
一緒に 教会に行き ビデオを見たりもした。
酒 タバコ 紅茶や コーヒーも… よくないらしかった。
( 彼女は それで ホットミルクしか注文しなかったのだ。)

公園のブランコで 夜ふけまで話していたら
遅くなってしまって… 家まで 送っていったとき…
玄関前の外灯の下で お母さんが 
彼女の帰りを 待っていたこともあった。

5月13日… 俺の誕生日には
○子は 高村光太郎の詩集「智恵子抄」を プレゼントしてくれた。
…あの時 のちに精神病院に入院するのが 俺自身のほうだったとは
「 夢にも思っていなかった 」…のは 言うまでもない。…(大笑)

 ・・・・・・・・
海にも行った。
電車に乗って 奥松島の 野蒜海岸に行き
大高森という小高い山の展望台にも登った。
彼女がアマガエルにさえ 怖がって逃げるのが おかしかった。
 ・・・・・・・・
手作りのサンドイッチと 蜜豆を 頂上で食べた。
松島湾に点在する島々が 一望に見渡せ …
太平洋も とおく 大きかった。
 ・・・・・・・・
浜辺で 夕日が沈むまで 眺めていた。

 ・・・・・・・・

そのあと ふたりは ‥‥・・・・・・ (笑)

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 そのころ…

ホテルが 夏に 改築工事に入ることになった。
とうぜん 仕事は 休みになってしまう。

そんな中で 俺は どこかに行こうと思い始めていた。
 
裁縫の得意な妹に 頼んで
リュックサックにポケットを つけ足してもらったり
持っていく最低限の荷物を用意して 準備を始めた。
どんな旅行をするか…とも どこへいくか…とも
全く考えてはいなかった。

お金は半年で 50万円ぐらい貯まっていた。
このぐらいあれば ヨーロッパには行けるだろうとも思ったが
たぶん 自信がなかった。

臆病者の 俺は…
…ヨーロッパに行く前に まずは 日本を回って 練習しようか…?
みたいに 思ったのだろうと思う。
「 家出?」…という感じでもなかった。

「そのうち どっかに旅に 行ってくるけど心配しないで…」

 …と 家族には 前もって 話はしていた。


↓につづく
。。。。。。。。。。

2007年09月10日 23時48分21秒  雲ひとつ 風に吹かれて 浮かぶ空♪

↑からつづき
めも:mixi日記より
2007年09月09日19:47 叱られて…2 正直28 出発2 (1972)
akiu 雲「 出発 」7

「 出発 」2 … こころの旅 …



↑からのつづき
。。。。。。。。。


最後に○子さんと逢ったのは 出かける2〜3日前だったと思う。
東照宮の裏手に回ると 大きな丸太が 横たえてあった。
その上に腰掛けて どんな話をしたんだろう…?

… 思い出せない …

 ・・・・・・・・

俺がいつも 日記を書いてることを 知っていた 彼女は

… 新しい日記帳をくれた。

日記帳には 彼女らしい模様の和紙で 手作りのカバーが掛けてあった。



 ・・・・・・・・

なぜ 俺は 出かけたのだろう?
そのわけは いまも よくはわからない。

最後に逢った その日
どんな話をしたのかも よく覚えてはいない。

ただ もっと こうして
いつまでも 彼女と一緒に居たい思い …で
彼女を 抱きしめていた。

なのに なぜ 俺は 出かけるんだろう?
自分でもわからないまま
ただ いつまでも 抱きしめていたかった。

 ・・・・・・・・

あのころの 俺も やっぱり…

わけのわからない へんなやつ だった。


。。。。。。。。。。


♪…あぁ〜 だから 今夜だけは キミを抱いていたい
    あぁ〜 明日のいまごろは 僕は汽車の中

   旅立つ僕の心を 知っていたのか
   遠く離れてしまえば 愛は終わると言った

  もしも 許されるなら 眠りに就いたいたキミを

   ・・・・・・・・

   にぎやかだった街も いまは声をひそめて
   愛を待っているのか 愛を待っているのか

   いつも いつの時でも 僕は忘れはしない
   愛に終わりが有って 心の旅が始まる

 あぁ〜 だから 今夜だけは キミを抱いていたい
  あぁ〜 明日のいまごろは 僕は汽車の中ぁ〜〜   ♪

    …cf.  唄「心の旅」(1973) byチューリップ …  

。。。。。。。。。。

2007年09月10日 23時42分38秒  大好きな あなたの笑顔 祈る日々♪

めも:mixi日記より
2007年09月08日16:56 叱られて…2 正直27 青葉城恋歌 (1972)
akiu 雲「出発」6



「 大好き 」 …青葉城恋歌…???


。。。。。。。。。。

仙台と言えば「 青葉城恋歌 」だっちゃ。

仙台市街地の 南西部を囲む山(…丘陵?)が 青葉山。
青葉城跡は その青葉山のてっぺん…
市街地全体を 見晴らせる位置(北端)にある。
伊達正宗が県北部の岩出山城から引っ越してきた。…らしい

その青葉城の裏手(南側?)に すっごく深い谷がある。
昔は上の橋が 吊り橋に なっていて 自殺の名所だった。

高校の頃 その谷川を遡ったことがあるが
水源はあんがい近く 水量も大したことない川だ。
なのに 100メートルぐらい?の
切り立った谷になっているのだ。

詳しいことは解らないけど…
正宗が 城の裏手の守りに掘ったのではないかと
誰かが 言っていたが…俺も そう思う。

 …その谷が「 竜の口渓谷 」だ。

市街地の中の公園…といっていいような位置にありながら
豊かな自然を残しているので 高校の生物の野外授業などで
何回か歩いていたし…
サンコウチョウや チョウゲンボウなどの繁殖地域だったので…
野鳥の会のバードウォッチングなどでも来ていた。

あのころ 道は整備されていなかったが
散策コースのような感じで 行けたし
普段は ほとんど ひともいないし…
デートコースとしては 最適だった。

彼女が行きたいと言ったのか 俺が誘ったのか
もう 覚えてはいないが
ふたりで 遊びに行った。

あの頃は なんとなく とにかく
ふたりでいれば それだけでうれしい
そんな感じだった気がする。

なんとなく バードウォッチングのように
俺が 案内役みたいになって
野鳥の話なんかしながら
吊り橋の下まで行って 帰ってきた。

その帰り道だった。

広瀬川を渡り市街地に戻る
橋のところに さしかかったあたりで
俺は ○子さんに訊いた。
。。。。。。。。。。

俺 :「俺のこと どう思ってる?」

○子:「 だいすき!♪ 」

 間髪いれずの 即答だった。

俺 :「 オ…オレ…も ○子さんのこと
     … 大好き … だけど 」

   「 俺は 将来 結婚は しない… と思う
     ○こさんの他にも
     女の人 いっぱい好きになると思うから…。」

「 それに 家庭や家族 作る自信も ないし… 」

   「 …でも ○子さんを
     一生ずっと 愛し続けたいとは 思うよ。 」

○子:「うん♪」

 ・・・・・・・・
俺は たしかに 
あいまいな気持ちを ハッキリさせたくて
訊いてみたのだったが…

「大好き!」は 想定外だった。

思わず どぎまぎしてしまって…
オロオロ グダグダと 弁解だか なんだか
なにが言いたいんだか 自分でも よくわからずに
訳のわかんないことを 言ったような気がする。

でも やっぱり「 大好き♪ 」の 一言と
そのときの ○子さんの 何の疑いもないような
キッパリとした言い方だけは…

その後35年たった いままで 消し去れない印象を
俺の脳裏に 焼き付けてしまったように思う。




。。。。。。。。。。

2007年09月10日 23時35分46秒  正直に 馬鹿な自分も 大好きに♪

めも:mixi日記より
2007年09月08日01:10 叱られて…2 正直26 デート (1972)
akiu 雲「 出発 」5



「 正直 」


。。。。。。。。。

正直に話すと 誰かが きずついてしまう…

そういう話もある…と 最近は思う。

。。。。。。。。。
自助グループでの ミーティングの約束事。

「ココで聞いたことは 外部では 話さないように…」
「聞きっぱなし 言いっぱなし」

まぁ 自分の話を 自分で言うのは
問題ないのだろうが…?(笑)

今週のミーティングで 俺は…

バカ正直な 俺自身の 困惑 …と
関わっているひとたちの 困惑 …について 少し話した。

思うに… ひとや そのこころを
現実的に 動かしてしまうような話は
あんがい 繊細で 微妙な
ひとの感性やこころの ナイーブな部分に 触れてしまう
人間関係の機微…ニュアンスを含んでいることが多い。

俺は そういうところに対する 配慮が
あんがい がさつな奴 なのかもしれない。

。。。。。。。。。。

あの頃の俺は 
世間のオトナの世界や常識を 嫌い始めていた
なにもかも 疑ってかかるように なっていたのかもしれない。

そして その反面

信じられるものが欲しくて あがいていた。

。。。。。。。。。。

肉まんの件以来 ○子とは時々…
喫茶店などで 逢って 話すようになった。

俺は俺で 人生の岐路だったが…
彼女のほうも 大学受験で落ちて 予備校通いだった。
なんとなく お互いの不安が
共鳴・共振していたのかもしれない。

話は 人生やら信仰 社会問題などの
固い話になることが 多かったような気がする。
文学や詩の話なんかも したのかもしれない。

そういえば あの頃の俺は タバコも吸ってなかったし
酒を買って 飲んだり 飲み屋に行くなんてこともなかった。

喫茶店でも やっとコーヒーを注文するようになったばかりだった。
(1〜2年前までは 喫茶店に入ったら…
    パフェやホットミルクを注文していた  …笑 )

彼女は いつも ホットミルクだった。


。。。。。。。。。。

たしか?映画に 行ったことも…?

 ハッ!…思い出した!!!

その前の年 1971年の春ごろ…淡く儚い 恋ごころの 思い出♪
 

あれは まるで お見合いのような …片思い…の デートだった。

T江さん…大きな瞳がステキな娘だった。♪♪♪

最後の高校の春頃 Nの家に遊びに行って
中学校のアルバムを 見せてもらっていたとき…

「…!この子 かわいいね♪」と言ったら…

Nが「紹介してやろうか?」ということになって
2回ほどデートしたことがあったのだ。

そう そう 1回目は俺の中学校の脇にある 東照宮の境内で
石段に腰掛けて 夕暮れ時まで話した。

2回目の時「映画」を観に 行ったんだった。

映画は…「ちいさな恋のメロディ」    …(笑)

彼女の隣りに座って 映画を観ているとき…
もちろん 映画どころではないほどに
胸が ときめいていたのを … 忘れられない …
(…って! すっかり わすれかけてた? くせに!
          T江さま m(_ _)m …だっちゃ♪ )

俺は すっかり 夢中になって電話して誘ったりしたけど…
向こうは 映画デートのあと なんとなく そっけなくなって
 結局「受験勉強があるから…」と

ふられてしまったのだった。

。。。。。。。。。。

あのころ○子さんと 映画を観たかどうか?は
… 思い出せない … ○子様にも m( _ _ )m


。。。。。。。。。

2007年09月10日 08時06分39秒  大好きと みんなに言って 叱られて♪

めも:mixi日記より
2007年09月07日17:01 叱られて…2 正直25 恋心2片思い(1972)
akiu 雲 「 出発 」4



「 片思い 」


。。。。。。。。。

俺は いつも(いまも???) 片思いばかりだった。

恋が叶うというのは どの時点でいうのか?は…
わからないが(笑)
 ・・・・・・・・
とにかく 相手のこころが
正確に見えるわけもないのだから…
ひょっとしたら どんな恋も 片思いなのかも?…
などと ひねこびてしまった いまの 俺は 思ったりする。

うつ病じゃないが 恋の病いも…

「 胸のときめきが 2週間以上 継続するようだったら…
  専門医に アドバイスを受けましょう♪ 」 …とか
「 それは恋とは いいませんね。思い込みです。」…とか

診断基準が はっきりしていたら…
思い込みや 誤解も 少なくなっていいのに …とも思う(笑)

それは ともかくとして
俺は 女性に対して やたら 恋心を抱く タチだと思う。

いつだって「 ステキな女性は 世界中で 貴女ひとりだけ 」
…だなんて 正直者の俺には 口が裂けても言えない。

30億人も居る女性の中から ひとりだけ選ぶなんて…
神様だって できるわけがない ような気がする …(笑)

たまたま 世間知らずだから… 行き当たりばったり
手当たりしだい 恋をしてしまうのかもしれない…

少なくとも 俺は そんな奴のような気がする。

そんな不心得者だから「 もてなかった 」のだろうと
 …いまは思う。

中学の時 まったく もてなかったけど

 1番好きなひとはいた。

そう「1番に…好きなひと」なのだ。
1番が あれば2番がある 2番がいれば
とうぜん3番もいる。

どうせ もてないのだからと… 俺は
好きなひとの ランキングリストを作って
どっちがホントに好きだろうか?…と 考えたりしていた。
 ・・・・・・・・
たぶんベスト20ぐらいは 書いていたように思う。

上位を決めるのは 案外簡単だった。
しかし 5番目ぐらいになってくると
なかなか どちらとも言えなくなってくる。

だいたい順位をつけること自体が「 恋心 」に対して
失礼で 不純な行為だろうと いまは思うが …
当時の日記帳に 書いてあるのだから 否定しようがない。
俺は 自分で思っていたより
あんがい 不純な奴なのだろう。…大反省m(_ _)m…だっちゃ♪

○子さんも その中に入っていた…
たぶん …10番目ぐらいだったと思う。  

メダルには遠いとしても 全校生徒1000人もいる中学の
約500人ほどの女子生徒の中から 厳選された20人の中の10位なのだ。

例えてみれば 県大会を勝ち抜いて 甲子園の切符を手にしたときの
高校球児の気持ち… ぐらいには
あのころの 俺は うれしかった…と 思う …???(笑)

まだ「 相思相愛 」かどうかさえ わからなかったけれど
なにしろ 女の子と ふたりきりで 話したり
デートまがいのことを し始めていたのだから。

ひとつぶの種から … ちいさな芽 …が

出てきたのだから… 



。。。。。。。。。。

2007年09月10日 07時37分02秒  ほとばしる 若きいのちの 期待感♪

めも:mixi日記より
2007年09月06日22:49 叱られて…2 正直24 恋1肉欲 (1972)
akiu 雲 「 出発 」3




「 真夜中のデート 」


。。。。。。。。。

○子は いつも 晴れやかな 笑顔だった。
俺は たぶん根暗で オタクっぽい 顔をしていたと思う。

朝 出勤してくる○子とSSと 仕事を終えて帰る俺とは
すれ違うだけのような 感じだった。

そのころ ホテルに新しくTさんという番頭さんが来た。
Tさんは 40前後だったろうか?
独り者で 気さくで 面白いひとだった。
いわゆる 流れ者みたいな人生らしかった。

Tさんは 俺の出勤と交代だったので
帰る前に お茶を飲みながら
いろんな体験談や
ホテルの 日中の話なんかも してくれた。

そのTさんが 時々○子やSSの話もしていた。
そして ○子のことで 俺をひやかしたり
焚きつけたりも していた。
例によって そういう話になると…
ものが言えなくなったり 赤くなったりする 俺が…
からかいがいがあって 面白かったんだろうと思う。

いま思うと 春休みのバイトだったのだから
そんなに長い期間では なかったのだろうが
その頃の 時間は ずいぶん長かったように 感じられる。

俺は しだいに ○子のことを意識するようになっていった。

俺が仮眠する 4畳ぐらいの玄関脇の部屋は
みんなの更衣室代わりにも 使われていた。
壁には みんなの仕事着の中に混じって
○子が家から持ってきたのだろうと思われる
花柄のエプロンも 掛けられていた。

夜中に ひとりで居る時 それが目に入ると
つい 彼女のことを 考えてしまうようになっていった。
(いわゆる「条件反射…刷り込み」だっちゃ ネ♪)
 ・・・・・・・・
ある朝 出勤してきた○子は 帰り際の俺に
紅茶(ダージリン・オレンジペコ)の 四角い空き缶を
「クッキー作ったから… 食べて!」と 手渡した。
「は… はぁ ア… アリガト…」みたいに 受け取って
俺は ホテルを出た。

内心は 胸バクバク ドキドキだったと思う。(笑)

 ・・・・・・・・
そんなことがあって 少しは立ち話ぐらいするようになった。

ある日 俺が ときどき 夜中に脱け出して
近くの中華料理店で 肉まんを買ってきて食ってる話をしたら…
「あたしも 食べてみたい」と言う。
「今度 夜 来てもいい? 一緒に 行こ!」…と

…???と 俺は思った。
いかに オクテとは言え 俺だって もう19歳の男。
… どういう意味??? … と 思わずには いられなかった。


ち… ち… ちょー… 挑発? 甘い誘惑 ??? … (大笑)


さまざまな 妄想が駆け巡ったのは ごく自然だろうと思う。
その日 門限になるまでの時間は 長く長く
とてつもなく 長く 感じられた。


真夜中 彼女は やってきた。

そして ふたりは…


。。。。。。。。。。

中華まんを買ってきて ふたりで一緒に食べた。

彼女は「ホントに おいしい … ねぇ〜!」と

あっけらかんと…言い残して 帰っていった。




。。。。。。。。。。


このとき 俺は気付くべきだった …のかもしれない。
彼女と俺の 本質的な 感性の … ズレ ちがい … に

しかし それに気がつくまでには… そのあと
2〜30年の歳月と 俺自身の 経験と成長が必要だった。(大笑)


。。。。。。。。。。

2007年09月09日 21時40分06秒  目に染みる 汗がうれしい 青春記♪

めも:mixi日記より
2007年09月06日21:47 叱られて…2 正直23 出前 (1972)
akiu 雲 「 出発 」2



「 ファンクラブ 」


。。。。。。。。。

出前は 忙しく 重たかったけど 楽しかった。

できるだけ 重たい方が なんだか
自分が 強くなれるような気がして
どんぶり集めの時は めいっぱいになるまで 回収して歩いた。
できるだけ速く 走った。

距離や時間を 考えて ときどき 休憩時間を作った。
休憩ポイントは アパートの屋上。
そこまで 全力疾走して 3分とか5分の時間を作って
下に 自転車とオカモチを置いて 屋上まで 駆け上る。

そこで 背伸びして 深呼吸して 景色を見たり
空を見上げるのが 好きだった。

上から 眺める町並み そのひとつひとつの窓に
いろんな人の 暮らしが見えた。

出前をしていると
さまざまなひと さまざまな家があった。

食べかけのまま どんぶりを 表に出してる家。
洗って きれいに重ねてある家。
「ごくろうさま」と メモが入ってるときもあった。

いろんな家 いろんな暮らし いろんなひとがいた。

。。。。。。。。。

出前先に 大きな病院があった。

大きいと言っても 木造平屋建ての
昔風の 趣きのある病院だった。
そこの看護婦さんたちが いつも 出前を取ってくれていた。
その中に バスで時々一緒になる看護婦さんがいた。

あるとき昼の出前を届けたら 
看護婦さんたちが何人か 受け取りに出てきてくれた。
出前の品を全部渡し終えて 自転車に乗って帰ろうとしたら

後ろから…
「お兄ちゃぁーん がんばってねぇー!
 あたしたち あんたの ファンクラブだよぉー!♪」
…と 大きな声で 見送ってくれたのだ。

俺は あっけにとられ 唖然とした。
唖然として「な なんなの コレ???」と 思ったし
中学の頃 女子の連中に こういう「 からかわれ方 」時々してたから
「… からかってんだな …」とも思ったけれど。

なんとなく やっぱり うれしくなった。

恥ずかしかったし わけわかんなかったけど

…そうした 毎日の 些細なことの ひとつひとつが
あのころの自分を 支えてくれていたような気がする。




。。。。。。。。。 

2007年09月07日 15時12分27秒  迷い道 道なき道も 俺の道♪

めも:mixi日記より
2007年09月06日02:28 叱られて…2 正直22 出発 (1972) 1
akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」出発 1



「 出発 」 1


。。。。。。。。。

道が なくなっても
進まなければ どこにもいけない。

先が 見えなくても
歩かなければならない ときもある。


。。。。。。。。。

夜は 旅館で 寝て…
昼は ラーメン屋で 昼飯が食えた。

暮らしていくには それで 十分だと思った。

もらった 給料は バス代ぐらい残して
全部 貯金することにした。

これからどうなるのか 皆目 見当も付かなかった。
正直いって 不安だった。

いま思えば とりあえず
親と もめていたわけでもなかったし…
家に 問題があるわけでもなかったので
もう少し ゆっくり考えても
良かったのかもしれないとも思うが…

やはり 学校が続けられなかったこと…が
疚(やま)しかったのだろうか?
とにかく… 気持ちが 張りつめていた …

学校を 辞めたのだから…
親の世話になるわけには行かない。
自立しなければと 気負っていたのだと思う。

お金は ほとんど使わなかった
みんなに「 守銭奴♪ 」と からかわれたほどだ。
一緒に喫茶店に入っても「 水 !」と 注文した。
ダメだったら ひとり 店を出た。

なんとなくだが… 
お金を貯めて… ヨーロッパへ行って
絵の勉強をしようか? のようなことを考えていた。

。。。。。。。。。。。

働いたのは… 半年ほどだったが
ラーメン屋でも ホテルでも…
(昔の木造の旅館だったが名前は○○ホテルだった…?♪)
いろんなことがあった。

。。。。。。。。。。。

ラーメン屋に行って 少ししてからは
スープの仕込みを教えてもらって
俺が やることになった。

一番最初に 店に行って スープ仕込んで…
たまねぎむいて…と 野菜の仕込み。
店の掃除 胡椒や醤油 割り箸の補充など
走り回って働くのが 楽しかった。

大声で 歌を唄いながらやってた。

掃除が終わるころ 店の人たちが出勤してくる。
暖簾を出して 客が入り始め 出前の注文も入ってくる。
11時半を過ぎたら もう戦場だった。
店の接客 水出し 注文取り レジ打ち 電話受け 出前。
「らっしゃいませー!」
「ありがとございましたぁー!」 と
元気よく 大声出せるのが たのしかった。

厨房は○ちゃんという女性調理人のひとと オヤジさん
店は 俺とNと もうひとり おばちゃんもいたが
近所に 大きな工場や 郵便局などがあり…
昼時は 店も 出前も フル稼働だった。

出前はNと俺のふたり
Nがバイク 俺は自転車。

冬だったけど  俺は…
たぶん ランニングシャツの上に
ラーメン屋の白衣一枚で
自転車に乗って出前していた。
冬の冷気が 気持ちよかった。

どんぶり集めの時は 肩が抜けそうなほど
重くなったオカモチを 片手にぶら下げて
自転車を めいっぱい こいだ。

いつも 一生懸命 だった。
汗かいて 全力で 動くのが 楽しかった。

俺の仕事は どんぶり回収 昼時の片付け 皿洗いまで…3時ごろ
その後は 9時のホテルの仕事までは 自由だった。


↓につづく
。。。。。。。。。。

2007年09月07日 15時07分14秒  分かれ道 何かの縁で 道連れに♪

↑からつづき
めも:mixi日記より
2007年09月06日02:28 叱られて…2 正直22 出発 (1972) 1
akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」出発 1



「 出発 」 1



↑からつづき
。。。。。。。。。。

店が終わってから 隣りのボーリング場の喫茶店に行った。
そこで コーヒー一杯で 長い時間
本を読んだり 日記を書いたりしていた。

いつも 出前していたから
ふたりのウェイトレスとは顔なじみだった。
(もちろん 親しく話ができるほどでは なかったけど…苦笑)

彼女たちは ときどき
コーヒーのお代わりを持ってきてくれたり
カーテンで仕切られた「予約席」に 入れてくれて…
「こっちの方が 落ち着いて本読めるでしょう 」と
言ってくれたりもした。

… とっても やさしかった …


。。。。。。。。。。

俺がホテルに入ると
奥さんも 旦那さんも
奥の自宅へと 引っ込むので 俺ひとりになる。

受け付け 電話交換
そして 部屋まで案内して お茶出しも やった。
予約外の客は 宿泊カード書いてもらってる間に
部屋まで走っていって 布団敷きもしなければならなかった。

12時頃門限で 玄関の鍵をかければ
あとは 玄関脇の布団部屋で 仮眠してていい。

でも けっこう 帰ってこない客も多かった。
2時3時ごろまで 飲んで来て 玄関をドンドンと叩く。
だから なんとなく いつも
その頃までは 起きて 日記書いたりしてたような気がする。

朝は 6時ごろ起きて 玄関前の掃除して
お客さんの靴を磨いて 並べたら 帰ってもよかった。


。。。。。。。。。。

学校のみんなの卒業式が 終わった頃
中学の柔道部で一緒だった SSに頼まれて
ホテルのバイトを 紹介した。
そうしたら 彼が やはり同級生の従姉妹「○さん」を紹介して
ふたりは ホテルで 春休みのバイトを始めた。

。。。。。。。。。。

ココから先を書き進めるに当たって
大きな問題に直面する…(笑)
 ・・・・・・・・
この頃のことを どう書いたらいいのか?
いま考えると 複雑な感じになってしまうのだ。

その頃に 在ったまま ありのままを
素直に 正直に…
書きにくい思いがある。

なにしろ その○さんこそ
その後 35年間…
恋愛し 結婚し 家庭を作り 離婚して…
現在に至るまで なおも
同じ屋根の下に暮している女性なのだから…

。。。。。。。。。。

しょうがないから…

!運命的な… 出逢いだった(苦笑)!

…とでも 書いておこう。


。。。。。。。。。。
ココまで書いてみて はっきりしたような気がする。
とにかく 良かれ悪しかれ ココが

 俺の…「 人生が変わる瞬間 」

…だった とは思う。

。。。。。。。。。。

やっと テーマに もどった。♪♪♪


ここで 彼女に 逢わなかったら
俺の 人生は まったくちがうものだったとは思う。

恋とは 恐ろしいもの でも有るのかもしれない…(大笑)



。。。。。。。。。。

どうも 俺の人生の物語は 最後の落ちが
イマイチなような気がする。

正直に生きてきた筈なのに
一生懸命 誠実に生きようとしてきた筈 …なのに。
なぜ? なぜ?
いつも 最後の区切りが スカッとしないのだろう?(苦笑) 


。。。。。。。。。。