ノート  アル中について 問診日 アル中高校生 風の広場
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叱られて…2 正直4 母 小学校のころ 3 2007年08月26日08:03
akiu 雲 




 母泣かせ  … 制服 … 





俺の 母ちゃんは まだ生きている。(笑…ありがたい♪) 
1929年生まれだから …今年の11月で 78歳になる。 

母ちゃんに 叱られた思い出…ねぇ…??? 

俺がちいさい頃の母は 病弱だったようで 
しょっちゅう入院していたみたいだった。 
元気な時も 保険のセールスなどやっていて 
昼間 うちに居ることは少なかったような 気がする。 

家に居る時も がみがみと 叱ったりする人ではなかったし 
実家が 和菓子屋さんだったので 
時々 手作りのおやつを 作ってくれたりもした。 

でも 小学校の通信票の「親からの連絡」の欄には 

「どう扱ったらいいのか 困っています」 

…と 書いてある。 

母の方では かなり 手を焼いていたことが窺える。  

いまになって すこし 申し訳ないとは 思っている。 

。。。。。。。。。。 

あのころ(1960年代)の仙台はまだ ちいさな街だった。 
いま見ると うちは仙台駅から4〜5キロほどしかないのだが 
裏側は 雑木林や森 街側の通学路の周辺も 田んぼが拡がっていた。 
住宅地ができ始め 新しい住宅が増え始めたばかりの印象だった。 
うちも もとは近所の農家の林か畑だった所を 造成区画したような敷地だった。 
同級生の家の職業もさまざまだったし 転校生も多かったように思う。 
前にも書いたように 学区内に孤児院と養護施設があり 
そこから来ている子どもたちも多かった。 

いま思えば そうした いろんな境遇の子供たちとの ふれあいの中で… 
いつも いろんな事を感じ 考えさせられていたような気がする。 

時代も 敗戦後から高度成長期への転換期だった。 

テレビでは ヤンマーディーゼルの宣伝が 元気よく流れ 
「名犬ラッシー」「ライフルマン」「ディズニーランド」 
「エド・サリヴァンショー」「ルーシーショー」etc.… 
アメリカの人気番組が いっぱい放送されていた。 

多様雑多 混沌とした時代 地域環境だったのかもしれない。 

。。。。。。。。。 

5年生のころ 東京から H君が転校してきた。 

H君を 一目見て その違いに 驚いた。 
真っ白い ふかふかのセーターを着ていたのだ(笑) 

俺たちは 編み直しで いろんな色の入り混じったセーターを着ていた。 
そのうえ 袖口のところは たいがい  
洟をこすったあとで ばりばりになっていた。  

H君の家に遊びに行って また驚いた。 
家が洋風の新築で お母さんが奇麗な格好で 出迎えて… 
突然2〜3人で訪ねたにもかかわらず… 
紅茶の他に…全員の分のショートケーキが出てきたのだ。 
(こういうのを…カルチャーショック…と言うのだろう… 笑) 

同じ頃 I君という子も転校してきた。 
俺は 彼と友達になった。 
ある日 I君が… 
「自転車ほしいな」と言った。 
「ああ…そうだな」と 俺もうなずいた。 
「じゃぁ…明日から新聞配達やろう」…とI君 
「??? う… うん」思わず 俺は応えてしまった …が 

明らかに 俺にはない 発想だった。 
…自転車が欲しかったら 親に買ってもらう… 
これが 当時の俺の 常識だった。 
(後で知ったのだが I君の家はお父さんが居なかった。 
 お母さんが働いていても 家計は楽ではなかったのだろう。) 

いつだったか… 
I君に「遊びに行こう」と 誘われて ついていったら 
仙台駅まで行って「鳴子に行こう」と言われ 
電車に乗って ふたりで 仙台から 50キロ以上はなれた 
宮城県北部の 鳴子温泉まで 行ったことがある。 
あの時も たぶん 放課後 そのまま 行ってしまったと思う。 

温泉駅に着いて どこか 行くあてでも あるのかと思っていたら 
温泉街を 端から端まで ぶらついて 
だいぶ 暗くなりかけてからI君が「帰ろうか」と言うので 
なんということもなく 帰ってきた。 
そのとき なんとなくだが… 
I君は お父さんに逢いに… 
あるいは 探しに… 来たんじゃないか?…って  
思ったことを 覚えている。 
・・・・・・・・・・ 
家に帰ったのは だいぶ遅い時間だったと思う。 

叱られたかどうか???…は 覚えていないけど 

自分の子が こんな感じだったら 
俺でも… 悩んだり 叱ったりするだろうな…と いまは思う。 

母に 叱られた思い出はないが… 泣かれた思い出がある。 

。。。。。。。。。。 

小学校の卒業式の朝だった。 

母:「さあぁ 早く着替えなさい」 

俺:「なんで?…」 

母:「制服…そこにあるでしょう。」 

俺:「このままでいいよ」 

母:「だめよ…ちゃんと中学の制服 着なきゃ…」 

…実は何日か前 友人達と話していたのだ。 

・・・・・・・・・・・ 
A  :「おい 卒業式は中学の制服きるんだべ」 

みんな:「そうだよ」 

俺  :「なんで? まだ中学生じゃねぇーべ 
     中学校の 入学式から 着るんだべ。」 

みんな:「でも 去年は着てたよ」 

俺  :「俺は 着ないよ」 

みんな:「ホントだな!」 

俺  :「…ああ」 

・・・・・・・・・・・ 

…と そんなやり取りがあったのだ。 

母と俺は しばらく押し問答をしていた。 
すると 母が 泣き出した。 
「お願いだから着ていって…」と 泣きながら 頼むのだ。 

そのころの俺には わけがわからなかった。  

結局 俺は制服を着ていくことになった。 
学校では 案の定 友達に 嘘つき呼ばわりされた。 

なんとなく…気まずかったので 忘れられない。 

。。。。。。。。。。 


このころから 俺は なんとなく… 
世間の常識感覚と 自分の常識感覚の ちがいに 
戸惑うことが 多くなっていったような気がする。 


。。。。。。。。。。





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↓アル中について

1.アル中入院

2.酒害・無知

3.状況 : 1.理解 2.対処

4.自助グループ

5.常識 と 予防

6.栄養吸収障害

7.アルコール耐性 と 体力

8.狂気の沙汰 : 離脱症状

9.家族

10.酒 と 暴力

11.酒 と [ うつ ]

12.余命告知

13.酔い心地

14.根っこ : 依存のモグラ叩き

15.共依存







↓アル中高校生

1.アル中高校生

2.最初の印象

3.ハートウォッチング

4.春の陽射し

5.昼休みのメニュー

6.酒・タバコ

7.体育・強歩大会-1

8.体育・強歩大会-2

9.文化祭-1 

10.文化祭-2

11.夏休み

12.狂気の沙汰 : 離脱症状

13.卒業-1

終.卒業-2







4.自助グループ

5.根っこ : 依存のモグラ叩き

6.余命告知

7.酔い心地

8.

9.共依存

10.栄養吸収障害

11.アルコール耐性と体力

12.常識と予防

13.狂気の沙汰:離脱症状

16.酒害・無知

17.理解・対処

18.

4.自助グループ

5.根っこ:依存のモグラ叩き

6.余命告知

7.酔い心地

8.

9.共依存

10.栄養吸収障害

11.アルコール耐性と体力

12.常識と予防

13.狂気の沙汰:離脱症状

16.酒害・無知

17.理解・対処

18.

19.

20.

6.うつ1

7.うつ2



















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