ノート  アル中について 問診日 アル中高校生 風の広場
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叱られて…2 正直29 自由 (1972) 2007年09月10日23:22
akiu 雲 「 出発 」8 




 自由





。。。。。。。。。 

夜中に 家を出た。 
家族が寝たあと リュックをしょって 出かけた。 
所持金は3万円。 
(…1年2ヶ月後 仙台に帰ってきたときの所持金が 
 3万5千円だったから… 
 5千円黒字の 旅だったことになる …笑 ) 
 ・・・・・・・・ 
駅まで のんびり 歩いていった。 

駅に着いて… どこに行こうかと考えた。 
その時点で すでに 希望よりも 
不安のほうが 大きくなり始めていたような 気もする。 

真夜中の仙台駅の 待合室を眺め 
発着時刻表に 目をやり 
残り少なくなった列車の 行き先を見ていた。 

… 北に行こう … 

なんとなく 決めて… 
青森行きの 鈍行列車に 乗った。 

列車内は がら空きだった。 
席について リュックから 日記帳を 取り出した。 
まる子にもらった 新しい日記帳だ。 

最初に なにを 書いたのだろう? 
覚えてはいない。 
開いたけど たぶん 何も書かないまま… 
窓の外を 眺めていたと思う。 
( たしか 最初のほうには 青森駅の待合い室で 
  寝ているおばちゃんと 犬のスケッチetc.の絵が 
   …描いていてあったような 気がする。  ) 
 ・・・・・・・・ 
ただ 漠然とした不安を かみしめながら 
窓の外を流れ去ってゆく 窓灯りと 
それを包み込んでいる夜の闇を 
見つめつづけていたように思う。 
 ・・・・・・・・ 
何も考えられなかった。 
考えても しょうがなかった。 
 ・・・・・・・・ 
そのうち 眠りに就いてしまったのだろう。 
 ・・・・・・・・ 


。。。。。。。。。。 

1972年の6月 とにかく 俺は 出かけてしまった。  
 ・・・・・・・・ 
帰ってきたのは 1973年の8月。 
 ・・・・・・・・ 

19歳の春から 20歳の夏まで 北海道で 暮らした。 
いま思うと「 たった一年 」ほど…だったとも思える。 

でも あのころの 自分にとって… 
1日1日が いまとは比べようもないほどに 
重く 長く感じられていたようにも思われる。 

いままでの 俺の人生の中で 
… 一番長い一年 … だったような気がする。 

 ・・・・・・・・ 

6月に家を出て 函館に2ヶ月 札幌に2ヶ月 そして 
11月の末から10ヶ月ほど 阿寒湖で暮らした。 

棲み慣れた土地を 初めて離れて 
知らないひとたちに 出逢い ふれあい また 別れて 
あてもない明日に向かって 生きていた。 

あのとき 俺は 
自由だったのかもしれない。 
そして 孤独だったのかもしれない。 
 ・・・・・・・・ 
無責任で 不安で 曖昧で とりとめのない自由。 

頼るものもなく 頼られることもなく 
自分1人を 抱きしめ 
自分だけに しがみついていた。 
…ように いまは 思える。 

仙台も 友達も 家族も… ○子さんも… 
とおい とおい 声も届かない 海の向こう… 
… こころさえ 届きそうもない … 
そんな風に 思えた。 

俺は ここから どこにいくんだろう? 
俺は これから どうなるんだろう? 

シュミレーションなど できるはずもなかった。 
いつも その日その日 その場その場…を 
なんとか しのいでゆくだけで 
 精一杯だったような気がする。 

 ・・・・・・・・ 

いま 54歳。…に なって 
あの頃のことを 思い返している自分がいる。 
もちろん 忘れたことはない。 
でも キット 忘れてしまったことも 多いとも思う。 

思い出せることは 有ったことの 
ほんの一部だけに過ぎないのかもしれない。 

だから 日記を書き続けてきたのかもしれない。 
… あのころも いまも …。 

人生のゴールは いつまでも 見えない。 
… 道ひとつ … いつだって 先が見えない。 

… いまも …なにも 変わってはいない。 

。。。。。。。。。。 

いま また 新しい道に出た。 
「 アルコール依存症 」という病気にであった。 
致死率の高さ 進行性の怖さと 止めにくさ。 

 ・・・・・・・・ 
「 なぜ ガンになったかを考えるより… 
  これから どう生きていけばいいのかを 
 考えるでしょう。 

  アルコール依存症は 酒さえ飲まなければ 
  進行も 再発も しないことは 確かなのです。 

  酒を飲んだら 間違いなく 進行していきます。 

  自分の「 新しい生き方=飲まない生き方 」を 
  作っていけば いいだけなのです。 

  飲んでいたとき どうなりましたか? 
  仕事も 家族も 友人も … 信用も … 
  全てが 壊れていったでしょう… 

  まずは 酒を飲まないで 暮らせるように 
  なればいいのです。 
  病気なのですから あわてないこと 
  あせらないことです。 

  生きているだけでいいのですよ。 
  のんびり 生きましょう。 

  自分に やさしく… 
  自分も いたわって あげましょう。」 

 …by Dr石川達 東北会病院 


自分を 見つめ直すことも 
大切だろうと思って…書いてきた。 

自分という わけのわからない人間を 知りたくて… 

 ・・・・・・・・ 
俺は ここから どこにいくんだろう? 
俺は これから どうなるんだろう・ 

シュミレーションなど できるはずもなかった。 
いつも その日その日 その場その場…を 
なんとか しのいでゆくだけで 
 精一杯だったような気がする。 
 ・・・・・・・・ 

いつも そうして 生きていけばいいのかもしれない。 

… あのころの自分 …の ように。 






。。。。。。。。。。 




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↓アル中について

1.アル中入院

2.酒害・無知

3.状況 : 1.理解 2.対処

4.自助グループ

5.常識 と 予防

6.栄養吸収障害

7.アルコール耐性 と 体力

8.狂気の沙汰 : 離脱症状

9.家族

10.酒 と 暴力

11.酒 と [ うつ ]

12.余命告知

13.酔い心地

14.根っこ : 依存のモグラ叩き

15.共依存







↓アル中高校生

1.アル中高校生

2.最初の印象

3.ハートウォッチング

4.春の陽射し

5.昼休みのメニュー

6.酒・タバコ

7.体育・強歩大会-1

8.体育・強歩大会-2

9.文化祭-1 

10.文化祭-2

11.夏休み

12.狂気の沙汰 : 離脱症状

13.卒業-1

終.卒業-2







4.自助グループ

5.根っこ : 依存のモグラ叩き

6.余命告知

7.酔い心地

8.

9.共依存

10.栄養吸収障害

11.アルコール耐性と体力

12.常識と予防

13.狂気の沙汰:離脱症状

16.酒害・無知

17.理解・対処

18.

4.自助グループ

5.根っこ:依存のモグラ叩き

6.余命告知

7.酔い心地

8.

9.共依存

10.栄養吸収障害

11.アルコール耐性と体力

12.常識と予防

13.狂気の沙汰:離脱症状

16.酒害・無知

17.理解・対処

18.

19.

20.

6.うつ1

7.うつ2



















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