叱られて…2 正直10 不登校1 高校(1969)のころ 4 2007年08月30日10:50
akiu 雲「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 4
不登校1. … 同級生 …
こうしてみていると 高校の時も…
俺は あんがい元気だった。
いつごろから どんなふうに どのくらいの時期
うつっぽくなって
「 不登校 → 引きこもり 」になったんだろう???
。。。。。。。。。。
「 混乱 」
やはり 学校全体の 雰囲気…環境が 肌に合ってなかった。
…そう言うほかに ないのかもしれない。
30年後 卒業した「 秋○高校 」が
「庭先で ニワトリを 育てている」ようなものだとしたら…
「 ☆校 」は … 大規模養鶏場 …のようだった。
要するに…居心地が悪かっただけなのかもしれない。
。。。。。。。。。。
直接の悩みは 成績だった。
2学期の中間テストの段階で
13課目?ぐらいのうち 8課目が 赤点だった。
学年末の追試を 受けられるのは 3科目以内だった。
そして… 教師たちは 日頃から
「 赤点 クリアーできなかったら 落第(留年)だぞ!」
…と 脅していた。
俺は 留年を覚悟した。
しかし やはり つらかった。恥ずかしかった。
疚(やま)しかった。
そのころは
自分が そこそこ他者より「 できる 」ことに
ある価値観 「 かっこよさ 」を 見出すように
なっていたのだろうと思う。
それが ボロボロに傷ついていったのだろうと思う。
…ともあれ 秋の終わりごろには 不登校になっていた。
柔道部は???
そういえば 柔道部を 辞めたんだった!!
。。。。。。。。。
たしか 古川市(仙台の北 30キロほどの街)での
「 新人戦 」の時だった。
俺たちは 応援だったが…
試合が終わって 帰るときに 監督(T大先輩)が…
ぼそっと「 来年はお前が キャプテンだからな… 」
…と言ったのだ。
詳しくは 覚えていないが…
その一言が「 辞めたきっかけ 」だったことは 確かだ。
要するに… 責任のある立場 …は
もうこりごり…だったのだろうと思う。
ましてや成績(→留年???)で すっかり
自信をなくしていた時だ。
なにも辞めることはないだろうと いまは思うが…
俺は いつも →その後ずっと →いまでも(?)
そんな風な 変(…ふつう?)なやつだった。
柔道部を辞めたことも
不登校(うつ?)を加速してしまったのだろう。
秋ごろと言えば 制服廃止闘争のクライマックスも
そのころだった。
全校集会があって(報道陣もやってきていた)
学校側と 生徒の「 対話集会 」で
生徒側(多数派)の要求が通り「制服廃止」が
決まったり…してた。
おなじころ 同じ中学だったS君が 学校に来なくなった。
。。。。。。。。。。
やはり同じ中学のA君が
「 S君の様子を見に行こう 」というので…
心配して ふたりで 訪ねていったことがあった。
(A君は 物静かで 考え深げで やさしいやつだった。)
S君と俺は 同じ中学だったが
その時までは そんなに 親しくはなかった。
ゆっくり話したのは その時が初めてぐらい
だったかもしれない。
…S君は 予想に反して「 元気 」だった。
俺たちは S君の部屋で 3人で 少し話した。
S:「 高校なんか 行ったってしょうがないよ。
俺は 家で 自分のやり方で
自由に 好きなことを勉強して
[ 大学受験資格検定 ]を取って
大学に行くことにしたよ。 」
…と 言った。
俺もA君も あっけにとられてしまった。
S君は… ドイツ語の勉強をしていた。
語学をやるなら「シュリーマンのやり方」がいいと言い。
実際に自分がやっているテープを聴かせてくれて…
大学受験の外国語はドイツ語で受けるという。
絵を描いているとも言い 見せてくれたし
なにやら画集を見せたり…
いまは 絵画評論家の 誰それの理論に
共感しているとか…
…そんな話をしていた。
彼は 確信に満ちているように見えた。
「 俺とは 雲泥の差だ… 」と 俺は 感じ…
ますます いまの自分が 情けなく思えてしまった。
帰り道で そんな思いを A君に話し…
「…Aくんは いつも 落ち着いていて
冷静にひとの話が聞けて いいよなぁ…」
…俺が言うと A君が…
「 Sくんも 雲くんも
自分の考えを ちゃんと話せるから…
うらやましいと… ボクは思うよ。
ボクは 自分の言いたいことを
君たちのように ひとに話すことが
なかなかできないんだよ…。 」
…と さみしそうに言っていたのが
いまも忘れられない。
。。。。。。。。。。