叱られて…2
正直19 親父 留年時代8 高校(1970)のころ 13 2007年09月03日19:52
akiu 雲 「人生が変わる瞬間(とき)」高校のころ 13
とうちゃん
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親父のことも 一応 書いておこう。(笑)
1970の春 留年すると決めていたころ
初めて とうちゃんに 殴られた思い出がある。
殴られたと言っても 平手でも こぶしでもなく
洗濯機の 排水ホースで なぐられたのだ。
それを 思いっきり ぶんまわして 俺の顔をなぐった
勢いついたホースの 固いプラスチックの先端が
俺の頭の後ろをひとまわりして 口に当たった。
このときも 口から血が出たっけ…
。。。。。。。。。。
あの時 親父は 酔っていた。
俺が16歳(1970)の2〜3月ごろだから…
1928.1.15生れ。 親父は 42歳になったばかりのころだ。
仕事は 県職員 土木部
たぶん 係長か課長ぐらいだったのかもしれない。
中間管理職 ?
親父の その頃のことは あまり よくは知らない。
きっと 俺は 中学高校と部活やってたし
親父のほうも 仕事で帰りが遅かったようだし
よく 飲んで帰ってきたり
部下をうちに連れてきて 飲んだり
酒飲んでる姿は 覚えている。
休みの日の思い出も 小学校の頃のことは 覚えているが
中学 高校になってからは あまりない。
でも 親父は「 フレンドシップな奴 」だったと いつも思う。
どんな相手にも 気さくだった。もちろん子供たちにも…
人格者というより 天然… 脳天気 ガキっぽい奴だった。
中学のとき よくうちに遊びに来ていた友人が… のちに
「 お前の 親父さん たしか土建屋の親方だったよな? 」
…と 言ったことがあったが
まさに そんな風な 奴だったと思う。
そして 前にも書いたが
そのときまで 俺には 怒られた記憶は なかった。
そのときも「 怒られた? 」というより
酔っぱらった親父に 反抗期の高校生の息子が
「 外に出ろ! 」と 絡んだのだから…
いわば「 なんだとぉうー!? 親に向かって! 」みたいに
… キレタ …感じだった。
54歳になった自分から思えば…
そのころ42歳の 彼が どんなふうに 生きていたかも
なんとなく わかるような気もする。
そのときも 母親か兄貴か? に 双方 止められて
それだけで終わったような気がする。
前述したように…
俺のほうは 親父が小さく見えて 気が萎えてしまっていたし…
あとにも先にも 彼がホントに感情的になったように見えたのは
あの時だけ だったような気がする。
子供が駄々をこねるような
… 怒り方 拗ね方 …は しょっちゅう有ったけど …笑
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今回は とりあえず こんなとこかな?
最近少し …つかれぎみ? …だっちゃネ♪(苦笑)
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